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4-6

桃谷は無言のまま俯いて、なかなか福島の想いに答えようとしなかった。


無理もない。簡単に返答出来る問いではないだろう。


福島、そして京志郎と楓歌は、桃谷が口を開くのをじっと耐えて待つしかない。


不安定な緊張感を含んだ沈黙がしばらく続く。それは時が止まっているかのような光景だった。今、この場では、刹那と永劫の境は溶け合い、ただただ無限の時が皆の中に等しく横たわっていた。




やがて、桃谷が口を開く。しかし、それは福島への答えではなかった。


「アンタ、バカなの?」


「なっ……それはどういう、」


「だってそうでしょ?私、普段からアンタのこと蹴りまくってるのよ?酷いことだって散々言ってきた。私、アンタに嫌われても当然のことを今までずっとしてきたの。それなのにアンタ文句一つ言わないし、ちっとも私のこと拒絶したりしないし、ついにはすっ、……好き、とか言い出すし……。バカとしか思えないわ」


言葉には出さなかったが、京志郎と楓歌は目と目で会話して肯き合う。


((確かに))


心のつぶやきは綺麗にシンクロしていた。




「変な奴だとは思ってたけど、いよいよ気でも狂っちゃったんじゃないの?……いいえ、狂ってるわ。普通じゃない。おかしいもの。今までこの『蹴り癖』で嫌われることはあっても好かれることなんてなかったのに」


(散々人のこと蹴っておいて癖で済ますんだ……)(福島のことサンドバックか何かだと思ってるのか?)


傍観者二人に心中ツッコミをされる桃谷は、冷静さを失っている様だった。


顔を赤くして饒舌に、早口に、言い訳ともいえないただの常識論を語る。


それよりも京志郎には、逆に福島が落ち着いた様子で穏やかに構えているのが印象的だった。



「普通でなくても構いません。幾ら罵倒されようとも、幾ら蹴られようとも、僕の気持ちは変わりません」


「いいえ、アンタ分かってない。私、イライラしたり嫌なことがあった時、ついつい人を蹴りたくなっちゃうの。この『蹴り癖』のせいで私はアンタに迷惑をかけてきた。それは悪いと思ってる。いつもお風呂で反省してるもの……。でももうこの癖は治らないの。治せるんだったら、とっくにそうしてる。……だから、アンタが私の傍にいれば、私はアンタのことこれからも蹴り続けることになる」


「はは、何の断言なんですか」


「なに笑ってるのよ!分かってるの!?私にその気持ちを伝えたってことは、今以上に私の傍に居たいってことでしょ!?」


顔を真っ赤にして怒鳴る桃谷は、その瞳も赤く腫らしていた。流れこそしなかったが、目には一杯の雫が浮かんでいる。



「ええ、そうです。僕はあなたの傍に居たい。誰よりも近く、誰よりも長く」


しかし福島は揺るがない。想い人を半べそにさせていても、あくまで冷静に答える。


「でもそうなれば、私は今以上にアンタを蹴っ飛ばすことになるのよ!?アンタそれでいいの!?我慢出来るの!?耐えられるの!?……それでも私の傍に居てられるって言うの!!?」


