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刻命 - KOKUMEI  作者: カンボロ


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2/4

水上リオ(みずのえ・リオ)

晴れ渡った朝、ひとりの男が二階にある書斎を後にし、階段を下りてきた。

階下からは、朝食の香りが家中に広がっている。

小さな家の台所では妻が忙しそうに立ち働き、すぐそばの小さなベッドでは、赤ん坊が穏やかな寝息を立てて眠っていた。規則正しい呼吸、安らかな顔。

男は静かに近づき、ベビーベッドの縁に片手を置き、身を屈めてその小さな顔を覗き込む。

いつの間にか、微笑みが浮かんでいた。それほど自然で、自分でも気づかないほどに。

「おはよう、凛」

彼は小さく囁いた。

「今日も、きれいだね」

ほんの一瞬、外の世界が消えたように感じられた。

ゆっくりと流れる時間と、自分の人生を満たしてくれる小さな存在だけがそこにあった。

「リオ」

台所から妻の声がする。

「着替えてきて。朝ごはん、もうすぐできるわ」

リオは顔を上げ、立ち上がった。

その笑顔はまだ消えないまま、軽い調子で答える。

「わかったよ、愛しい妻」

足音を忍ばせて歩み寄り、後ろからそっと抱きしめる。

「会えなくて、すごく寂しかった」

突然のことに、妻は小さく悲鳴を上げ、すぐにくすりと笑った。

水ノ江リオ、二十八歳。

皇国コウコクの首都・新京シンコウの外縁に位置する衛星都市、**アカツキ**で暮らしている。

新京中心部にあるオフィスビルの一つで、彼はごく普通の会社員として働いていた。

職場の窓からは、高層ビル群、林立する塔、夜ごとに輝く新京の光景が一望できる。

進歩と繁栄の象徴。

手が届きそうで、決して掴めない場所。

リオは流れ者だった。

東の彼方、**極東島キョクトウ**で生まれ育った。

資源に恵まれ、金鉱さえ眠る島。

しかしその富は住民の生活とは無縁だった。

資源の恩恵は支配者たちの手にのみ流れ、島に残されたのは貧困と疲弊。

極東島は「取り残された土地」と呼ばれ、生きるに値しない場所として扱われていた。

リオはその島を去った。

理由は単純だった。

もっと良い人生を、もっと公平な世界を信じたかった。

新京は、その答えだった。

少なくとも、かつてはそう信じていた。

妻の名は時雨いはな(ハナ・シグレイ)、二十四歳。

聡明で、飾り気のない女性だ。

結婚前は仕事を持ち、自分自身の世界を生きていた。

だが結婚し、妊娠し、娘――**凛(水ノ江 凛)**を出産してからは、仕事を辞め、この小さな家庭に人生を注ぐことを選んだ。

それは後悔を伴う犠牲ではなかった。

彼女にとって、それが最も自然で、正しい選択だったのだ。

二人が暮らすのは、街の片隅にある簡素な家。

広くもなく、豪華でもない。

それでも温かな朝食と、小さな笑い声、声に出されることのない希望を抱くには十分だった。

外から見れば、彼らはほとんど理想的な家族だった。

多くの人が密かに憧れる、ごく静かな幸福。

ダイニングで、リオはゆっくりと朝食を口に運ぶ。

時折、窓辺で凛を抱くハナに視線を向ける。

朝の光が妻の頬を柔らかく照らし、腕の中の小さな命は静かに眠っていた。

リオは微笑む。

穏やかで、あまりにも完全な笑み。

まるでこの日々に、影が入り込む余地などないかのように。

部屋の隅で、テレビがついていた。

誰も気に留めていなかったその画面に、朝のニュースが映し出される。

――警察幹部、死亡。

皇国警察より衝撃的な知らせが入った。

国家警察監察局長、**残暮勝郎ザンボ・カツロ**が、自宅で死亡しているのが発見された。

同じ現場で、彼の護衛を務めていた警察官、**松壁博人マツカベ・ヒロト**も死亡していた。

初期報告によれば、残暮の遺体は自宅二階の私室で発見され、頭部に銃創があった。

彼の手元には拳銃が残されていた。

一方、松壁は一階、階段付近で倒れており、同じく致命的な銃創を負っていた。

二人の遺体が異なる階で発見されたことから、事件は単純な自殺として片付けられてはいない。

警察は、殺人、あるいは別の可能性も含め、慎重に捜査を進めている。

内部では関係者への厳格な事情聴取が始まり、この事件は警察組織全体を揺るがしていた。

さらに、事件と時を同じくして、残暮勝郎が全国規模のオンライン賭博ネットワークの後ろ盾であったという噂が、証拠めいた情報と共に流れ始めている。

だが警察当局はこれを全面的に否定し、公式な捜査結果を待つよう呼びかけている。

ハナの動きが止まった。

視線はテレビ画面に釘付けになる。

「ねえ……」

リオは顔を上げた。

「最近、こういう話ばかりよね」

「亡くなる人、みんな……どこかおかしい過去を持ってる」

リオは小さく頷いた。

「会社でも話題になってる」

少し間を置いて、ハナはためらいがちに言った。

「もし噂が本当なら……」

「罰が当たった、ってことなのかしら」

リオは箸を止め、視線を落とした。

「人を裁くのは、得意じゃない」

静かにそう言ってから続ける。

「でも……どんな行いも、いつか自分に返ってくる。良くても、悪くても」

再び食事を口に運ぶ。

その笑顔は、先ほどよりもわずかに薄かった。

そのとき、彼の脳裏に――昨日の記憶がよぎる。

前日。

午前六時五十分。

リオは駅へ向かう道を歩いていた。

ほぼ毎朝通る、同じルート。

二十分ほどの道のりで、街が目覚めていく様子を眺めることができる。

小さな家並みが、半分シャッターの降りた商店街へと変わる。

街灯はまだ消えきらず、朝の空気は冷たく澄んでいた。

淡い灰色のシャツ、濃色のスラックス、黒の革靴。

背中のリュックにはノートパソコンと数冊の本。

目立つものは何もない。

彼はただの通勤者の一人にしか見えなかった。

午前七時、ちょうどその瞬間。

リオの足が、ほんの一瞬だけ止まる。

右手の掌に、灼けるような熱が走った。

呼吸を止めるのは一拍だけ。

表情はほとんど変わらない。

歩きながら、彼はそっと手を開く。

掌に、ひとつの文字が浮かび上がっていた。

――刻命。

一瞥で十分だった。

幻ではない。

数秒後、文字は消え、熱も跡形なく消え去る。

リオは拳を握り、再び歩き出した。

駅に近づくにつれ、人の流れが増えていく。

スーツ姿の会社員、制服の学生、子どもの手を引く母親。

会話と足音、車の音が混ざり合う。

リオはその流れに溶け込む。

何事もなかったかのように。

駅構内はすでに混雑していた。

電子掲示板が淡く点滅し、改札機が規則的な音を立てる。

カードをかざす。

短い電子音。

午前七時三十分。

首都行きの列車が滑り込んでくる。

リオは扉の近くに立ち、列車は定刻通りに発車した。

外から見れば、それはただの平凡な一日だった。

だが誰も知らない――

水ノ江リオは、すでに今夜に備えている。


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