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刻命 - KOKUMEI  作者: カンボロ


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16/17

命の糸

「あの時のことは、今でもはっきり覚えている。夕日が沈みかけた頃、元太郎は俺を島の中央部、火山の麓にある森へ連れていった。最後の集落から、三時間近く歩いた。進めば進むほど、音が消えていった。」

花は俺の前で静かに耳を傾けていた。

「古びた鳥居に辿り着いた。あの夜は月がやけに明るかった。柱の先に一羽の烏が止まっていて、俺たちを見下ろしていた。そして、鋭く鳴いた。まるで――俺たちの到着を知らせる合図みたいだった。」

「怖くなかったの?」と花が小さく問う。

「死んでからというもの、怖いと思えるものに、まだ出会っていない。」

俺は一瞬だけ視線を落とし、続けた。

「元太郎は鳥居の前で足を止め、祈った。俺もそれに倣った。鳥居の奥には、森の中にぽつんと佇む古い社があった。屋根は落ち葉に覆われ、隅には蜘蛛の巣が張りついていた。灯りもない。人の気配もない。」

花は眉を寄せたが、口は挟まなかった。

「中に入ったのは、もう真夜中を過ぎた頃だ。空気が違った。冷たいというより、重い。まるで建物そのものが呼吸しているようだった。ただし、人の呼吸じゃない。」

花は俺を見つめ、やがて静かに尋ねた。

「……中には、何があったの?」

社の内部は、最初はただ暗く、静まり返っていた。だが次第に空気が張り詰めていく。黒い煙が、柱の亀裂や床の隙間、朽ちかけた壁の継ぎ目から滲み出した。煙は拡散せず、意思を持つかのように中央へと集まっていく。

壁がゆっくりと高く伸び、狭かった空間が広がった。天井は闇に溶け込むように持ち上がり、朽ちていたはずの梁が影の中で形を変える。やがて、灯籠がひとつ、またひとつと自然に灯り始め、淡い橙色の光が揺れた。

集まった煙は渦を巻き、その中心から巨大な影が姿を現した。

人の体躯を持ちながら、頭は梟。暗闇の中で、その目だけが静かに光っていた。瞬きはない。ただ、見下ろしている。

元太郎は即座に膝をついた。

その存在を、リオは知っていた。死神の傍らに、常に立っていた影。より古く、より深い領域に属する監視者。

リオもまた、無言で膝をつく。

低く、どこからともなく響く声が落ちた。

「……いよいよ、訓練を始めるのだな。」

「はい、キョクロ様。ここにて、こやつが死神大いなる御方の役に立つ器となるまで、私が鍛え上げます。」

梟頭の存在――キョクロは静かに頷いた。

「よかろう。元太郎、お前に任せる。」

キョクロは足を三度、床へ打ちつけた。

一度。

二度。

三度。

その瞬間、床は板ではなくなった。静かな水面のように揺らぎ、黒く深い液体へと変わる。波紋がゆっくりと広がった。

その奥底から、木箱が浮かび上がる。まるで見えない海の底から、押し上げられてくるかのように。

箱が完全に姿を現すと、水面はすぐに固まり、床は元の古びた板へと戻った。同時に、広がっていた空間も収縮し、灯籠の火は消え、煙は跡形もなく消散する。

社は再び、朽ちた無人の建物へと戻っていた。

床の上には、ただ木箱だけが残されている。

リオはもはや驚かなかった。この種の歪みは、すでに経験している。異界の理は、彼にとって見知らぬものではなくなりつつあった。

元太郎が立ち上がり、振り返る。リオもそれに続いた。

「その箱を取れ。」

リオは歩み寄り、木箱を抱え上げる。古びているが、重い。長さおよそ五十センチ、幅三十センチ、高さもほぼ同じ。

元太郎は何も言わず、社の外へ出た。月明かりの差す境内で足を止める。

「開けよ。それはお前の箱だ。お前にしか開けられぬ。」

二つの金具が、箱を固く閉ざしていた。リオが触れた瞬間、指先に微かな震えが走る。

金具を外し、蓋を持ち上げた。

中には、丁寧に畳まれた装束。その上に、角の長さが揃わぬ二本角の赤子面。さらに、黒い針のような突起で覆われた籠手と脛当てが収められていた。

「……これは?」

「コクメイの装束だ。任務の際に用いる。」

元太郎は感情のない声で告げる。

「それを纏えば、お前はもはや只人ではない。」

静かな間の後、言葉が落ちた。

「――殺しの亡霊となる。」

元太郎は一歩退いた。

「着ろ。第一の教えを始める。」


_____

リオはその装束を身にまとった。布は身体にぴたりと馴染み、まるで最初から彼のために仕立てられていたかのようだった。長さの異なる二本角の赤子面を顔に当て、黒い針で覆われた籠手と脛当てを装着する。

彼は静かに、その感覚を探った。

針はすべて伏せられ、表面に沿って収まっている。しかし意識を集中させた瞬間、反応があった。針が動く。ゆっくりと外へせり出し、脅威に対峙する山嵐のように開いた。一本一本の存在がはっきりと感じられる。まるでそれらが自身の神経と直結しているかのようだった。

