3-4
軽快に石段を下りつつ、流し目にクラスメイトを見つめる。
「なんだよ」
彼は怪訝そうな顔をする。楓歌の顔がちょっとばかし、にやけていたからかもしれない。
楓歌はなんでもない、と首を振って答えたが、その後少し間をおいてから、
「さっきは、ありがと……」
伝えたかった。この気持ちの高まりを。
「ん?何が?」
「その…………あんなこと言ってくれるなんて……思わなかったから……」
「あぁ、あれはーなんて言うか……成り行きと言うか、勢いと言うか、」
「ううん……。それでも、ありがと」
彼は返答に困っていたが、楓歌がそう言うと、
「……人助けは、嫌いじゃない」
ぶっきらぼうなその言葉が、楓歌にはとても暖かく感じられた。
――良かった。
彼は自分が思った通りの人だった。
初めて会った時に感じた印象は、決して間違いではなかった。
高揚感がそうさせたのか、それとも単なる好奇心が原因なのか、
「久遠くんって……、8組の月嶋さんこと……好き、なんだよね……?」
楓歌は、しれっと物凄いことを聞いてしまっていた。
言ってから、そんなことを口走ったことに自分でも驚いたが、それ以上に彼は目に見えて狼狽えて、
「はっ?えっ!?な、なんでそれをっ!?」
「……ごめん。恋火さまに聞いたの」
「恋火さんに?どうして恋火さんがそのことを……」
「えっと……、久遠くん、昨日うちにお参りに来てくれたんだよね?その時にお願い、したんでしょ……?」
――昨日、京志郎が自らの欲望を大っぴらに口に出しまくってお祈りをしていた時に見た青い光、あれは京志郎の予想通り、光化した恋火だった。
久々の若い参拝者、それも清く、強く、真っ直ぐな願いを持ち、熱心に祈りを奉げている少年だ。恋火は歓喜し、興奮し、舞い上がってしまい、正常な判断が付かない状態になってしまった。
恋火は、その願いを聞き入れるのみならず、有ろうことか、その敬虔なる参拝者に神入りをしようとしたのだ。
普通の、恋火の事を特別尊崇しているわけではない人間に神の力を流し込めば、その意識は当然ながらオーバーフローする。
京志郎も例外ではなく、その彼が気を失うのには十秒とかからなかった――
「そうだったのか……」
「うん……。買い物から帰った後、恋火さまに聞いたの」
「あの光、もしかしたら神さまじゃないか、とは思ってたけど……。まさか、俺の中に這入ろうとしてたなんてな。とんだ奇跡体験だぜ」
楓歌は苦笑いをし、
「恋火さま、自分の信仰がゼロに近いくらいにまで減ってるの知って、すごく落ち込んでたから……。久遠くんがすごく真剣にお祈りしてたのが本当に嬉しかったんだと思う」
京志郎は難しい顔をしていた。
大した信仰など持たず、悪友に唆されて訪れただけ、と言う経緯など楓歌には知る由もないことだった。
「でも、黒咲はどうして俺だって分かったんだ?恋火さんは俺のことを覚えてなかったし、俺の顔を見たわけじゃなさそうだったぜ?」
「私、久遠くんが階段を下りてうちの神社から出て行く時に、丁度帰って来たの……。声は掛けそびれちゃったんだけど……」
なるほど、と京志郎は肯き、
「でもさ、昨日俺が来てたの知ってたんだったら、最初からそう言ってくれれば良かったのに。そしたら、俺もここまで疑ったりしなかったかもだろ?」
「それは……そうなんだけど……」
自分の口が達者でないのは自覚している。
神の存在のような、現実と乖離した話となれば、なおさら上手く話せる自信など無い。
しどろもどろの自分からの半端な情報を、全て受け入れてくれる人間がどれだけいるだろうか。そう多くないことは、容易に想像できる。
そうなれば自分は、また、理解されず。また、拒絶される。――――耐えられないことだった。
「ごめんね……。ずっと黙ってて」
「もういいよ、そのことは。過ぎた事より、これからのことを考えようぜ?」
楓歌は俯いたまま、大きく肯いた。
階段を下まで降り切り、二人で石の鳥居を潜る。
お礼も言えた。やっぱり見送りに来て良かった。
別れの挨拶を交わし、京志郎が十歩ほど進んでからその背中に言ってやる。
「叶うといいね、久遠くんのお願い」
恥ずかしそうな、ばつが悪そうな顔して一度だけ振りかえったクラスメイトを見ると、自然と笑みが零れ落ちた。
◆
京志郎が帰った後、黒咲家は少し早めの夕食を二人で――もとい一人と1柱で迎えていた。
食卓に並べられているのは近所のスーパーマーケットで購入した弁当やら惣菜やらで、それを箸でつつくのは楓歌のみ。その向かいで浮いている恋火は、同じくスーパーで手に入れた、恋火の好物であるお汁粉をずるずるとすすっている。
この恋愛成就の神と暮らし始めてからもう一月になるが、幸せそうな神の姿はとても不思議だ。
弁当などには見向きしないので、空腹というものは感じないのだろうけれど、飲んだ緑茶やお汁粉の行方は、やはり気になるところだ。『猫型ロボットが食べたどら焼きがどうなったのか』が知りたくなるのと同じ理屈だ。
特に意味も無くじっと恋火を見ていると、
「ぷっふぁ、美味かった。――時に楓歌よ、聞いて居らなんだが……御主、如何に彼の京志郎と云う童を選び抜いて連れ帰ったのか?」
お汁粉を飲み干した恋火が、無言だった食卓に声を走らせる。
「彼の者は御主の学友と云ったな?我はてっきり、他の社の神職者か、修験者に助力を仰ぐ物と思って居ったが……。先刻は御主の面子を守る為、敢えて触れんかったが、然う云う神事に携わって居る人間よりも、彼の小僧が有能とは到底思えぬぞ?」
いずれ説明することになるとは思っていたが、こんなに早く言及されるとは。
それだけ、恋火の側近としての役割は重要ということなのだろう。