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京志郎は、緑の丘の入り口に立って絶句した。
連れ立って来ていた楓歌も、隣で同じような反応だった。
緑の丘は、その名に相応しく草花と木々が青々と自らの生を主張し合っており、庭全体が生き生きとした緑に包み込まれていた。
庭を取り囲むように繁茂する草木と、日光を遮るように枝を伸ばす逞しい樹木たちに囲まれていると、まるで大自然の中へ身を投じているかのような錯覚を覚える。
タイルの模様は一部が落ち葉で隠れており、場所によっては木の根や、草の茎が伸びているところもあった。虫も、当然ながら相当数が飛んでいる。
庭の真ん中にポツンと一つだけ設置されている木製のベンチに座って過ごすひと時は、生徒たちに肺一杯のおいしい空気と、目の安らぎを提供することは間違いなかった。
これは『緑の林』へと改名した方がいいかもしれない。
「……ここ、お前のチョイス?」
ふるふるふる。楓歌は大げさに首を振る。
さすがの楓歌でも、ここが告白の舞台に適しているとは思わないらしい。
「てことは、恋火さんか……。なんだってこんな場所を……」
手入れが行き届いていないため、野放図な生態系が繰り広げられており、ともすれば雑木林に成り果ててしまいそうなこの場所が、今回福島に与えられた告白の舞台だった。
「恋火さまも、ここがこんな場所だとは思ってなかったんだと思う……」
「ってことは、ロケハンもせずにここを選んだのかよ」
「『告白と云えば、校舎裏か体育館裏だろう!』って自信満々に言ってたから……」
「おいおい、どこで覚えたんだ?そんな古典的な展開」
ここで見ず知らずの同級生である福島の恋路の行方が知れるのだと思うと、申し訳ない気持ちにならざるを得ない。
周囲に漂う草と土の匂いが、ロマンチックな気分ごと心にカビを生えさせそうだった。人目には付きにくいだろうが、愛を囁く場所としてはあまりにも不適当に思えた。
しかしながら、手紙を出してしまった以上、どうしようもない。
『念の為、逢瀬の現場に立ち会い、成り行きを見届けて参れ!』とは、昼休みに京志郎と楓歌が受けた神からの指令である。
京志郎は、(なんでそんな無粋なことを……)と乗り気ではなかったが、恋火のお達しとあっては、楓歌が断るはずもない。仕方が無いので、共に立ち会うことにしたのだ。
とは言っても、実際に告白の現場に一緒にいることなど出来るはずもないので、二人はひとまず繁みに身を隠す。
奇しくも、好き勝手な植生のお陰で隠れる場所には困らなかった。これならば、福島・桃谷の両者に気が付かれずに、事の顛末を見聞きできる。
繁みに顔を突っ込み、枝の間から中庭を監視する。
…………とんだ出歯亀だ。京志郎はちょっと泣きそうになった。
「黒咲、お前ちょっと身体見えてないか?」
繁みで並んで座る楓歌に呼び掛ける。楓歌の半身は、バリケードになっている草から、少しだけはみ出していた。
のぞき魔が二人も潜んでいると知れば、福島も告白などしないだろう。
隠れているのがバレれば、作戦がおじゃんになる可能性大だ。(というか、のぞきをしてることなんかバレたくねぇ!)
