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刻命 - KOKUMEI  作者: カンボロ


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14/17

死からの帰還

リオは黙り込んだ。

思考が巡り、絡まり、存在しないかもしれない隙間を探していた。

――他に選択肢はないのか。

――俺は、殺し屋になりたいと思ったことなんて一度もない。

心の中で、そう呟いた、その瞬間。

再び、あの声が響いた。

今度は距離もなく、反響もない。

「……本当に、愚かだな。その思考は。人間よ」

リオは肩を震わせた。

だが、その驚きは、もはや最初のものとは違っていた。

彼は、はっきりと理解し始めていた。

この存在の前では――

思考そのものが、言葉なのだと。

ならば、とリオは覚悟を固める。

「……ならば」

低く、しかしはっきりと口にした。

「他の選択肢があるなら、教えてくれ」

顔を上げる。

「消える、とか……」

「完全に、無になる、とか」

「ない」

死神は即答した。

議論する価値すらない、と言わんばかりの平坦な声だった。

「お前の生は、不運に満ちていた」

「それが、理由もなく起きたと、本気で思っているのか」

空間が、重く沈む。

「本来、守るべき立場にある者たちが」

イズライルは続けた。

「権力によって、他者の人生を踏みにじった」

「その決断が、苦しみを生んだ」

「そして、その苦しみが……名を書き記す」

声が硬質になる。怒りではない。確信だ。

「その名は、やがて私のもとへ届く」

「一つ、また一つとな」

「そして――お前が、処刑する」

一拍の沈黙。

「それは、正当ではないか?」

リオは答えなかった。

胸が重い。

怒りでも、納得でもない。

ただ理解していた。

その問いは、倫理的同意など求めていない。

死神は続ける。

「もう一度だけ言う」

「私は、二度目の選択は与えない」

静寂。

「受け入れるか」

「虚無へ戻るか」

リオは喉を鳴らした。

残された理性を掻き集めるように、問い返す。

「……どうやって」

「どうやって、俺は……影響力のある人間を殺す?」

声が、わずかに震えた。

「俺は……まだ、誰も殺したことがない」

死神の笑いが炸裂した。

その声は社の全体に轟き、

空気そのものが震えるほど重く、深かった。

「目覚めることになる」

イズライルは言った。

「誰かが、お前を救う」

その唇が、わずかに歪む。

「そして、やり方を教えるだろう」

玉座の右側に立つ守護者が、半歩前へ出た。

その小さな動きだけで、空気が張り詰める。

「この力を受け入れるなら」

無感情な声で告げる。

「人の大地に、頭を垂れよ」

一瞬の間。

「その俯きは、服従」

「魂を――完全に――偉大なる死神へ捧げる証」

守護者は、わずかに玉座を振り返った。

「そして、その瞬間」

「お前は、新たに生まれる」

「――コクメイとして」

左側の守護者が、冷ややかに続ける。

「死神の意思により動く者」

「暴虐なる支配者を処刑する存在」

「私怨によらず」

「人の正義にも拠らない」

コクメイ……

その名が、リオの内側で反響した。

称号ではない。

重荷として。

もはや、迷いは生と死の間にはなかった。

それは、ずっと前に越えている。

彼が量っていたのは、ただ一つ。

――この先、自分に何が残るのか。

足から力が抜ける。

ゆっくりと、膝を折る。

跪く。

さらに、深く。

額が、冷たい社の床に触れるまで。

声は、ほとんど囁きだった。

「……受け入れる」

息を吸う。

それが、最後に“自分のもの”であるかのように。

「二度目の人生を」

一瞬の沈黙。

「そして……お前の道具となることを」

「――コクメイとして」

わずかに間を置き、付け加える。

「……死神様」


_______

無菌で冷え切った法医学解剖室の一角。

静式 ジローの遺体が、鋼鉄製の解剖台の上に横たえられていた。

首座影護課(首座影護課・Shuza Eigo-ka)の最高指導者、

元首影(Shuei)。

その男は今や、胸元まで白布を掛けられた、ただの亡骸にすぎない。

法医学医がその傍らに立つ。

ラテックス手袋は、すでに暗い液体で汚れていた。

後頭部の小さな傷口から滲み出る血液を、医師はじっと観察している。

鮮やかな赤ではない。

青みを帯びた赤。

やがて、紫へと変色している。

「異常凝固だ……」

医師は低く呟いた。

「通常の毒物ではないな」

死亡時刻は、午前二時〇〇分。

解剖は、午前八時一五分に開始された。

国家警察本部からの特別許可が、直接下りている。

遅延はない。

煩雑な官僚手続きも存在しない。

この事件に、

「通常」という言葉は通用しなかった。

一方その頃。

法医学解剖室の、あの正直すぎる白い光から遠く離れた場所。

暗闇の空間が、重い呼吸音で脈打っていた。

荒い息。

床を打つ足音。

限界を越えるまで酷使される肉体同士の擦過音。

数十の人影が闇の中を動いている。

一切の号令はない。

それでも彼らは、何をすべきかを理解していた。

