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3-1

『神』は本来、普通の人間には不可視であるらしい。



『神』はこの世に存在する生命体とは異なる道理の上に立つもので、生命体ではなく、言わば概念の集合体のような存在なのだ。


元々、日本の信仰体系である神道は、山や海などの自然や、雷や嵐などの自然現象に、八百万の神々が宿るという考えを元に生まれた宗教だ。科学を始める以前、人は、人智の及ばない途方も無い規模と力を有する森羅万象を畏敬し、それが得体の知れない『神』の仕業だと考えたのだ。


しかし実際は、そういった森羅万象には強大な力こそ宿ってはいるものの、『神』と呼ぶに値する存在は居ない。『自然』は偶然と必然によって力を揮い、互いに共鳴し合って動き、変化するのみで、そこに意識などは当然あるはずもない。



ところが、そこに人の『想い』加わると状況は一変する。


人が天地万物を畏れ敬い、崇めることで、『自然』はただの森羅万象の域を超越する。


長い時の果てに積もり積もった、強く大きい人々の『想い』の力は、緩やかに『自然』に自我を芽生えさせる。


自我を得た『自然』は、やがて内在するその力を神力として意のままに操り得る、人の理の上位に立ち、人に恩恵と災いを与え、人と共に生きる『神』に成るのだという。


つまり『神』というのは、自然の持つ神気(ちから)と人の放つ祈祷(いのり)の融合体であるのだ。



意識を持った神は、自然の摂理を超えてその力を揮い、尋常ならざる力を持った神を、人は特別な神として崇め、祭るようになる。


御神体に宿る神は社に祭られ、自らを信じ崇めるものに加護を、驕り荒ぶり和を乱すものに災厄を与え、人の世の調和を守る守護神として存在する。


稀に人の容を成し、人間社会に溶け込み人として生きる神もいるが、そういった場合を除き、一般的に、実体を持たない神と直接言葉を交わし、触れ合える人間はいない。



例外なのが、その社に仕える者――神職者だ。


神の側近として、如何なる時もその神力を傍で肌に受け続けている彼らは、その身体に蓄積された神力を先祖代々に受け継ぐことよって、神の姿を目視することを許され、その言葉を拝聴することを許され、その身に触れることを許される。


こうして神職者は、神の世話役でありながら、神の言葉の代弁者に成り得るのだ。



神職者であってもその才能や能力の大きさには当然個体差があり、産まれつき神に触ることが出来る者もいれば、言葉を賜ることは出来ないが姿を捉えることは適う者、またその逆の者、あるいは、幾ら神に祈りを捧げても一向にその祈祷の対象を目に写す事すら許されぬ者もいる。


そして逆に、神を感じる能力に長けた――いわゆる霊感の強い子供が産まれることもある。


そのような才気に溢れた神職者は、神を見聞きし触れるだけではなく、その身に神を移すことが可能らしい。


所謂、神降ろし。



彼らは持ち得る霊妙なる力を使い、周りの者に神の託宣を給えるため神を体内に入れ、魂の駆動を抑えて意識を完全に神に同化させる。


神の操る生き傀儡(にんぎょう)と成るのだ。





「楓歌の身体は実に居心地が良い。これほどに調和性の高い市子は久々だ。まあ、欲を出せば、もう少し肉付きある身ならなお良いのだがな。これでは軽すぎて人の身体に這入っておる気にならん。お主もそう思うだろう?」


「まあ……たしかに」(……ってなに正直に答えてんだ!)


唐突に問いを振られたせいで、つい本音を零してしまった。


この状態でも声は楓歌に届いているのだろうか。一抹の不安が過る。


恋火はぺたぺたと楓歌の胸やら尻やらを一頻りまさぐった後、自分で急須をとって茶を注ぎ、ずずずと一気に喫する。





神さまの御高説タイムは終了のようだ。


長い話だった。授業でされた日には爆睡必至だろう。


しかし、クラスメイトの口から語られるスピリチュアルな話というものは、京志郎の知的好奇心を助長するのに容易かった。


それに以前に、目の前でとんでもなくファンタジーな光景を見せつけられたのだ。興味が湧かないわけがない。



恋火の姿は確かに消えた。


残ったのは、凛とした雰囲気と凛々しい眼差しを持つ楓歌。


(神降ろし……)


まるで別人のような尖ったオーラを纏う楓歌の語らいに準えて考えるなら、目の前にいる楓歌の中身は『恋火』ということ。


そして、恋火は楓歌の唇を動かしてこの荒唐無稽な話を紡ぎ出した、ということ。



「マジかよぉ……」


非科学にも程がある。京志郎は頭を抱えた。


(無茶苦茶だ。てか一気に色々詰め込みすぎだ、神やら、自然やら、想いやら、神降ろしやら……)


理解が追い付かないと言うのが本音だが、しかし、この話が全く受け入れられないと云う訳でもない。


自分でも異常だとは思うものの、楓歌の――楓歌の身体にいる恋火の言葉が、ただのお伽噺だとは、もはや思えなかった。


――それはおそらく、京志郎が黒咲邸を訪れるよりも前に、既に二度も恋火と対峙し、その力の片鱗を受けていたことが原因だろう。


今なら、不可解だった現象にも合点がいく。



(昨日の青い光……)


昨夕、この神社を参拝したときに見た超常現象。記憶の奥底に沈めていた光景が、今になって鮮烈に蘇る。


楓歌に這入る直前の光になった恋火は、昨日の妙に神々しいあの謎の光輝と同じだった。


――可能性を考えなかったわけではない。


しかし、たまたま訪れた神社で神さまに出逢うなどいう展開は、幾らなんでも出来すぎているし、馬鹿馬鹿しくて深く考えたくもなかったのだ。



(んで、昼間の黒咲と、さっきまでの黒咲……)


全く同じ外見にして、何故か同じ人間とは思えないような雰囲気の違い、違和感。


今、神降ろしを果たした楓歌を前にして、その謎も解けた。


(あれは別人……いや、別人格だったってことか)


今の楓歌は紛れも無く、昼休みに出会った規格外の美少女そのものだった。


きっとあの時も楓歌の中に、恋火が這入っていたのだろう。


なるほど、違和感を覚えるはずだ。


中身が異なっていて、それも対極するかのような性質を持つ一人と一柱が入れ替わっていたのだから。


恋火の説明を鵜呑みにすれば、放課後、楓歌と会話している時に感じた食い違いも説明が付く。



「まだ疑っておるのか?」


心を見透かしたようなタイミングで、楓歌に扮した恋火が言う。


「本来ならばここまではせんのだぞ?我々神は信仰を強いたりしない。楓歌が連れ帰ったお主だからこそ、この様に力を見せているのだ」


半分呆れている風に言い、先程、楓歌が淹れた茶に手をつけ、混乱から開放されないままの京志郎をよそに、構わずゴクゴクやっている。



――概念体である神でも喉が乾くのか?


――さっき飲んでいた茶は恋火の体内でどうなったのか?


――神降ろしした状態でも楓歌の身体は消化活動を行っているのか?


恋火を見ていると、些細な疑問がぽつぽつと湧き出てくる。


と同時に、そんな疑問が勝手に浮かんでくることこそ、自分が既に恋火の存在を肯定している証拠だろうと、と実感した。


京志郎は両手を上げ、肩をすくめて見せる。


「分かりました。信じます。もう何も言わない」


「良し」


神さまは満足そうに肯いた。

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