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続いて、楓歌は恋火に対し、
「こちらは久遠京志郎くん。私のクラスメイトです」
と、ありきたりな文章を述べた。
「ふむ。と云う事は……御主は、此奴が我らの輔翼に成り得ると考え、連れ帰ったのだな?」
「……は、はい」
「然しな、楓歌よ。此の者、如何やら神に対する敬虔の念が欠如している様子だ。其れ処か、我に対して不信感すら抱いて居る様だぞ?」
京志郎に街カラスでも見るような目を向けて、つまらなさそうに恋火は言う。
――ああ、まただ。
また自らを神と称している。
◇
この十数分の間に数度耳にした言葉。『神』という言葉。
最初に恋火の口から聞いたときは聞き間違いだと思った。
それか、面白くないジョークなのだろうと思った。
自らを神などと、初対面の人間に向かって言うには相応しくない、傲岸不遜な科白だ。
事実、京志郎も一瞬で恋火をイタイ人認定し、堂々たる宣言をする恋火に苦笑いを返すことしか出来なかった。
(ちょっとブッ飛んだお姉さんだなぁ……)などと初めは悠長に構えていたのだが、それにしてはどうにも様子がおかしい。
『加えて言う成らば、我は東西に連なる剛羽大連山が山麓に広がる遠海の地、其の北部、磐蔵の社の大蒼石に宿る処世円滑の神にして、大海を臨む遠海の三大土地神が一柱だ。此の地には遠海が海に浸かって居った頃から住まって居り…………』
高らかなる『神』宣言の後も、恋火は色々と独りで延々と語り掛けて来たのだが、それが本当に、あたかも自分が文字通り『神』であるかのような口ぶりだったのだ。
『近隣の神々の中では可成り古参だが、今の我の信仰の域は新参の海神等の其れとは比べ物に成らぬ程に狭い。と云うのも、此処二、三百年の内に我の信仰は大きく減退し、今や其の力も相当に衰えて居る。如何にかして、失った信仰を取り戻したいのだが…………』
これはイタイを通り越してアブナイ人だ。これ以上は耳にすら入らなかった。
悠々と話す恋火の言葉は、一単語ごとに京志郎の警戒心と危機感を増幅させて行った。
恋火がアヤシイ自己紹介に夢中になっている間に、黒咲邸を飛び出そうかとも考えたが、間もなく襖が開き、楓歌が茶器を持って現れた。
(出口を塞がれたっ!!)
成す術無く、京志郎は楓歌に促されるままに居間に腰を下ろし――今に至る。
◇
「霊感に多少の覚えが有る様だが、不信心者を傍らに置く訳には行かぬ。神に仕えるのだから、其れ相応の自覚が無ければのう」
恋火はさも当然の如く言う。純粋に楓歌の差配に不満を漏らしていた。
(神?信仰?敬虔の念?――そんなもん……、)
「それは……その……」
指摘を受けて、楓歌はもじもじと答えあぐねているが、その実、恋火の言葉は正しかった。
(……信じられるわけねぇぇだろおおおぉ!!)
