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「アンタ、そんな理由で……、そんなちっぽけな理由で私を好きになったの?」
「はい。…………いいえ。先輩にとってはちっぽけかも知れませんが、僕にとっては本当に劇的なことだったんです。先輩は僕の大きな身体を、初めて本当に必要としてくれた。私的な理由で僕を使ってくれた。それが嬉しいんです」
福島は続ける。思いの丈を想い人に余すことなく伝え続ける。
「僕を蹴ることで先輩が少しでも笑っていられるなら、それは僕にとっての無上の喜びなのです。先輩の役に立てる、先輩に必要とされている。そう実感出来るのなら、どのように理不尽に蹴られようとも、むしろ僕は嬉しく思ってしまうのです。だから先輩、迷惑だなんて思わないでいいんです。もっと僕を蹴ってください。もっと僕を必要として下さい」
そうして、満面の笑みを見せた。
「僕はいつでも先輩のお傍にいます」
優しさという強さを持った男の、包み込むような笑顔だった。
桃谷は、左手で目じりを拭い、小さく肯いた後、
「ふんっ……。覚悟しなさいよ?」
「望むところです」
と、福島が微笑むと、つられて桃谷も笑顔になった。今度は心の底からの、喜びの笑みだった。
「変人だと思ってたけれど、蹴られて喜ぶなんて、変人なんてもんじゃないわ。これからは変態に格下げね」
束の間見えた微笑みの後の、照れ隠しのように憎まれ口を叩くが、
「蹴り癖も大概、変だと思いますけど?」
「うぐぐ……」
福島が切り返しに、一瞬、表情を歪めた桃谷は脚をじたばたと一頻り動かして、またおとなしくなった。
「あはは、ダメだ。力入んないや。なんかほっとしたら力抜けちゃった」
福島を蹴ろうとしたのだが、脚が言うことを聞かず、未然に終わったということらしい。
「ではこれからは、蹴られる前に先輩を泣かしてしまいましょう。そうすればみんな幸せです」
「ちょーしのんなっ。ていうか泣いてないし!」
完全に形勢が逆転してしまっていた。
「そんなことより今すぐ部室に戻るわよ。今週中に仕上げないといけない記事があるんだったわ。これ以上余計な時間は食ってられない。福島、私を担ぎなさい」
「あ、はい。分かりました」
まだ腰が抜けている桃谷を、福島は荷馬のごとく背に負ぶって、「高っ!」と2mを超えた視点から桃谷が驚嘆する。
「あの、先輩」
中庭から去り際に、福島が背中の桃谷に呼び掛ける。
「なに?重いとか言ったらシメるからね」
「いやいや、とても軽いですよ。そうじゃなくて、あの……」
「なんなの~?はっきり言いなさいよ」
歯切れの悪い福島の首に腕を回して軽く締め上げる。
と言っても、細身の桃谷が福島の太い首に上肢を巻き付けた所で、それはどうやっても抱きついているようにしか見えないのだけれど。
桃谷に急かされて、福島は意を決して言う。
「……僕は、返事を貰っていません」
「へ?」
「僕は想いを告げましたが、僕はまだ先輩の気持ちを聞いていません。僕は好きだと言いましたが、僕は先輩から好きとも嫌いとも言われていません。僕はまだ宙ぶらりんのままです。だから、返事をください」
――嗚呼、何と無粋な。そんなこと聞かなくても大体分かるだろう。察せよ。
きっと桃谷も呆れているのだろう。
「…………」
後輩の背に乗ったまま、またもなかなか答えようとしない。
「あの、桃谷せんぱ」
「めだまっ!」
辛抱の効かない福島の気持ちを、桃谷が見計らったようなタイミングで打ち切る。そして、
「デートの時に、また今日みたいに遅れたら、目玉に蹴り入れてやるからっ!!」
大きな背に、赤くなった顔を埋めて言うのだった。
「…………望むところです」
◆
「あれは、成功でいいのか……?」
