2-5
「其処でだ!此の際手段は選んでられぬ。楓歌に優秀な羽翼と成り得る者を探し出し、助勢を仰ぐ様に嘆願せよ、と云って居った次第だ。然して、我が側近と成り得ると判断し、楓歌が連れて参ったのが」
自称・自然神は指でピッと京志郎を指し、「御主と云う訳だ」
キメ顔だった。
「はあ……」
対して、まるでピンと来ていないと言うのが京志郎の本音。ていうか、自然神って何だよ、といった具合である。
しかし、得意気な恋火の面を見て、楓歌は「おぉ」と感嘆して小さく拍手をし、それによって恋火は一層鼻高々と胸を張る。
(こいつら、アホだ)
恋火は「理由は以上だ」と短く告げ、茶を啜り、説明の義務を奪取され給仕係に徹している楓歌がすかさず空になった湯呑に茶を満たす。
「如何だ?仕える気に、」
「なるかぁ!どうやったら今の説明で『Yes』って答えが返せるんですか!プレゼン下手すぎでしょ!」
「んんー?何事だ、急に声を荒らげて。御主、何かしらの病を患って居るのか?其れとも、矢張り悪霊の類に、」
「取り憑かれてませんよ。病気でもないです。えぇと、これはツッコミって言って……会話を円滑に進めるための技法で……」
(あぁ、俺なにバカみたいな説明してんだろ……。本場の人間に聞かれたら大爆笑させること間違いなしだ……)
脳裏には目じりに涙を溜めて大笑いする悪友の姿がありありと浮かびあがる。
「然うなのか。現代人は品が無いのだなぁ」
挙句によくわからない解釈をされた。
「其の様な事は如何でも良い。我には解せぬ。御主は如何して奉仕を厭うのか」
麗人は思案顔を浮かべて首を傾げる。その仕草が、京志郎にはとても白々しく感じられた。
「どうしてもこうしても無いですよ。俺はアンタが、俺や……黒咲を使って何をしようとしているのかをまだ聞かされてない。具体的な内容も知らないのに、『はい分かりました』なんて言える訳ないでしょ」
言ってから、正しすぎるほどの正論だと感じた。
――意識的にでは無いにしろ、楓歌の名を自分と並列して持ち出したのは、この虚ろ目の少女もまた、この自称・神の身勝手な野望に利用されている身の上なのではないかと感じたからだろう。
「それに、俺はまだアンタが神だって信じた訳じゃない。信じる信じないの問題でもない気がするけど……。とにかく、そんな怪しい人に奉公なんかする気にはなれません」
そう断じると、横目に見える、同級生の白く透き通った面貌に動揺の色が差していく。一方で、恋火は、
「ふむ……。神事に係る係らない以前に、抑々、我の存在を肯定して居らんかったのか。然う云えば、御主は神を目の当たりにするのは初めてだと申して居ったな」
京志郎の言葉を噛み締める様に数度肯く。
「我を人間と見紛う辺り、修験者でも無いのだろう。神の存在を肯定出来ぬのも無理からぬ事か。成程、不覚だった。否、傲慢だったな、我は。――良し」
恋火は自答するかの様に呟き、すべすべとした生足をぽん、と叩いてすっくと立ち上がる。
「成らば、信じさせて遣ろう。我の神力の一端を垣間見れば、御主も神が何たるかを知るだろう」
「えらく自信満々ですね……。でも、空中浮遊とか読心術とかなら間に合ってますよ。それくらいのトリック、俺だって多少は知ってる」
「然うか?双方とも可能だが……其れ成らば、取り敢えず人間には凡そ不可能で在ろう事を遣って見せよう」
恋火は不適に笑む。
「確と見届けよ。御主の様な小僧一人の信仰すらも集めれぬのでは困る。――来い、楓歌!」
恋火の雄々しい声に呼ばれた楓歌が、ビクッと身体を震わせて立ち上がる。
相当油断していたらしく、立つ時に机に膝をぶつけ、痛そうに摩っているから画的には全く締まりがないが、二人とも瞳は真剣そのもの。京志郎も、じっと二人を見る。
「行くぞ」
恋火の左手が楓歌の身体へと伸びる。
(ぶッ……!)
思わず噴き出しかけた。
恋火の手が楓歌の胸を掴んでいた。
いや、掴むと言うのには語弊がある。
『楓歌の胸が、その華奢な躯体に似つかわしい程度に薄く、鷲掴み出来る程のボリュームがないから』という訳ではなく、恋火の手は楓歌の左胸にそっと置かれているだけで、楓歌は乳を弄られているとは言い難い。
だからと言って京志郎がその光景を平然と看過出来るはずもないが。
(いきなり何やってんだよコイツら……!)
恋火は変わらず真剣な眼差しだが、受け身になっている楓歌は目を閉じており、また、幾分か頬には朱色が差していて、それが余計に京志郎を、見てはいけないものを見てしまっているような気分にする。が、見ていろと言われた以上、目を泳がせることは出来ない。
恋火の言葉通りに二人のやり取りを、これでもかと言うくらい凝視する。半分やけくそだった。
すると、間もなく、変化が訪れた。
いつの間にか、恋火の身体を、白く、淡い光が包み込んでいた。
障子越しの日光のような光が、麗人の身を抱き、ゆっくりとその光量を増して行く。
光は強くなるにつれ、白色光から徐々に徐々に青みを手に入れ、勿忘草の花冠のような薄青色に変化する。
恋火の全身を光が覆う頃――ようやく、気が付いた。
恋火は照らされているのではない。光っているのは、恋火の身体自身だ。
蒼白い光は、恋火の中から満ち溢れてきている。恋火そのものが、光に変わりつつあるのだ。
長い脚、くびれた胴、細い腕、小さな頭部、麗しい長髪……その全てが物理的に輝き、瞬き、煌めいていた。
変化は終わらない。
既に恋火の素足は、実体を失くしたかのように文字通り、透き通っていた。
光化が進むにつれ、恋火は煌々とした光明と成り、やがて大気との境界線を完全に失い果てる。
瞬きをする暇をも与えずに、人型の蒼い光は、間髪入れずに動き出す。
恋火の一部だった光は粒状の光子になり、緩やかに移動して、楓歌に触れている左胸から、その薄い胸を突きぬけて楓歌の中へと吸い込まれて行く。
――そう、見えた。
どういう訳か、光の軌道がはっきりと分かる。
頭から、脚から、光の粒が身体の中心へと向かい、あたかも漏斗で液体を流し込むかのように、左腕だった光の筒を通して、楓歌の中に這入っては消えていく。
煌めく人型が楓歌の身体へと完全に溶けきるまでの暫く、京志郎はその光景をまじまじと見つめていた。
――そして思った。夢でも見ているようだ、と。
光の塊が消え失せ、ゆっくりと瞼を開けた楓歌は、茫然と自分を見つめる同級生に向かい、こう言った。
「……どうだ、小僧。これでも神を信じぬか?」
強い存在感を放つ楓歌の凛とした眼差しを前に、京志郎は忘我のまま、声も無く首を横に振った。