喜びと表裏一体なった悲しみと不安は、桃谷に大きなストレスを与え、感情の摩擦による熱は精神の耐久力の限界に達し、同時に理性を超えて本能が行動を制御し始める。


桃谷の右足は福島の左膝を目掛けて止まらない。


実に蹴り慣れしたフォームで桃谷が放ったローキックは、人体を支える上で要となる膝の外側を確実に捉え、幾度目かの鈍い音が鳴り響く。


目の端で、隣の楓歌が目を覆うのが見えた。



「いたっ!……あっ、私また……!」


蹴ったことによる、脚への反動的痛みをトリガーに、桃谷は冷静な思考を取り戻す。


「また……、またやっちゃた……」


我に返った桃谷は、自分の癖が発動し、失態を重ねたのを知ってまた泣き出しそうになる。肩を震わせて、涙目で目の前の後輩を見上げ、そして、気が付いた。


「アンタ、なんともないの……?」


渾身の蹴りを受けたはずの福島は、呻くでもなく、蹲るでもなく、それどころか全く痛む様子もなく、何事も無かったかのようにただ穏やかに微笑を浮かべていた。


福島は深く肯いて、「ええ、大丈夫ですよ」


「本当に?私、今かなり本気で蹴ったわよ……?」


「僕、身体だけは丈夫ですから」


「丈夫って、でもさっきは痛そうに……」


「さすがに向う脛には効きましたね。でも、顔や腹や脛のような弱点以外なら僕はどんな蹴りにも動じませんよ」


福島が笑顔で答えると、桃谷はよろよろと脱力してその場にへたり込みそうになり、慌てて福島がその身を支える。



「私、ずっとアンタが痛いのを我慢してるんだと思ってた……。私に気を遣って耐えてくれてるんだと思ってた……」


「我慢なんかしていませんし、気を遣っているつもりもありません。確かに、先輩の蹴りが全く痛くない訳ではありませんが、その痛みも含めて、僕は受け入れたいと思っているのです。だから安心して蹴ってください」


「安心して、って……。でも、たとえ痛くなくても蹴られるのなんて、嫌じゃないの?どうしてそれを受け入れようとするの?足蹴にされるなんて、屈辱的じゃないの?」


福島は目を閉じて少しの間、自分の心に訊ね、「……いいえ、全然」


「な、なんで?私が言うのもおかしいけれど、理由もなく蹴られるなんて私なら絶対に耐えられない。……いいえ、暴力を振るうための正当な理由なんて存在しないわ。どんな理由があったとしても暴力だけは振るっちゃいけないの、人間として」


四肢は福島に預けながらも、毅然として強く言ってのける。そして、自嘲気味に、


「ってホント、なんて滑稽なんだろ、私」


そんな彼女の小さな右手を強く握りしめて、言い聞かせるように福島は言葉を紡いだ。



「正当な理由なんて有ろうが無かろうが構いません。僕が蹴られるのは、桃谷先輩の為なんです」


「え……?」


戸惑う桃谷に微笑みかけ、福島は遠い目をして言う。


「知ってますか、先輩」


「……?」


「僕、今の部に入る前にも結構色んな部に仮入部してたんですよ?」


「そうだったの?」


「はい、四月末に入るまでは」



四月の半ば、新入生の部活選びが盛んに行われるこの期間は、在校生にとっても有望な一年生を自分の部に引き入れるための『新入生争奪戦』の時期でもある。


福島もその大きな躯体からか、様々な運動部から引っ張りだこだったという。


勧誘が余りにもしつこくて断り切れないこともあり、福島は多くの部に一時入部した。


皆、部での福島の席巻を期待しての歓迎だった。



しかし、あろうことか福島は運動と呼べる類の物はからっきし得意ではなく、ひとたび練習に参加すれば、部員全員が唖然とするほどの運動オンチだったのだ。


「見事でしたよ。僕がプレイした途端に先輩方のお顔から光が失われてゆく様は」


初日の練習の後は、その部の誰も福島を勧誘しなくなり、福島の実力を知らない他の部の者が、解き放たれた彼の奪い合いをまた直ぐに始める。


そんなことを繰り返し、福島の不評判が運動部全体に知れ渡るまで彼は部を転々とし、結局どこの部からも歓迎されることなく、二週間が過ぎた頃には周りを取り巻いていた上級生は一人残らず消え失せていた。



「そんな折にです、先輩に声を掛けて頂いたのは」


「……ああ、あの時ね」


掲示板の一番上に手が届かず、困り果てていた桃谷は、近くで項垂れていた福島を発見し、自分の部の仕事を手伝わせたのだった。


さらに桃谷は部に男手、特に、力仕事を得意とする労働力が欠如していることを考慮し、帰宅部になりかけていた福島を自分の部に誘ったのだった。



「僕、嬉しかった。先輩に誘っていただいて。そして思ったんです。この人の役に立ちたい、傍に居たいって」


桃谷が蹴り癖で福島を暴行したのは、彼が入部してすぐのことだった。

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