選ばれた死
非常警報が城全域に鳴り響いた。
重なり合うその音は鋭く、長く眠っていた何かを呼び覚ますかのようだった。
同時に、外部警備網が起動する。
最高警戒レベルの信号が拡散し、周辺の複数の警察機関へと伝播していく。
管制室で、ジロウ・セイシキは瞬きもせずに監視モニターを見つめていた。
その一画に、主の姿が映る。
高宮ミスズが目を覚まし、顔は青ざめ、呼吸が荒い。
セイシキは通信ボタンを押した。
同時に、主の寝室では専用回線の電話が鳴り響き、静寂を切り裂く。
「落ち着いてください、ミスズ様」
声は低く、強く抑えられていた。
「何が起きても、その扉は絶対に開けないでください。
……よろしいですね」
分厚い鉄扉の向こうで、ミスズは喉を鳴らす。
「……ええ。
わかりました、セイシキさん」
警報は止まらない。
この城が築かれて以来、一度も鳴ったことのない音だった。
セイシキは理解していた。
増援が来る。
視線が増える。
銃口が増える。
人間が増える。
それは同時に、シガクの逃げ場が狭まるということでもあった。
そして――
何かを必ず残すということでもある。
「ならば……」
彼は低く呟く。
「もう、隠す必要はない」
深く息を吸い込む。
「権力を殺す亡霊……」
「シガク」
セイシキは机の引き出しを開けた。
そこには、淡く青く光る液体を封じた小瓶が横たわっている。
彼は一瞬の迷いもなく、それを一息に飲み干した。
灼けるような熱が喉を貫く。
無数の針が内側から突き刺すような痛みが、全身を駆け巡った。
セイシキは目を閉じ、歯を食いしばる。
数秒後、彼は目を開く。
姿勢が変わっていた。
背筋が伸び、
肉体が引き締まる。
彼は拳銃を手に取り、立ち上がる。
(今夜、ここで命を落とすとしても)
(王を殺す敵と対峙することこそ、首座影護課の誇り)
管制室に残る二人のオペレーターへ視線を向ける。
「よく見ていろ」
短く告げ、彼は部屋を出た。
セイシキは廊下を駆け、ミスズの私室へ向かう。
そこに――
分厚い鉄扉の前に――
黒装束の人影が立っていた。
そして、その傍らに、
人ならざるものが浮かんでいる。
長い髪を垂らした女の影。
半身は霧に溶け、裂けすぎた口を開いたまま、
ゆっくりと鉄扉へ近づいていた。
まるで、そのまま貫こうとするかのように。
扉の内側で、ミスズは厚い布団に身を潜め、声もなく震えている。
セイシキは銃を構えた。
――ドン!
弾丸は鉄扉に叩きつけられ、乾いた金属音を響かせて跳ね返る。
黒衣の男は、最小限の動きでそれをかわした。
同時に、
その傍らの亡霊が引き剥がされるように後退する。
霧の輪郭が歪み、
今まさに越えようとしていた扉から、完全に断ち切られた。
___
誠式 ジロウは引き金を引き続けた。
銃声が霧を切り裂き、弾丸が次々と空間を貫く。
彼は撃ちながら前進する。
一切のためらいなく、距離を詰めてくる。
リオは反撃しない。
ただ避けるだけだ。
横へ、後ろへ、間合いを保ちながら、無駄のない動きで弾道から身を外す。
銃弾は何度も彼の身体をかすめるが、致命には至らない。
その傍らで、ユウセイが低く漂っている。
決して遠くへは行けない。
魂に縛られた影のように、常にリオのそばに在り続ける。
――カチリ。
弾切れ。
誠式 ジロウは即座にその銃を捨て、床に倒れた隊員の手から別の拳銃を奪い取った。
隊員の目は開いたまま、身体は震えている。
意識はすでに失われ、ユウセイが呼び起こした恐怖の底に沈んでいた。
再び、銃声。
リオは歯を食いしばる。
――さすがだ、首座影護課。
――ユウセイの囁きを、抑え込めている。
――呼び出した俺ですら、制御が難しいというのに。
弾丸は止まらない。
セイシキは間を与えない。
撃ちながら位置を変え、進路を切り、リオを追い詰める。
距離が、確実に縮まっていく。
リオの視線が高速で巡る。
床。壁。天井。影。
すべての可能性を探る。
――今ここで奴を殺せば……
――増援が来る前に、標的を仕留められるかもしれない。
その瞬間、ユウセイの囁きが、さらに深く侵食する。
水上 リオ……
ここまでだ。
こんな追い詰められ方、初めてだろう?
