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「あの……貴女は楓歌さんのお姉さん、とかですか?」
京志郎はおずおずと問うた。
髪の色こそ違えど、見た目の年齢や状況を鑑みれば、そう考えるのが一番もっともらしい。
二人に類似する最大の特徴といえる、尋常ならざる『美しさ』。
この共通点は二人の遺伝子的関係性を強く主張しているように思えた。
髪には脱色などを施しているのだろうか。大人しい楓歌の姉にしてはなかなかにファンキーである。
女は問いにはすぐには答えず、むしろ京志郎の言葉にあっけにとられたようにポカンと口を開けたままだった。そして、
「……っぷ、くくく、ふふ、ふはははは!」
吹き出し、やにわに大声で笑い出す。
「はははは!我が楓歌の姉か!此れは良い!」
女は腹を捩じらせて哄笑する。
「傑作だ!実に面白い戯れ言だ!くく、ふはははは!」
何がそんなに可笑しいのか。京志郎は思わずむっとする。
例え、この問いが見当外れだったとしても、そこまで笑われる謂れはない。
「くくく、済まぬ済まぬ。此れ程面白い戯れ言は久方振りだったものでな。ついつい小判草の様に笑って仕舞った」
そんな可愛い笑い方じゃなかった気はするが、深くは突っ込まない。
「いやぁ、まさか人間、況して楓歌の姉に間違われるとは、予想だにせんかった。魑魅の類と捉われた成らば、神罰の一つでも下して遣ろう云う物だが……其の様なうら若き娘に見紛われる成らば悪い気はせんなぁ!」
かっかっかっ、と女は豪気に笑う。
この女は楓歌の姉などではない。こんな磊落な気性の人間が、楓歌の姉のはずがない。
もし、姉妹だというならば、父が違うとか、そういう少々複雑なご家庭に違いない。
「んん~?何だ、我の素性の訝って居るのかぁ?」
「いや、別に……」
「ふむ……。先程の問いと云い、本当に何も聴き及んで居らぬ様だな。楓歌め、口下手にも程が在るぞ。まさか、此れ式の事も説明出来ぬ程阿呆と云う訳では在るまいな……」
女の言葉はいやに辛辣だったが、
(あれは口下手とかいう問題ではないような気もする)
京志郎も似たような失礼な感想を抱いていた。
女はマッサージチェアから立ち上がり、再び京志郎にずいと顔を寄せる。近くで見ると、女の纏うオーラの濃さがより強く肌に伝わる。
じーっと顔を見つめた後、目を合わせながら、立ったりしゃがんだりして、京志郎の目線を追っているように見えた。
「まぁ良い。敬虔の念が欠けて居る点は頂けないが……其の割には、我の姿影を捉え、我に呼応し得るだけの力は持って居る様だな。素養に関しては申し分在るまい。我の羽翼にも成り得るだろう」
そう言って腰に手を当て、軽く微笑んだ。
その笑みには美しさだけでない、不可思議な魔力があった。人の心根を引き付け、浄化し、包み込んで癒すような神秘的な力だった。
後になって思えば、この感覚は、女の超常的な神々しさに、京志郎の第六感が本能的に女を人ならざる何かとして認識していたことに起因したのだろう。
「御主に我自ら、我の真名を給えよう」
女は豪快にして力強い声で言う。
「我が名は恋火」
そして、恐らく京志郎の記憶の中に、永劫消えることの無い科白を口にした。
「此の磐蔵神社に祀られし、神だ」
満面の彼女の笑みには、灼たかな後光が差していた。
◆
気まずさを払拭したいと思っている時に、ついつい目の前の飲み物に手を出してしまうということは良くあることだろう。
そんな心理に従順に、京志郎は、ずずと湯呑みに入った緑茶を飲んだ。
いや、飲むと言うほどではない。ほとんど舐める程度に近い。
居た堪れなくなって茶に口を付けたが、本当はもう液体の摂取などしたくはなかった。
楓歌が湯呑みを差し出してから、入っていた煎茶をもう5杯ほど胃に下した。
湯呑みが空になると、求めてもいないのに、楓歌はすかさず茶のおかわりを注いでくるため、この数分の間に水分摂取量の限界値を向かえてしまったのだ。
いつトイレに行きたくなってもおかしくない。給仕をしてくれている楓歌には申し訳ないが、これ以上湯呑みに口をつけることは無いだろう。
その楓歌はというと、京志郎の左隣に姿勢を正して正座し、無表情のままで何も無い空間をぼんやりと見つめている。
表情からは何を考えているのか皆目見当がつかないが、察するに、楓歌の心境も穏やかではなさそうだ。
何とかして間を持たせたいという真理が働いたが故の、隙の無い給仕なのだ。
無理もない。過度な静寂が身体の毒であることは言うまでもない。
「……」
「……」
「……」
黒咲邸の居間で木製テーブルを囲む三者の間に、腰の重い沈黙がどっしりと鎮座してから、もう数分になる。
静止した空間は着実に京志郎の精神的ストレスを蓄積させていった。
普段ならば京志郎から雑談の種になりそうな話題の一つでも提供しただろうが、如何せん、今は状況が状況だ。
警戒心が先行し、会話どころではない。
「えっと、本当は先に教えておきたかったんだけど……」
やがて、おずおずと楓歌が口火を切る。
当然だろう。京志郎を招き入れたのは楓歌なのだから、場を仕切るのも楓歌の役目だ。
「でも一応紹介ね……」
楓歌は身体を京志郎の方へ向け、居間に座するもう一人の人物に手へ差し出し、
「こちらは恋火さま」
紹介を受けた恋火は、腕組みをしたまま難しい顔をし、畳の上で胡坐をかいている。
そして彼女は京志郎、楓歌の居心地の悪さの原因でもあった。
「えっと、何て言ったら良いんだろう……。ちょっと前からウチに住んでて、」
「待て、楓歌」
長く押し黙っていたかと思えば、恋火はいきなり口を開き、
「些と前とは何だ。我は貴様らの産まれるうんと前から此処に居るのだぞ。其れこそ御主の曾祖父が未だこぉんな矮小だった頃からな」
人差し指と親指で胡麻一粒分ほどの超微小な隙間を作って見せる恋火。
急に横槍を入れられたが、楓歌は表情一つ変えず、
「あ、そっか」
(納得、するのかよ……!)
「えっと、じゃあ何て言ったら……」
「何ともなにも、有りの儘を伝えたら良いで在ろう」
恋火の言葉に促され、しばらくして楓歌は躊躇いがちにこう言った。
「……恋火さまは、この神社に住む神さまなの」
「正確には我が居った処に、此の社が造られたのだがな」と、ものぐさに恋火が補足する。
――ああ、これはなんだ。
何の冗談だ?贅沢にも美女二人を使って自分に仕掛けられたドッキリかなにかか?
しかし、語らう楓歌の表情は至って真剣。むしろ、自分の中の真実を明かし、それを受け入れてもらいたくて、少々緊張している風にすら見える。
ならば夢か?幻か?
……願わくばそうであってほしい。これが現実などと言わないで欲しい。