「正確な射撃を持つと聞いたが。」

元太郎が言う。

「ええ。知る者は多くありません。ですが、死神は多くを知っているのでしょう。」

「お前は、そのために生まれた。」

リオはわずかに思案する。

「……そうかもしれません。」

元太郎は胡坐をかき、両手で素早く印を結ぶ。そして掌を地面へと打ちつけた。

地面が微かに震え、先ほどと同じ木箱が現れる。

元太郎はそれを開き、中から一振りの刀を取り出した。

「お前が精密な射を与えられたように、私は剣を授かった。」

彼は立ち上がる。

「さあ、その力で己を守れ。私の刃から生き延びてみせろ。」

チッ。

ほとんど間もなく、元太郎の刀はすでにリオの胸を貫いていた。

正確に、心臓を。

「まだだ。」

元太郎の声は冷静だった。

「脳が、新しい身体を動かしきれていない。」

刀が引き抜かれる。

リオの身体は力を失い、その場に崩れ落ちた。


ほどなくして、リオの意識は戻った。

彼は地面に横たわっていた。視界は滲み、呼吸は途切れがちだった。

記憶は失われていない――元太郎の剣が、確かに心臓を貫いた。

あの痛みは消えていない。今もなお、胸の奥で灼けるような鼓動となって残っている。

彼は指を動かそうとした。

身体が重い。鈍い。

脳からの命令が、見知らぬ層をいくつも突き抜けてからでなければ、筋肉に届かないかのようだった。

元太郎は、数歩離れた場所に立っていた。

「起きろ」

平坦な声だった。

リオは身体を動かそうとする。

肘をつき、身を起こそうとした、その瞬間――

シュッ。

何の前触れもなく、剣閃が落ちた。

リオの首は、きれいに断ち切られた。

世界が回転する。視界は、地面を転がる自分の頭部とともに落下した。

逆さまの視界の中で、彼は見た。

自分の身体が、ほんの一瞬だけ膝をついたまま留まり、そして崩れ落ちるのを。

意識は、まだ消えていなかった。

遠く、それでいてはっきりと、元太郎の声が響く。

「命の糸――それは、新たに契約を結んだコクメイだけに与えられる特権だ」

「契約から三か月の間、コクメイの身体は完全には壊れない」

リオは、奇妙な感覚を覚えた。

引き寄せられるような、微かな牽引。

見えない何かが、断ち切られた身体の各部を繋いでいる。

「一本の“脈”だ。決して断たれぬ糸のように、引き裂かれた部位を再び結び直す」

ゆっくりと、彼の頭部が引き戻される。

肉が癒合し、骨が噛み合う。

光も奇跡もない。ただ、灼熱と圧迫が延々と続く地獄の感覚だけがあった。

首が元に戻った瞬間、リオは喘いだ。

身体は、まだ地面に横たわったままだ。

「身体は再生する」

元太郎は淡々と続ける。

「だが、痛みは現実だ」

リオは深く息を吸おうとしたが、肺が焼けるように悲鳴を上げた。

「つまり、適応しろ」

「さもなければ――」

元太郎の声は、冷酷な事実として落ちる。

「この身体が学ぶまで、私は何度でもお前を殺す」


____


夕方。退勤時間。

ホームは仕事帰りの人々で溢れていた。足音、自動ドアの開閉音、発車を告げるアナウンスが重なり合い、いつも通りの喧騒をつくっている――ただ、二人にとってだけは違った。

まだ停車している車内で、ハナはリンを抱いて立っていた。足元には小さなキャリーケース。持ち手を強く握りしめている。目は赤く、呼吸は一瞬荒れたが、必死に整えようとしていた。まるでただ別の街へ向かう、ありふれた乗客であるかのように。

リンは腕の中で小さく身じろぎする。指先が無意識に開いたり閉じたりし、ときおり母の胸元に顔を寄せた。

ホームには、リオが立っている。

車内はそれほど混んではいない。空席もある。押し合う人もいない。急ぐ理由もない。それでも、二人のあいだの距離は、すでに決定的だった。

ガラス越しに、リオとハナは見つめ合う。

視線は、音にも、人の流れにも遮られない。ただ一枚の窓ガラスと、すでに下された決断だけが、そこにある。

リオの目も赤い。だが彼の表情は、ハナよりも抑えられていた。静かで、ほとんど無表情に近い。それでも、顎の奥にわずかな緊張が走っている。

彼の脳裏に、記憶がよみがえる。

かつて――ほとんど同じ時間、同じ列車の中で、彼は初めてハナを見た。

最初はただの一瞥。

やがて、もう一度。

そして、何度も。

ついに、ハナがその視線に気づいた。

次の出会いは偶然だった。

その次は、偶然を装った必然。

そしてある日、ハナは彼に微笑んだ。

その笑顔は特別なものではなかった。

だが、彼の人生の向きを変えるには、十分だった。

発車を告げる警告音が鳴る。

ドアが閉まる。

リオは動かない。

ハナも動かない。

列車がゆっくりと走り出しても、二人の視線はできる限り絡み合ったままだった。

やがて、その距離は現実になる。

列車は遠ざかっていく。

そして、その動きとともに、ハナは去っていった。





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