お前は失敗する。
言葉は刃となり、意志を削る。
砂が岩を摩耗させるように、静かに、確実に。
――このままでは……
――ユウセイに、魂の芯を削り尽くされる。
リオは避け続ける。
一歩。
二歩。
また一発、信じられないほど近くを弾丸が通り過ぎた。
「来い、シガク!」
セイシキが叫ぶ。声が廊下に反響する。
「貴様の殺し方を見せてみろ!」
管制室では、二人のオペレーターがモニターを食い入るように見つめていた。
画面の中で、セイシキは虚空に向かって銃を撃ち、誰かに怒鳴っている。
熱感知センサーは反応しない。
金属探知も、セイシキの銃以外を捉えない。
そこには、何も映っていない。
敵の姿は、存在しない。
二人は顔を見合わせる。
困惑が、やがて恐怖に変わっていく。
その廊下で――
外の世界から見れば、セイシキは独りで戦っている。
だが、セイシキにとって。
そして、リオにとって。
これはもはや、退くことを許されない
二つの意志の、正面衝突だった。
____
ジロウの動きが、さらに加速する。
腕の血管が浮き上がり、皮膚の下で淡い青光が脈打っていた。
――急がなければ。
――この薬は、十分しか持たない。
カチリ。
再び、弾切れ。
ジロウは躊躇なく拳銃を投げつけた。
狙いは殺傷ではない。反応を奪うためだ。
リオは半歩横にずれてかわす。
ドンッ!
別の銃口が閃き、弾丸が稲妻のように追いすがる。
それはリオの腕に命中し――止まった。
弾丸は床に落ち、短く転がって静止する。
黒い棘の隙間に、食い込んでいた。
なるほど……
あの光って見えたものは……
ジロウは目を細める。
金属。
黒い針。
以前の犠牲者から発見されたものと同じ……
武器であり、防具でもあるというわけか。
リオは間を与えない。
両手が素早く動き、解放の印を結ぶ。
一。
二。
三。
四。
「――ハァ!」
五つ目の動きと同時に、何かが引き剥がされた。
ユウセイが、リオの身体から弾き出される。
歪んだ霧となって跳ね飛び、ミスズの部屋へと一直線に走った。
他に選択肢はない。
あいつを放つしかない。
標的を引きずり出せ――
まだ時間はある。警備が完全に戻る前なら。
ジロウの意識が切り替わる。
銃口がユウセイを追う。
ドン!
ドン!
無意味だった。
弾丸は霧を貫くだけで、何も捉えられない。
ユウセイはすでに壁をすり抜け、姿を消していた。
遅い。
何かが、ジロウの後頸部へと飛来する。
ギャリッ。
黒い針が壁に突き刺さり、半分以上を飲み込ませて止まった。
ジロウは紙一重でかわし、息を詰める。
壁を見る。
「これがお前の武器か」
低く、確信に満ちた声。
「急所を狙う針。
その腕と脚に仕込んだ無数の刃」
リオは何も答えない。
「今回は標的以外も殺すつもりか?」
ジロウは薄く笑った。
「俺を殺すには、千本でも足りんぞ。シガク」
一気に踏み込む。
銃を握った拳が唸りを上げる。
速い。鋭い。
リオは半身でかわす。
ガキンッ!
至近距離で放たれた一発が、リオの仮面をかすめた。
表面に、細かな亀裂が走る。
リオが退く。
ジロウが詰める。
リオが踏み込む。
ジロウがかわす。
再び銃声。
リオは黒針で受け止め、金属音が廊下に響く。
違う……
ここまで耐える人間は、初めてだ。
その時――
ギィ……。
重い金属音とともに、扉が開いた。
高宮 ミスズが姿を現す。
顔は蒼白。視線は虚ろ。
背後から、ユウセイが抱きついていた。
霧の腕。裂けた口。歪んだ笑み。
「ミスズ様!!」
「戻れ! 扉を閉めろ!」
ジロウが叫ぶ。
残る弾を、すべてリオに向けて放つ。
三発。
すべて外れる。
ミスズが、ゆっくりと振り向いた。
背中が、完全に晒される。
ユウセイが、声なき笑いを漏らす。
「……くそ」
ジロウが吐き捨てた。
リオは腕から一本の針を引き抜く。
投擲。
針は一直線に、ミスズのうなじへ――
ジロウが走る。
迷いなく。
躊躇なく。
その身を、軌道に差し出す。
ズブリ。
黒針が首筋を貫き、完全に沈み込む。
ジロウの身体が揺れ、膝をつく。
リオは、もう一本の針を抜いた。
今度は、誰も止めない。
針はミスズのうなじを貫いた。
彼女の身体は、力を失い、崩れ落ちる。
静寂。
数秒後、警備兵たちが次々と意識を取り戻す。
荒い息。震える指。説明のつかない恐怖。
彼らの前に横たわっていたのは、二つの亡骸。
誠式 ジロウ。
そして、高宮 ミスズ。
二人とも、息をしていない。
ジロウの首元の傷から、
青みを帯びた血が、静かに床へと流れ出していた。
静かに現れ、
死体だけを残して去っていった――
それが、その“伝説”だった。