まるで最初から、そう生まれてきたかのように。

警告灯が赤く点滅し、

三度、金属音が鳴り響いた。

――ガン。

――ガン。

――ガン。

重厚な鋼鉄の扉が、ゆっくりと開く。

外からの光が闇を切り裂き、

屈強な体格の男の姿を浮かび上がらせた。

黒い外套。

顔は影に隠され、整えられた短い顎髭だけが見えている。

足取りは確かだ。

迷いも、躊躇もない。

「首座影護課・予備戦力部隊」

男は淡々と言った。

室内が、即座に静まり返る。

「元大統領・高宮 ミスズを護衛していた元首影――

静式 ジローが死亡した」

いくつかの顔が上がる。

驚愕はない。

あるのは、意識の切り替えだけだ。

「彼は、元大統領 高宮 ミスズと共に殺害された」

沈黙が、さらに重くのしかかる。

「犯人は単独と見られている」

男は続けた。

「特殊能力を有する、高度危険対象だ」

暗闇を見据えるその視線は、

そこにいる全員を正確に捉えているかのようだった。

「即時命令を下す」

「任務は一つだ」

「――追跡、排除せよ」

一拍置き、声を落とす。

「その前に……

静式の遺体を、この施設へ移送しろ」

命令が終わる前に、数名が動き出していた。

「“ファントム・ブルー”の存在を、

表に出すわけにはいかない」

鋼鉄の扉が、再び閉じていく。

光は失われ、

闇だけが残った。


______


神殿の床に、リオの額が触れたその瞬間、意識は途切れた。

そして次に目を開いたとき、世界は重かった。

白い天井。

視界が完全に戻らぬ目に、病院の蛍光灯が鋭く突き刺さる。

身体は鋼鉄のベッドに横たえられていた。冷たく、硬く、

まるで自分が本当に生きているのか、それとも一時的に呼吸を借りているだけなのか、

まだ判断を保留されているかのようだった。

リオは、ゆっくりと右手を動かした。

手首の脈の部分は、厚い包帯に覆われている。

彼はそれを、しばらく無言で見つめた。

鼓動は確かに感じられた。

夢と呼ぶには、あまりにも生々しい。

闇の神殿の記憶が、欠けることなく蘇る。

湿った石の匂い。

押し潰されるような静寂。

そして、自らを「死神」と名乗った存在の視線。

どれも曖昧ではない。

薄れてもいない。

「……戻った、ということか」

リオは、かすれた声で呟いた。

「それとも……まだ、本当に死んでいなかっただけか」

視線を巡らせる。

この部屋は広い。

そして、異様なほどに清潔だ。

厚手のカーテンが窓を覆い、最新式の医療機器が整然と並んでいる。

一般病棟ではない。

ここは明らかに――特別室。

小さな焦りが胸に忍び寄る。

誰が、俺をここへ?

そして――

誰が、これを支払った?

扉が、静かに開いた。

医療スタッフの女性が、落ち着いた足取りで入室してくる。

黒髪はきっちりとまとめられ、乱れはない。

制服は清潔で、無駄な皺一つ見当たらない。

表情は穏やかだが、踏み込みすぎない。

生と死の境界に立つ人間を、日常的に見てきた者特有の眼差しだった。

「こんにちは、水上 リオ様」

手にしたデータボードに目を落としながら、彼女は言った。

「ご気分はいかがですか」

リオは短く息を吸う。

「……生きてはいるみたいだ」

彼女は、わずかに頷いた。

微笑みでも冷淡でもない、業務としての反応。

「他に、気になる点は?」

リオは一瞬ためらい、だが回りくどさを捨てた。

「俺をここに運んだのは、誰だ」

「それと……入院費は?」

女性はデータボードを少し下げた。

「先ほど、こちらへお連れになった男性がいます」

淡々とした声で続ける。

「ご本人は“ご親族”と名乗りましたが、手続き終了後、連絡先等は残されていません」

彼女は透明なファイルから一枚のカードを取り出し、

ベッド脇のテーブルに置いた。

「こちらは、リオ様のキャッシュカードです」

「治療費はすでに、このカードを使用して全額支払われています。医師が完治と判断するまで」

リオはカードを見つめた。

自分のものだ。

間違いない。

左手でそれを取り上げる。

指先が、わずかに震えた。

「……確かに、俺のだ」

「だが、中身は空だったはずだ」

一ゼインも、残っていないと確信している。

女性は、それ以上踏み込まなかった。

ただ、事実だけを告げる。

「その男性は、リオ様が目を覚ました後に渡すよう、こちらを預けていきました」

「ご用件があれば、ナースコールをご使用ください」

彼女は簡潔に一礼し、扉へ向かう。

だが、出ていく直前で、足を止めた。

「――おかえりなさい」

温かさのない言葉。

歓迎ではなく、確認に近い響き。

扉が閉まる。

再び、静寂。

リオはキャッシュカードを強く握り締めた。

顔のない「兄弟」。

知られているはずのない暗証番号。

そして、自分には到底支払えないはずの医療費。

そのとき、リオははっきりと理解した。

二度目の人生は、自由から始まらない。

それは――監視から始まる。

そして記憶の奥底で、

闇の神殿の声が、再び囁いた気がした。

――契約は、すでに発効している。

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