「きっと」
京志郎が宙に投げ掛けた問に、楓歌は何度もコクコクと肯き、自信を持って肯定した。
「ふん……。分っかんねぇもんだな、人の気持ちっていうのは」
半ば呆れた風に呟く京志郎に、楓歌は苦笑いで同調を示した。
二人はまだ中庭にいて、先ほど桃谷が座っていたベンチに、微妙に距離を開けて、並んで腰かけていた。二人して疲労を薄く顔に浮かべている。
すぐに学校の喧騒の中に帰る気にはなれなかった。それだけ気疲れもしたし、色々と頭をよぎることもある。
という訳で、二人は生い茂る叢草の中、嵐が去った後の静けさを味わっているのだった。
「私、桃谷さんがキックした時にはもうダメだかと思った……。また失敗した、って思ったよ……」
楓歌が苦笑混じりに言う。
「あぁ、全くだ。俺には、福島の脛ごとアイツの好意も砕け散った様に見えたぜ」
「うん……。でも、すごいよね。あの二人」
「んぁ?あぁ、凄いって言えばそうかもな。ドメスティック・ヴァイオレンスを容認してるカップルなんて、そうそう居ないだろうからな」
蹴り蹴られることを当人たちが悦んでいるので、DVと言うよりはむしろ公然でのSMプレイに近いと京志郎は感じたが、楓歌の手前、口には出さなかった。
「ちがうよ、そうじゃなくて……」
楓歌は一度言葉を区切り、少し考えてから、
「……あの二人、お互いに相手を必要とし合ってる。それがすごいと思うの」
楓歌は珍しく、その頬に明確な笑みを浮かべていた。
「単なる好きっていう感情だけじゃなくて、お互いに支え合っていて……相手のためになりたいと思っていて……。同時に相手がいないと生きていけないって……そういう風に思っているように感じたの」
そしてまた、珍しく饒舌だった。
微かに頬を赤く染め、その目を輝かせ、はにかみながら、思う所を京志郎に語り聞かせる。
「あの人たちが恋人になったのはついさっきのことだけど、きっと恋人になる前から、お互いに無くてはならない存在だったんだよ……。それってすごく素敵なことだと思う。あの人たちはお互いを、自分と言う存在の一部分のように捉えてる。まさに一心同体……だよね。もしも恋人を、そういう風に考えて付き合っていけたら、きっとその恋に終わりはない……んじゃないかな……?」
京志郎は唖然とした。
「黒咲……お前、すげぇな」
すると楓歌は、言葉には出さずに、表情だけで京志郎に「なんで?」と問いかける。疑問の中にほんの少し照れたような仕草を見え隠れさせて。
京志郎は、楓歌が多弁に語ったことにも驚いたが、それ以上に、
「お前……あの一瞬でアイツらのこと、そこまで感じ取ったのか?」
楓歌は虚を突かれたように、目を幾度か瞬きをした後、少しだけ思案したあと、
「ううん……。分かんない……」
困ったように、頭を振った。
――分からない。分かるわけがない。
これは想像…………いや、理想にすぎない。
そうであってほしいという、願望。
自分がまだ見たことのない世界への、儚い夢想――
「でも、俺もそうだといいと思う」
「……?」
楓歌は俯いていた顔を上げ、京志郎を見つめる。
「俺も、恋愛の正しい在り方なんか分かんねぇ。でも、黒咲が言ったことは、すごく、いいことだと思う。幸せなことだと思う」
京志郎は宙を見上げ、楓歌の言葉を反芻するかのように、何度も肯いて言う。
「俺も、出来るなら、そう在りたいと思う。その方がきっと嬉しいし、楽しいし、幸せなんだと思う。ずっとそう思っていける恋愛が出来たら、素晴らしいと思うし、そういう恋愛がしたい」
言いながら、京志郎は楽しげだった。
その視線の先には、彼が思い描く幸せな未来が、はっきりとしたビジョンとして写し出されているのだろう。
まだ、形も見えない、楓歌のものとは違って。