第2話 夏の影の中で
梅雨が明けた午後、街は熱を持ったガラスのようにきらめいていた。
アスファルトから立ち上る陽炎が、遠くの景色を歪ませている。
駅前の桜並木は、濃い緑に覆われていた。
春に蕾だった枝先は、葉に隠れて見えない。
彼女は、約束の時間を過ぎても現れなかった。
蝉の声が耳の奥で反響する。
スマートフォンの画面には、既読のつかないメッセージ。
ようやく彼女が姿を見せた。
白いブラウスの袖を握りしめ、息を整えながら駆け寄ってくる。
「ごめんなさい。遅くなって」
声はかすかに震えていた。
「大丈夫ですよ。暑いですし」
僕は笑ってみせた。
けれど、彼女は笑わなかった。
「……ちょっと、いろいろあって」
その“いろいろ”が何なのか、彼女は言わなかった。
僕も聞かなかった。
沈黙が落ちる。
蝉の声だけが、二人の間を埋めていた。
並んで歩き出す。
けれど、歩幅が合わない。
気づけば、彼女は半歩だけ前を歩いていた。
信号が赤に変わる。
春と同じ場所だった。
「最近、よく考えるんです」
彼女は視線を落としたまま言った。
「人って、どれくらいの距離なら一緒にいられるんだろうって」
「距離……ですか」
「うん。近すぎても、遠すぎても、きっと続かないんだと思う」
夏の光が強く、影が濃い。
彼女の影は、僕の影と重なりそうで、重ならなかった。
「ねえ」
振り返らずに、彼女が言った。
「もし、私が急にいなくなったら……どうしますか」
心臓が一瞬だけ止まったように感じた。
「そんなこと、考えたくないですよ」
「……そっか」
彼女は小さく頷いた。
その横顔は、夏の光に白く溶けていた。
風が吹く。
乾いた風だった。
その風の中で、彼女の髪が揺れた。
その揺れが、胸の奥に不安の影を落とした。
まるで、何かが終わりに向かって動き始めたような気配だった。




