ああ、俺がやった。
警察車両の隊列が、邸宅の敷地内へと進入した。
周辺各区から動員された人員が次々と到着する。
先頭車両が正門に差しかかった瞬間、セキュリティシステムが自動的に反応し、重厚な鉄製ゲートが抵抗なく、ゆっくりと開いた。
管制室では、二人のCCTVオペレーターがまだ持ち場に残っていた。
強張った表情でモニターを見つめたまま、彼らはまだ、直前に起きた出来事を理解しきれていない様子だった。
やがて、邸内の警備員たちが一人、また一人と意識を取り戻し始める。
だがその身体は重く、思考は断続的だった。
本来、最優先で守られるべき人物は、すでに命を落としている。
そして、その警護責任者もまた、同じ結末を迎えていた。
邸宅の一角では、高宮家の家族が集まっていた。
ミスズの息子、その妻、そして孫たち。
泣き声はない。
あるのは、声にならない嗚咽と、ゆっくりと沈殿していく否定しようのない喪失感だけだった。
警察は邸内へ入り、慎重に捜索を進める。
そして、奥の回廊で足を止めた。
そこには、動かぬ二つの身体が横たわっていた。
一人の警官が膝をつき、高宮ミスズの首元に二本の指を当てる。
数秒の沈黙。
脈はない。
別の警官が隣の遺体へと移る。
うつ伏せに倒れているのは、セイシキ・ジロウだった。
確認の結果は同じ。
――反応なし。
ジロウの項からは、わずかに青みを帯びた血液が流れ出ており、すでに一部は乾き始めていた。
それは、人間の身体としては明らかに異常な痕跡だった。
しばらくして、警官の一人が無線を取り、中央へ報告する。
「確認。第五代元大統領、高宮ミスズ邸にて死亡者二名。
一名目、邸宅所有者・高宮ミスズ。
二名目、警備責任者・セイシキ・ジロウ。」
その頃、
水上リオはすでに塔の頂にいた。
彼は一瞬だけ、光と影に包囲された高宮ミスズ邸の方角へ視線を向ける。
その顔に後悔の色はない。
あるのは、引き返す地点を越えてしまった者だけが持つ、空白の眼差し。
リオは背を向けた。
眼前には、一枚の巻物が広げられている。
刻まれた紋様が、かすかに脈動するように淡く輝いていた。
リオは膝をつき、巻物の中心に描かれた印へと手をかざす。
――ブフッ。
世界が、ずれる。次の瞬間、彼の身体は自宅の一室へと転移していた。
その直後、巻物は黒い炎に呑み込まれ、跡形もなく消え去った。同じように、塔に残されていた巻物もまた、黒炎に包まれ消滅した。
目を開いたリオは、思わず息を呑む。
私室の中は、明かりに満ちていた。
一瞬の静寂。
――ドサッ。
背後で、何かが倒れる音。
リオは振り返る。
そこには、床に座り込んだハナの姿があった。
半歩後ずさるように倒れ、両手で床を支えている。
目を見開き、呼吸は浅く、喉が凍りついたように声が出ない。
恐怖が、あまりにも唐突だった。
リオはゆっくりと手を上げ、仮面を外す。
「ハナ……俺だ。」
ハナは答えない。
胸が激しく上下し、気づかぬうちに涙が頬を伝っていた。
その顔には、もはや一つの感情として整理できない混乱だけが浮かんでいる。
震える唇が、ようやく言葉を紡いだ。
「……あなたは……
一体、何者なの……?」
____
午前六時。
高宮ミスズの邸宅は、一夜にして人の海と化していた。
医療班が慌ただしく動き回り、倒れた警護員たちを一人ずつ確認していく。担架で運ばれる者もいれば、地面に座り込んだまま、虚ろな目で夜の空白を埋めようとする者もいた。
彼らは、自分たちが何を見逃したのかを、まだ理解できていなかった。
二つの遺体が、救急車へと収容される。
高宮ミスズ。
そして、聖式ジロウ。
高宮家の家族はすでに確保され、極秘の場所へ移送されていた。
敷地内の主要エリアに、その姿はない。
遠方には、数百人規模の報道陣が集結していた。
高く掲げられたカメラ。鉄製の正門へ向けられた無数のマイク。
警察はバリケードを設置し、完全に進入を遮断している。
公式な発表は、まだ一切出ていない。
誰が、この事態について語る権限を持つのかすら、明らかにされていなかった。
その時、サイレンの音が群衆を切り裂いた。
黒塗りのSUVが、二台の白バイに挟まれながら高速で進入する。
記者たちはやむなく道を空け、車両が通過すると同時に、バリケードは再び閉ざされた。
SUVは、そのまま敷地の奥へと消えていく。
十分後。
正門の内側から、四人の警察幹部が姿を現した。
彼らは報道陣の正面で足を止める。
その中の一人が、一歩前へ出た。
落ち着いた表情。鋭く、無駄のない眼差し。
必要なことしか語らない人間の顔だった。
警視正・神崎アラタ。
「事実です」
静かな声で、神崎は告げた。
「皇国第五代大統領、高宮ミスズは、昨夜死亡しました。
また、同時に、警備責任者として任務に就いていた一名の死亡も確認されています」
シャッター音とざわめきが、一斉に膨れ上がる。
「警察は現在、本件について集中的な捜査を行っています」
神崎は声量を変えない。
「死因についても、できる限り早急に結論を出す方針です」
質問が雨のように降り注いだ。
殺害事件なのか。
容疑者はいるのか。
――シガクとの関連は。
神崎は、そのどれにも直接答えなかった。
「現時点では」
そう前置きし、言葉を切る。
「いかなる断定もできません。進展があり次第、正式に発表します」
短く一礼し、踵を返す。
四人の警察官は再び門の内側へ消え、
その背中を境に、報道陣の喧騒と憶測だけが、制御不能に膨れ上がっていった。
____
ハナはリンを抱きかかえ、リオから距離を取るように椅子に腰を下ろしていた。
その距離は偶然ではない。意図的なものだった。
腕に込める力はいつもより強く、まるでそれが、今の彼女に残された唯一の防壁であるかのようだった。
リオがわずかに身じろぎするたび、ハナは小さく首を振る。
だめ。今は近づかせない。
少なくとも、自分がこの現実を本当に理解できるようになるまでは。
テレビがついていた。
元第五代大統領・高宮ミスズの死。
そのニュースが、すべてのチャンネルを埋め尽くしていた。
局を変えても、変えても、同じ映像。
救急車、警察の規制線、そして訓練された声で哀悼を伝えるアナウンサー。
ハナはチャンネルを切り替える。
もう一度。
さらにもう一度。
何も変わらない。
苛立ちを抑えきれず、ハナはリモコンをテーブルへ投げつけた。
硬い音を立てて転がり、静止する。
ハナは鋭くリオを睨みつけた。
「……じゃあ、
高宮ミスズ元大統領を殺したのは……あなたなの?」
声は震えていた。
怒りと憎しみ、そのどちらにも完全にはなりきれない、不安定な感情。
「あなたが……殺したの?」
部屋の空気が、重く沈む。
リオはハナを見つめ返した。
言い訳を探すでもなく、目を逸らすこともない。
一拍、呼吸を置いてから、低く、淡々と答えた。
「……ああ。」
そして、はっきりと。
「俺がやった。」