いきなり「私は神だ」と言われ、「はいそうですか」となる人間がどこにいるというのだ。
京志郎はそこまで馬鹿でもお人よしでもない。
(こんなもん、イエスもブッダもムハンマドも真っ青の新興宗教団体じゃねぇか!……こんな危ない連中だとは夢にも思わなかったぜ。ちょっと変わってるとは思ってたけど、まさかカルトの手先だったとはな……黒咲。道理で近寄りがたい雰囲気のはずだぜ)
美人に誘われてノコノコ付いて来た自分の間抜けっぷりに嫌気が差す。
無意識的に楓歌を睨んでしまうが、楓歌はそれよりも恋火に言い訳をするのに必死らしく、京志郎の非難の視線には気が付いていないようだった。
「久遠くんは……驚いているだけだと思います……。突然、神さまを目の前にして、びっくりしているだけなんです」
などと、素っ頓狂なフォローを入れる楓歌。
驚いていると言えばそうだが、それは楓歌が恋火を神だ、などと思い込んでいるところにそこだった。
「驚く?何を驚く事が有る?」
眉を寄せ、訝し気に恋火は問う。
「彼はきっと、神さまを見るのが初めてなんだと思います……――だよね……?」
「えっ、あ、あぁ……」
いきなり話を振られたのでつい肯いてしまった。
自分を神だと名乗る人間も見たことがないけどな、とは思ったが言わなかった。
「何と、然うで在ったか!――確かに、此の様な人型の半霊体で顕現する事は稀有だが……。此れも、人が神を必要としなく成った煽りかのう」
嘆息交じりの恋火の言葉など、もはやどうでも良かった。我慢できずに、京志郎は口を開く。
「……そろそろ、俺をここに連れて来た理由を教えてくれてもいいんじゃないのか?」
「えっ……そ、それは……」
水を向けられた楓歌は言葉を詰まらせる。狼狽える辺り、やはり怪しい。
「……要は、俺をアンタらのやってる『神さまごっこ』の仲間に勧誘しようって腹なんだろ?」
口調を強めて言うと、恋火は眉を顰め、楓歌は困ったような、申し訳なさそうな顔で俯く。
かなり攻撃的で挑発的な物言いだったが、ここで半端な態度を取って丸め込まれても困る。
恋火たちが実力行使に打って出る可能性もあったが、いざとなれば鞄を抱きかかえて逃げ帰ればいい。
中学時代は陸上部だったので、走りには多少自信があった。二人掛かりとは言え、相手は淑やかな女性だ。後れは取るまい。
「何が目的かは知らんけど、俺は宗教なんかに興味は無い。素養も霊感も無いし、お布施を払う金銭的余裕も、そのつもりも無い。勧誘なら他を当たった方がいいと思うぜ?」
「!?……ちがうっ。私はそんなつもりじゃ……」
「思えばずっと理由を話さずにいたことからして怪しかったんだ。やましいことがあるから話さなかったんだろ。最初から俺を嵌めるつもりだったのか?」
「ちがう……違うの……。何も言わなかったのは、なんて説明すればいいか分からなくて……」
楓歌はかすれた声で言う。少しだけ潤んだ、その縋るような目は非常に蠱惑的だった。
「迷惑かなって思った……。でも私、他に頼れる人がいなくて……。久遠くんなら、もしかしたらって思って……」
胸元で両手を握り、悲痛に表情を歪ませる。
――そんな顔をしないでくれ。
「だから、騙そうなんて、そんな……私……」
「……買いかぶりすぎだよ」とだけ言い、京志郎は口を噤む。
これ以上は、とてもじゃないが追及する気にはなれなかった。
楓歌の方も目を伏せたまま何も言わなくなってしまった。
二人が黙ったのを見計らってか、
「目的に就いては我の方から話そう」
恋火が険しい顔でこちらを見ていた。怒っている訳ではない様だが、その切れ長の目は真剣な表情一つで他人を委縮させる威圧感を放つ。
「先ず――京志郎と言ったな?主を此処へ呼ばわせた理由だが……単刀直入に言おう。御主、我に仕えては呉れぬか?」
「……仕える?」
「うむ。我には或る願望が有ってな。御主には其れを叶える為の助成を賜りたい」
茶を飲んで一拍置き、恋火は続ける。
「現段階では楓歌と共に実行しているのだが、些と問題が在ってな。此の侭楓歌一人に任せるのは心許無いのだ。此れでは何時まで経っても願望を達成出来そうに無い」
先程から気にはなっていたものの、やはり楓歌に対する恋火の評価には遠慮が無い。
その辛辣な言葉に慣れているのか、楓歌はそれを黙って聞いてはいるが、もじもじと、ほんの少しだけ肩を揺らす仕草から、彼女が自分に責任を感じていることは何となしに伝わってくる。