警察幹部の死亡
ザンボ・カツロ将軍は、国家警察監察庁――すなわち、コウコク警察組織全体を監督する機関――の最高責任者であった。
公の場では、彼は厳格で威厳に満ち、処罰を下すことに一切の躊躇を見せない人物として知られていた。その名は規律と秩序の象徴であり、警察組織そのものを体現する存在だった。
しかし、その高潔なイメージの裏では、常に黒い噂が付きまとっていた。国内最大の賭博ネットワークの後ろ盾であり、法の名を借りて政敵を闇に葬る黒幕――そう囁かれていたのである。
噂はあまりにも広く、無視するには露骨すぎたが、証明するにはあまりにも完璧に隠蔽されていた。彼に罪が問われたことは一度もない。この国において、ザンボ・カツロは「法」そのものだった。そして、法は決して自らを裁かない。
ザンボ将軍の邸宅は、コウコクの首都・シンコ郊外にある静かな高級住宅地に建っていた。喧騒から隔絶され、整然と管理され、厳重な警備に守られている。
モダンな造りに伝統的要素を織り交ぜたその家は、無駄な誇示こそないが、揺るぎない堅牢さを放っていた。灰色のコンクリート壁、濃色の木製パネル、中庭を見渡す大きな窓、そして静まり返った黒い金属製の高い門。
前庭は左右対称に整えられ、暖色の庭灯に照らされ、一本の古木がその中央に立っている。そこには「安全は永続する」という、絶対的な支配と確信が漂っていた。
屋内は冷たく、静寂に満ちている。広い応接間には暗色の家具が並び、壁には将軍の経歴と正当性を誇示する公式写真が掛けられていた。二階の執務室では、深夜まで灯りが消えることなく、書類と報告書が積み上げられている。すぐ近くの寝室は無機質で、私的な温もりは一切ない――ここは住居ではなく、権力の延長だった。
その夜も、すべてはいつも通りに見えた。灯りは点き、カーテンは半分閉じられ、空気は静かだった。この“安全な家”が惨劇の舞台になるなど、誰も想像していなかった。
隣家の屋根の上に、一つの影が立っていた。
全身を黒に包み、夜闇に溶け込んでいる。顔には赤ん坊のように無垢な表情の仮面――空虚な微笑みと、額から突き出た二本の小さな角。微動だにせず、ただ見下ろしていた。
屋敷の内部では、緊張が限界に達していた。
若い男が床に跪き、左右から二人の警官に押さえつけられている。荒い息を吐き、胸が不規則に上下する。涙と血が混じり合い、唇の端から赤い筋が垂れていた。
その正面、重厚な木製椅子に落ち着いて座っているのが、ザンボ・カツロ将軍だった。背筋を伸ばし、手は膝の上に自然に置かれている。そこにあるのは尋問ではなく、まるで家族の団欒のような錯覚だった。
部屋にいるのは、泥棒でも麻薬密売人でもない。全員が警察官だった。
ザンボの背後には、もう一人の若い男が立っていた。制服は整っているが、表情には新人特有の緊張が残っている。名はケンイチ。配属されたばかりの若手警官だった。
「つまりだ」
ザンボが低く言った。その声は冷たく、圧を帯びている。
「お前は、母上の尊厳を踏みにじった行為を、最後まで認めないということだな?」
――この家では、全員がザンボを「父さん」、その妻を「母さん」と呼ぶ。それは、この場所を“家族”に見せかけるための、意図的な習慣だった。だが今や、ここは裁きの場でしかない。
ザンボの靴底が、跪く男の顔を蹴り飛ばした。
ドスッ。
「お許しください、父さん……」
男の声は震えていた。
「私は、決してそのようなことは……」
ドスッ。
さらに強烈な一撃。
「では、母上が嘘をついていると?」
ザンボは目を細めた。
「作り話だと? この家に裏切り者がいるとはな」
男は顔を上げ、真っ直ぐにザンボを睨みつけた。充血した目、震える手。
次の瞬間――
ぺッ。
唾が、将軍の顔に飛んだ。
部屋の空気が凍りつく。
「殺せばいい」
男は低く、しかし確かな声で言った。
「俺は知りすぎたんだ。あんたの“法”がどう動くかを」
一度、深く息を吸う。
「……そして残念ながら、あんたの妻は俺に異常な執着を持っていた。俺は彼女を母のように敬っていた。そんなこと、するはずがない」
男の名が、初めて口にされた。
「マツカベ・ヒロト」
ザンボは静かに言った。
怒りで身体が震えていたが、叫びも殴打もない。その感情は、沈殿し、決断へと変わる。
「ケンイチ」
振り向かずに言った。
「父さんの銃を取れ。机の下だ」
ケンイチはびくりと肩を震わせた。顔は青ざめていたが、命令に従い、机の下から拳銃を取り出し、震える手で差し出した。
「なぜ私に渡す?」
ザンボはマツカベを指差した。
「標的は目の前だ。銃口を向けろ」
――バンッ。
マツカベ・ヒロトの身体が床に崩れ落ちた。額から血が溢れ、絨毯にゆっくりと広がっていく。見開いた瞳は、天井を虚ろに見つめていた。
ケンイチは立ち尽くしていた。拳銃は激しく震え、息は乱れ、涙が止まらない。
「俺は……俺は……」
声にならなかった。
ザンボが近づく。
「渡せ」
それは命令だった。
ケンイチは恐怖に満ちた目で見上げ、拳銃を差し出した。ザンボはそれを掴み、ためらいなく――
バン! バン! バン!
壁、棚、窓ガラス。銃声が何度も響き渡る。天井の一部が崩れ、木片とガラスが床に降り注ぐ。
バン! バン!
やがて、
カチリ――
弾切れの音。
銃口から細い煙が立ち上る。火薬の匂いが部屋を満たした。
ザンボは銃を下ろし、ケンイチに返した。
「これでいい」
静かな声で言う。
「彼が発砲し、お前は応戦した。我々は止めに入った」
ケンイチは、まるで呪物を見るように拳銃を見つめ、崩れ落ちた。号泣しながら、それを抱きしめる。二人の警官がすぐに動き、血を拭き、死体を移動させ、痕跡を整え始めた。
ザンボは振り返らず、執務室の扉を開けた。中は明るく照らされている。
そこに――
黒衣の男が立っていた。
赤ん坊の仮面、二本の角。
ザンボは立ち止まった。その夜、生まれて初めて理解した。
自分では命令できない力が、この世には存在するのだと。
「誰だ!」
叫びは、完全防音の部屋に吸い込まれ、下には届かない。
心臓が激しく打つ。恐怖、怒り、混乱。
男はゆっくり机の方へ――そこには最後の予備銃がある。
「私は死神の使いだ」
仮面の男は静かに言った。
「お前の命を刈り取るために来た」
ザンボは乾いた笑いを漏らした。
「逃げられると思うな」
男は動かない。
「計算では」
そう告げる。
「お前は、説明不能な政治家たちの死のパターンを、すでに理解しているはずだ」
ザンボは机へと駆け、銃を掴み、振り向いた。
――空。
誰もいない。
次の瞬間、
ズブリ。
黒い針が、首の急所に突き刺さった。
力が抜け、膝が崩れ、視界が床へと落ちる。引き金を引くこともできない。拳銃は、なおも手に握られていた。
そして、呼吸が止まった。
その夜、皇国警察全体を監視していた男は、
自らを守るための銃弾を一発も放つことなく、命を終えた。




