エピローグ「ラピッド・ラビット」
■エピローグ「ラピッド・ラビット」
兎乃と月華を送り出してから、一週間が経った。
SPRRU第三班の隊舎、その二階の事務室で、守屋加志貴はいつも通り仕事をしている。
室内にデスクは五つあり、一つは物置として使用されている。
残りの四つの内一番奥、上座に当たるデスクが守屋のデスクである。
残り三つのうち、守屋から見て右側の並んだ二つ、後ろの壁際にソファーが置いてある席は、今は使用者がいない。
そして残る一つには、室内にも関わらずパーカーのフードを被った青年、周防波瑠が座っている。
守屋は時計を見る。午前の九時。
今日は、配属される新たな転生者の引き取りに、保健所へ行く予定が組まれている。
約束の十時まではまだ時間があるが、かといって別の仕事をひとつ挟めるような余裕もない。
守屋はマウスから手を離すと、あくびを吐きながら立ち上がった。
ふと、向けられた波瑠の視線に気づく。どうした? と表情で問う。
「別に。気が抜けてるなって思っただけ」
波瑠はそう言って守屋から視線を外し、自身の端末に向き直った。
守屋は不服そうな表情をしてみせる。
「お前だって、人がいない時だけこっちに居座りやがって。どうせマインスイーパーでもしてるんだろ?」
図星なのか、波瑠は返答しない。
守屋はそんな波瑠のことは気にせず、席を離れる。
物置机に置かれたコーヒーポットから、自身のマグカップにコーヒーを注いだ。
「……あの人たち、上手くやってると思う?」
ぼそりと波瑠がつぶやくのを聞き、守屋が驚いた顔でそちらを見た。
波瑠は相変わらず仏頂面でマウスを操作している。
守屋は苦笑すると、湯気の立つマグカップを手に、物置と化しているデスクのチェアへと腰をかけた。
「上手くやるだろう。僕は心配してないよ。それより、波瑠が他人の心配とは珍しいね。情でも移った?」
からかわれた波瑠は、再び守屋の発言を無視した。
この程度の対応はいつものことなので、守屋は気にすることもなく、壁際のソファーに腰をかけた。
隠しきれないタバコの臭いがする、安い二人掛けのソファー。
ここに座ると、目の前の席のバディの後ろ姿がよく見えただろう、と守屋は思った。
毛布にくるまったミノムシと、黙々と座学に勤しむ真面目ちゃんのことを思い出す。
「心配するのは分かるさ。僕だって、できることなら現況を知りたいしね。彼女たちは、僕がここに来てから初めて助けることができた転生者だ。幸せでいて欲しいと願ってるよ。心からね」
守屋は独り言のようにそう言うと、コーヒーを口にする。
気づけば波瑠は端末から目を離し、窓の外を眺めていた。
何を考えているのか守屋には読み取れなかったが、少なくとも話を聞いていることは分かったので、言葉を継いだ。
「差し当たっては今日の引き取りが上手くいくといいんだけどね。当たり前なんだけど、転生者たちはほとんど自分の置かれた環境を理解できず混乱してる。まあ、楽しい出会いにはなり辛いよね。気が滅入るよ」
「……二人も、そうだった?」
波瑠の返答は守屋にとって意外であり、少し虚を突かれた。
気を取り直して、守屋はそれぞれとの出会いを思い出す。
「兎乃君は、まあ誰でもそうなって当たり前だけど、おどおどしていたね。はじめは気弱な子だと思ったから、ストレスで潰れないか心配だった」
震える声で、自分はこれからどうなるのかを守屋に聞いた兎乃。
彼女があれだけたくましい子だとは、あの時は少しも予想しなかった。
「月華は、別の子と一緒に引き取ったんだけど、二、三回逃げ出そうとしたよね。車内でも延々と罵声を吐くし、協力意思がなくて、まあ大変だったよ」
元々の月華は、あらゆる大人を敵視しているような様子があった。
今思えば、あの怒りは一緒に引き取ったもう一人の子を守ろうとしていたのかもしれない。
粗雑で短気な、だが意外とお節介な月華のことだ。ふと、守屋はそんなことを考えた。