しかし、楓歌は京志郎の呼び掛けに応じず、そっぽを向いたまま無視をする。
「もっとこっち来いよ」
と、楓歌の服を引っ張り、間のスペースを埋めるように促す。
楓歌はなかなか動こうとしなかったが、しばらく引っ張っていると、一度だけジトッとした目を向けた後、おずおずと京志郎との隙間を埋めてきた。
楓歌の意味深な行動も、京志郎はさして気にはしなかった。
薄暗かったため、楓歌が若干頬を染めていたことにも、気が付かなかった。
二人でじっと待って居ると、ほどなくして一人の女生徒が姿を現した。
若干ウェーブの掛かったセミロングヘアーの、おとなしそうな印象の少女だった。
身長は見た目では156、7㎝くらいで平均的。身体は全体的にやや細身だった。胸のリボンが緑なので2年生だ。
十中八九、あれは桃谷だろう、と二人は確信する。
こんなところに、そうそう人が来るとは思えない。ましてや、女子がだ。
桃谷は何かを探すかのように、きょろきょろと中庭全体を見回した後、他に誰もいないことを悟ったのか、備え付けてある古いベンチの上を少し手で払ってから腰かけた。
そして、鞄から本を取り出し、さらに胸ポケットから黒ぶち眼鏡も取り出して装着し、読書をし始めた。
どうやら庭木の中に人が潜伏していることには気付いていないらしく、二人は小さく安堵する。
彼女の読んでいるのはハードカバーの小説のようで、眼鏡を掛けた見た目と相模って、その姿は正しく文学少女そのものだった。
良く見ればなかなか端整な顔立ちをしている。
福島の好みのタイプなど知った事ではないが、『きれい』というよりは『かわいい』といった感じだ。
チラ、と真横の楓歌を盗み見る。
「?」
京志郎の視線に気が付いた楓歌は「どうしたの?」と首を傾げて無言で会話して来た。
「いや、なんでもない」
京志郎は視線を再び文学少女に戻した。
桃谷が本を広げてから数分が経過しようという頃、静まり返っていた空間に遠くから足音が聞こえていた。
たったったっ、という強く地面を蹴るその音は体育館の方向から響いてきており、その大きさは次第に大きくなる。やがて、
「っのぅはっ!」
意味不明な喘ぎ声と共に、一人の男が中庭に飛び込んできた。
桃谷のみならず、京志郎と楓歌も驚いて男に目をやる。
(ちょ、なんだあのデカブツ!?)
闖入者は、見上げるほどの大男だった。
ともすれば190㎝の大台へ届くのではないかというほどの高身長と、京志郎の1.5倍はありそうな肩幅に、胴回りは楓歌二人分がゆうに入りそうな、巨躯の男子生徒だった。
電柱のような太い足は歩くたびに地鳴りを起こしそうで、その手に棍棒でも装備させればその姿はさながら『ギガンテス』といったところだ。
「はぁ、はぁ……」
ここまで走ってきたのだろうか、息を切らした男は額には大粒の汗をかき、その広い背中からはもうもうと熱気が立ち上げている。
それはまさに、本場米国でぶいぶい言わせてるラグビー選手の様な風体だった。
一瞬、遺伝子操作によって生み出された肉弾戦闘用の人造人間ではないかと錯覚するほどの図体だが、男の広い腹の真ん中にぶら下がっているネクタイの色は赤。
なんということだ。彼は、京志郎たちと同じ1年生である。
身体の大きさも相俟ってか、若干老け顔の巨漢は、京志郎の目にはどう見ても年上にしか見えないのだが。
「久遠くん……!あれ、福島くん……!」
楓歌が小さく耳打ちをしてくる。
「おいおい、マジかよ……。あんなゴツいやつが……」
それを聞いて京志郎は、一層驚愕する。
――なんとなく想像していた、少しなよっとした痩せ型の草食系男子。なんならメガネをかけていても良い。
『人付き合いが苦手で、女の人はもっと苦手。それでも、親切で優しくしてくれる上級生の女子である桃谷に恋をしてしまった、純朴な一年坊。奥手で勇み足を踏むことなど到底出来ない彼が迷走した結果、行き着いたのが磐蔵神社だった……』
京志郎の脳内で生きる福島のバックグラウンドはこうだった。
しかし、実際はぬりかべ。
ハンマー投げの選手のような、あるいは氾濫原で土嚢でも運んでいそうな、完全なるパワータイプ。
『朝っぱらから少々暑苦しい奴では在ったが……』
昼休みの恋火の言葉が蘇ってくる。
確かに、福島を指すのに「暑苦しい」という言葉ほど的確な物はない。四六時中、傍に居られたら熱中症になりそうなほどだ。
――だが、草陰で酷評を受けている福島は、まさしく今から『傍に居て下さい』と桃谷に伝えようとしているのだ。