第3話 冬の終わりに
雪は降っていなかった。
けれど、空気は雪が落ちてくる直前のように冷たく、静かだった。
駅前の桜並木は、葉をすべて落とし、黒い枝だけが空に伸びている。
春に蕾だった枝先は、硬い節になっていた。
彼女は、約束の時間より少し早く来ていた。
白いマフラーを巻き、両手をポケットに入れたまま、桜の枝を見上げている。
「話があるんです」
その声だけで、胸の奥が縮む。
「私、ここを離れることになりました」
時間が止まったように感じた。
「いつ」
「来週」
あまりにも急だった。
けれど、彼女の声には迷いがなかった。
「戻ってくるんですか」
彼女は少しだけ笑った。
その笑顔は、春の光のように柔らかかった。
「わからない。でも……
もし、また会えたら、そのときは……ちゃんと話します」
風が吹く。
枝が揺れ、乾いた音を立てる。
「あなたと過ごした時間、好きでした」
その言葉は、冬の空気よりも冷たかった。
僕は言葉を返せなかった。
冬の空気が喉を締めつける。
彼女は一歩近づき、僕の手に触れた。
その手は冷たかった。
けれど、その冷たさが温度のように感じられた。
「ありがとう」
その一言だけを残し、彼女は歩き出した。
冬の光が、その背中をゆっくりと薄くしていく。
僕は追いかけなかった。
追いかけられなかった。
足元に小さな枝が落ちていた。
春に蕾だった枝先。
今は硬く閉じたまま、冬の冷たさを抱えている。
拾い上げると、指先に冷たさが残った。
その冷たさは、胸の奥に深く沈んでいった。
まるで、何かが終わった後の静けさのように。