「二人とも、将来有望な若者だ」
波瑠はそう言った守屋を見て、珍しく噴き出して笑った。
「なにそれ、完全におっさんのセリフじゃん」
「言ってろ」
わずかに気恥ずかしくなりコーヒーを飲みながら、守屋は笑う波瑠の顔を見た。
久しぶりに年相応の顔をしている波瑠を、嬉しく思っている。
波瑠もまた、少しずつでも元の前向きさを取り戻せていればいいと、強く感じる。
「実際、完全におっさんだからな。さて、そろそろ引き取りに行くか」
守屋は自分のデスクにマグカップを置き、バンのキーを取り出してスーツの上着を羽織る。
事務室の扉を開けながら、「ああ、そうだ」と波瑠に向き直った。
「例のやつ、目を通しておいてくれないか。あとで忌憚のない意見が聞きたい。どうせ通信室へ行くんだろ?」
「例の奴って、卒業システムのこと?」
「卒業システムって……アイドルグループじゃないんだぞ。『特定転生者の段階的権利付与制度に関する提案資料』だ。転生者を真っ当な人として認めさせるための、第一歩ってところだな。……まあ、今はまだ、見向きもされないだろうけどね」
守屋は自嘲気味に笑った。
「かといって、それはやらない理由にはならないからね。頼んだぞ」
そう言い残して、守屋は事務室から出て行った。
守屋の足音が去っていくのを聞きながら、波瑠は波瑠で、義父もかつてのやる気を取り戻しているように感じていた。
そうであるといい。自分のような被害者を、一人でも減らそうと行動してくれる守屋さんが、一番いい。
一人になった事務室で、ゲームオーバーになったマインスイーパーを終了する。
それじゃあ転生者と顔を合わせないように退散するかと、波瑠は端末の電源を落とした。
また、新しい生活が始まる。
* * *
あれから一年が経った。ある春の日の昼下がり。
散り始めた桜の花が風に舞う様子を眺めながら、一人の女性が公園のベンチに座っている。
淡いブルーのデニムロングパンツに白のニットカーディガンを羽織り、インナーに白Tシャツを着たその女性は、ゆったりとした時間を過ごしていた。
少しずつ暖かくなっている日差しを、木漏れ日から感じながら、目を閉じる。
公園から離れた商店街から、遠く日常の音が聞こえてくる。
それに対し公園は人もおらず、鳥のさえずりだけが響いている。
気を抜くとつい微睡んでしまいそうだ。
ベンチに、誰かが近づいてくる足音がする。
砂を踏みながら歩いてきたその足音の主は、女性の前で立ち止まった。
「なーに居眠りしてんだ、ラビ」
その声を聞いて、女性――兎乃が目を開ける。
そこには、ライトグレーのパーカーに黒のライダースジャケットを着た、月華が立っていた。
歩きタバコにサブウェイのビニール袋を提げた月華は、兎乃が起きていることを確かめてから隣に腰かけた。
「だって、ユエ遅いから」
「店を探すのに手間取った。バーガーはもう食い飽きたからな」
ビニール袋から兎乃の分のサンドイッチとドリンクを取り出して手渡し、月華が楽しそうに言う。
月華の食生活のファーストフード頼りは甚だしく、兎乃は最近月華の健康を心配している。
夜はなるべく栄養バランスを考えた献立を考えているが、月華の評価は芳しくない。
だがその評価も単純に好き嫌いが多いだけのようなので、兎乃も一切妥協していない。
その反動もあるのか、各自個別に摂っている昼食は、ほぼ毎日ファーストフードらしい。
タバコを携帯灰皿に挿し込むと、月華は自身のサンドイッチを取り出して、すぐに食べ始める。
兎乃はそれを微笑ましく眺めてから、自分もサンドイッチをかじった。
「で、挨拶はしたのか?」
「うん。元々一年でってお願いしてたのもあって、円満に」
口元を手で覆いながら、月華に返答する。
兎乃はつい先ほど、半年間お世話になったアルバイト先のコーヒーチェーン店に、最後の挨拶を済ませてきていた。
