プロローグ 2
「はぁ……」
重く暗い溜息が肺の奥底から湧き出て来た。
思い出すだけで、京志郎は今すぐ足元に壕をこしらえて、2、3日隠れていたくなる。今時、深夜の通販番組でも使わないようなあんな安い謳い文句に釣られるとは、とんだ生き恥を晒してしまった。
かくして、京志郎は聞いたこともない町はずれの神社くんだりまで出向いて、終わらない階段で筋トレに励んでいたのだ。
「あい、さか、なぐ、る。あい、さか、なぐ、る」
悪友への呪詛の念を燃料にすれば、多少は脚にも力が入るというもの。
滝のような汗を顔中に流しながら、天を目指して歩き続けると、ようやく頂上が降りてきた。
長かった石段の終わりには、大きな石の鳥居が口を開けて参拝者を待ち構えていた。
柱と柱を結ぶ注連縄もあり、中々に荘厳な雰囲気を醸し出している。
それなりに由緒ある神社なのだろうか。
「ふぅ。やっとゴールだ」
心臓破りの石段を踏破し、その最上段に座って額の汗を拭う。
何の気なしに前方を見て、京志郎は息を呑んだ。
「うっわぁ、すげぇ!」
この神社は、町の北側に連なる山の中腹に位置し、境内からは麓の町並み、そして南の海原を一望することが出来る。
眼下には、見たことも無い眺望絶佳が広がっていた。
すぐ目の前には、眩しい緑の草木が手つかずのままで山の斜面に広がっており、その向こうの住宅街は、山から離れるにつれて徐々に家の数を増やし、木々の緑色から屋根の黒や白色への移り変わりが見事なグラデーションとなって、海まで続いている。
海際には高層ビルも何棟か建っており、開発の程度が北から南へと高くなっていることが伺える。
市街地を携える湾はどこまでも広く遠く、空と水平線が交わる境界が、暖かな日に照らされて輝いて見えた。
「この町ってこんなに綺麗だったんだ……」
正直、大都市に挟まれるベットタウンとしか思っていなかったが、人の手が加わった個所と未開発の自然が絶妙なバランスで融合するこの町は、案外いいところなのかもしれない。
この景色を見られただけでも、ここに来た甲斐があった。
また時間があれば訪れたいと思う程、この神社は良い眺めを持っていた。
さて、美しい眺めで疲れが癒えたところで、本命の神社なのだが、
「うわぁー……すげぇー……」
さっきと同じ科白ながら、その実、京志郎の中にはさっきとは真逆の感情が湧き上がった。
境内はそこそこの広さを有し、真ん中には石畳の参道が伸びており、その先には大きく荘厳な社が建っていた。
まぁ、なんでも荘厳と言えば聞こえはいいが、言ってしまえば非常に古めかしく、手入れこそ行き届いているものの、かなり老朽化が進んでいる様子だった。
「ぼろい……」
つい罰当たりな感想が口を突いて出てしまう。
境内も綺麗に掃除されてはいるが、参道の敷石にはところどころにひび割れが生じており、境内全体が背の高い樹林に囲まれているためか妙に薄暗く、風が吹くたびに木々がざあざあとざわめき立つ。
よく神社に設置されているイメージがある灯篭や狛犬のようなものの無く、ただただ、だだっ広いだけの殺風景極まりない境内には、物寂しさだけでなく、若干の薄気味悪さをも感じさせられる。
「てか、普通にちょっと怖いんだけど……。ホントにこれが恋愛成就の神社なのか……?」
いくら情報通を名乗っている逢阪からの紹介とは言え、こんな神社にご利益があるとは到底思えない。
恋煩いに悩む人間よりも、妖怪変化の類との邂逅を夢見る酔狂な心霊マニアの方が多く訪れていても何ら不思議ではない。
期待よりも警戒心に多くの心の容量を割いて、恐る恐る参道を進む。
「なんで賽銭箱だけこんなに綺麗なんだよ……」
全体的にプリミティブな(我ながらナイスなワードチョイス)雰囲気の境内に似つかわしくないほどピカピカに磨かれた賽銭箱が、大口を開けて小銭の投入を今か今かと待ち望んでいるように見える。
神社がいかにして生計を立てているのかは不明だが、お賽銭も重要な財源なのだろう。手を掛けんとする気持ちもわかる。
もっとも、一体幾人がこの直方体の木箱に銭を投げ入れているのかは、正しく神のみぞ知ると言うところだろうが。
「まぁ、わざわざ貴重な体力と時間を費やしてこんなとこまで登って来たんだし、ついでにお願い事でもしていくか。このまま何もしないで引き返したりしたら、悲鳴を上げてまで俺をここまで連れてきてくれた俺の脚に申し訳ないからな」
自分発信自分宛ての独り言を言い訳のように呟き、財布から百円玉を取り出してずうずうしく口を開けて待っている木箱に放り投げた。そして、
(月嶋と仲良くなれますように月嶋と仲良くなれますように月嶋と仲良くなれますように月嶋と…)
きつく目を閉じ、想い人のことを思い浮かべて目一杯お願いする。
「月嶋と仲良くなれますように月嶋と仲良くなれますように月嶋と仲良くなれますように月嶋と…」
直球かつ赤裸々な願望が口から盛大に溢れ出してしまっているが、構うことはない。どうせここには他に誰もいない。
お願い事を二十回ほど唱えたころ、それまで境内の上を流れていた西風がふっ、と止んだ。
かと思うと、今度は前方から強い風が再び吹きつけて来る。
(え?前から?でも、前には……)
そんなはずはない。前方には社があり、風など吹きようがないはずだ。
自然現象の矛盾を感じて目を開けると、
「……っ!?」
瞳が外気に触れた瞬間、それは強烈なエネルギーとして京志郎の網膜に突き刺さって来た。
(な、何だ!?)
それは青く、白く、眩い光だった。強すぎる光をもろに眼球に受け、京志郎はとっさに手で瞼を覆う。
光は目の前の賽銭箱のちょうど真上あたりから球面上に広がり、その中心では光の束のようなものが渦巻くようにうねっていた。
溢れ出るエネルギーは大気をも巻き込んで、強い風を生み出している。
(何だ、何だ何だ何だッ!)
突如目の前で発生した超常現象に対し、当たり前のようにパニックに陥る京志郎。
光輝は徐々に強くなり、やがて彼の身体を完全に包み込むまでに範囲を広げていく。
京志郎も、普通ならば脱兎の如く逃げ出していたのだろうが、どういうわけか両脚に力が入らない。
(うそ、だろ……)
自分の生命力を圧倒的な力で捩じ伏せる様な、その光。
急激に込み上げてくる絶望感に苛まれながら、京志郎はその場に跪いた。
(あれ……俺、これ……死ぬのか……?)
やがて身体全体に力が入らなくなり、強い光に視界は霞み、脳の回転速度は落ちていく。
ドサリ、という音をギリギリ残っていた聴覚で聞き取り、京志郎は自分が石畳の上に倒れたのだと理解した。
胴体には既に感覚も無く、じき意識もブラックアウトしていった。
――薄れていく意識の中で、人影のようなものが見えた気がした。