「小さいけど、お花もらっちゃった」
荷物にならないようにと一輪のガーベラが、兎乃の下げたサッシュから顔を覗かせている。
鮮やかなオレンジ色が、白いカーディガンによく映えている。
「ラビは可愛がられるタイプだからなあ」
サンドイッチを素早く平らげながら言う月華に対し、兎乃も言い返す。
「それを言ったらユエだって。バイク屋の店主さんに大分気に入られてるんでしょ。バイクももらっちゃって、おかげで随分余裕ができたし、頭が上がらないね」
「おっちゃんももう歳だからな。若者は誰だって可愛く見えるんだろ」
月華は飄々と言うが、兎乃は全く信じていない。
ただ若者贔屓されているだけの店員が、中古とはいえバイクをタダで譲ってもらえるなんてあり得ない。
しかも、無期限休暇のお許し付きときたら、どれだけ上手く付き合ってるか、疑う余地もない。
「……でも、ずっとお世話になる訳には、いかないかもね」
兎乃は感情を表に出さず、つぶやいた。
二人の生活は、かつての血生臭さからは離れたように見えて、だけどその因縁が消えることはない。
例え今がどれだけ平穏でも、二人が身分を偽っている立場であることには変わらない。
異能を使わなければその存在を掴まれる心配はないはずだが、技術も日々進歩している。
いずれは、AFであるというそれだけで兎乃の存在が露呈する可能性だってある。
「ま、今それを考えてもどうしようもねえよ。ともあれ、これで準備はできたって訳だ」
だが、こういうとき月華はいつだって前向きで、兎乃はそんな月華に救われている。
ウェットティッシュで手を拭きながら、月華が気を切り替えるように嬉しそうに言った。
兎乃も漠然とした恐れを心の隅に追いやってから、「そうだね」と同意する。
兎乃と月華は、二人でまずはこの国をぐるりと一周してみようと計画していた。
今住んでいる地方都市から始まり、最北端から最南端へと往復し、またここに戻って来る。
そのために二人で働きながら貯金し、足としてのバイクも運よく手に入れたのだった。
「貯まったカネのこと考えると、とりあえず二ヵ月で帰ってこないとダメか。まあ、最悪現地でなんとかすればなんとでもなるだろうけど」
月華なら本当にどこでもするっとご飯の種を見つけてきそうで、兎乃は笑ってしまった。
怪訝そうな顔をした月華に、気を取り直して返答する。
「二ヵ月も旅できれば、十分じゃない?」
「なに言ってんだよ、ラビ」
月華はにやりと笑うと、兎乃の頭を片手で雑に撫でた。
「全然足りねえ。二人で世界を回るんだ。約束だろ」
それは、叶わないはずだった約束の話。
現実味を帯びてきた、二人の夢物語。
兎乃は、頭に置かれた月華の手の暖かさを感じながら、嬉しそうに頷いた。
今でも、あの人のことを、思い出そうとしてしまうことはある。
でも、具体的な思い出は、もうほとんど思い返せなくなっている。
それだけじゃない。わたしにとって元の世界の記憶はもう、ほとんどが曖昧になってしまった。
わたしがあの人の顔で、同じ声をしていなかったら、あの人のことも、きっと忘れてしまっていただろう。
そう考える度に、どうしようもなく悲しくなる。それは事実だ。
でも、その度に、ユエがわたしの手を引いてくれた。
新しい家族が、わたしに生きる意味を、与えてくれた。
だから、兎乃。わたしの大切なひと。
心配は要らないよ。
わたしは、この世界で、ユエと一緒に生きて行く。
ユエが立ち上がり、わたしの手を引く。
わたしを救ってくれたあの時のように、わたしは微笑みながらその手を取って、続いて立ち上がる。
「あたしたちはどこまでも一緒だ。なあ、相棒」
ふざけたように言うユエの手を握って、桜の散る公園の道を、二人で並んで歩き出す。
そう、ユエと一緒なら、わたしはどこまでだって走って行ける。
これにて本作は完結となります。
ここまでお付き合い頂きまことにありがとうございました!




