第27話「AF-08db5:セカンド・ドーン・パラドックス/ep4」
■第27話「AF-08db5:セカンド・ドーン・パラドックス/ep4」
ドン、と強い衝撃が額に走り、兎乃の体は車椅子ごとゆっくりと後ろに倒れていった。
すぐに意識を失わないのは、自分が人じゃないからか、脳が錯覚しているだけか。
その答えは出そうにないが、そんなことはもうどうでもよかった。
ああ、これで本当に、終わりだ。
ずっと続く夢の中で、また彼女に会えたらいいな。
体から力が失われていくのを感じながら、兎乃はそう思った。
そうして兎乃の意識は、少しずつ途絶えていき。
「まだだ! 終わらせるなっ!!」
だが守屋の叫び声と共に、体の奥にわずかに残った小さな火が、かすかに揺らめいた。
* * *
月華は呆然とそれを眺めていた。
自身が引き金を引いた直後、守屋が扉を蹴破るように部屋へ飛び込んで来る。
一秒も無駄にしまいと月華と兎乃の状況を素早く確認する。
そして、兎乃の目から完全に光が失われていないと判断するや否や、月華に向けて力の限り叫んだ。
「まだだ!! 終わらせるなっ!!」
守屋は月華に走り寄ると、その手から拳銃をもぎ取って投げ捨てた。
そして月華の両肩を掴んで、激しく、だが端的に指示を飛ばした。
「月華よく聞け! ここまでは僕の想定通りだ! いいか、今ならまだ兎乃君を助け、更に全てを解決できる可能性がある。だから月華、兎乃君を今、この世界線、この時間帯に死に戻らせろ!」
守屋と月華の目が合う。
耳が痛くなるほどの守屋の大声が、月華の頭に入っていく。
月華が突然の指示に混乱していることは、守屋にも理解できる。
だが、守屋は同時に確信もしている。藍月華は、ここで動けないような人間じゃない。
「月華にしかできないことだ!」
自分で解決できるなら、必ず行動を起こす。藍月華は、そういう人間だ。
守屋は月華の肩から手を離し、その背中を叩いた。
月華は軽くよろめきながらも、守屋の期待通りすぐに行動に移した。
考えるのは守屋の仕事だ。
その守屋ができると、兎乃を助けられると言うのなら、それに従わない理由なんて、何もない。
月華は神にも祈るような表情で、倒れた兎乃の傍にそっと屈みこむ。
倒れた兎乃の上体を抱きかかえると、その肩に自身の顔を乗せた。
まだ確かに暖かさを感じるその体を、全身で確かめながら。
涙に掠れる声で、月華は兎乃の耳元で、そっと囁いた。
「ラビ、戻って来てくれ。頼む、お前に生きて欲しいんだ……!」
* * *
心の奥深くで、火が爆ぜている。
兎乃があたりを見回すと、そこは暗い部屋のようで、灯りは暖炉で揺れる火だけだった。
火が躍る様に合わせて、自分の影もゆらゆらと揺れている。
兎乃はその暖炉の前で、椅子に座っていた。
火の暖かさを体中に感じる。このままここにいたら、眠ってしまいそうだった。
ふと気が付くと、兎乃の横にも、同じように火にあたりながら椅子に座っている人がいる。
濃い影がちらちらと揺れるその顔をよく見ると、その人は自分を同じ顔、同じ姿をしていた。
自分と同じ顔をしたその人――本当の蓮見兎乃は、兎乃の方を見ると目を細め、穏やかな微笑みを浮かべた。
その口から、自分と同じ、いや、兎乃の声がする。
懐かしくて、愛おしい声。
「まだ、迷っているの?」
その声を聞くだけで、涙が溢れそうになる。
わたしは言葉を返そうとするが、音にならない。
だけど、音にならない声で、その人に想いを叫んだ。
だって、わたしはあなたに会いたいの。
その人は、苦笑しながらわたしの顔を覗き込む。
「変わらないね。そうやって、甘えたさんなの」
だって、あなたが好きなんだもの。
その人は暖炉へと顔を向けると、目を閉じた。
炎に照らされた横顔が、火の赤と闇の黒に揺らめいている。
「そうだね。私もきみが好きだよ」
だから、置いていかないで。
「……」
その人が言葉を返してくれない。
たったそれだけで、こんなにも心が苦しい。
どうして、黙ってしまうの?
その人は、目を閉じたまま首を横に振った。
「一緒には、行けないよ」
どうして?
「だって、私はきみに、生きていて欲しいから」
そう言って、その人は目を開けると、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
ほんの少しの距離を、一歩、また一歩とわたしの方へ歩いてくる。
わたしがその人の顔を見上げようとした時、頭の上に優しく手が置かれた。
その人がわたしの前に立ち、頭を優しく撫でている。
変わらない、指先のぬくもり。
ずっとこうしていて欲しい。わたしは心からそう願う。
「きみが生きていてくれることが、私の最後の願いだから」
……
「それに、きみはもう、一人じゃないから」
……
「だから、もうきっと大丈夫」
……
本当に、もう会えないの?
「うん。でも、私はきみで、きみは私だから。いつだってきみの中に私はいるよ。だから」
そっと、その人の手が、わたしの頭から離れる。
やめないで。
ずっと、傍にいて。
その人が、一歩、また一歩と遠ざかっていく。
わたしは立ち上がることも手を伸ばすこともできずに、ただ泣いている。
「だから、きみは新しい家族と歩いていかなくちゃ」
その人が、遠くなっていく。
少しずつ、灯りの届かない暗闇へと、去っていってしまう。
一緒にいてくれて、ありがとう。
愛してくれて、ありがとう。
わたしはあなたと出会えて、本当にうれしかった。
もうその顔も、涙で歪んで見えないけれど。
最後はせめて、笑って別れたい。
「さようなら」
さようなら、兎乃。
もう二度と、会えないひと。
永遠に、わたしの大切なひと。
* * *
ぼんやりと、意識が現実に戻って来る。
誰かが自分を抱きしめているのを感じる。
その人の肩越しに、自分の両手を掲げた。思い通り、見える。思い通り、動く。
それからその両手を、自分の肩に顔を乗せて泣く、新しい家族の体に回した。
「……痛いよ、ユエ」
その言葉を聞いたユエが、わたしを抱いていた手を緩めると、少しだけ体を離した。
涙でぐしゃぐしゃになった顔をわたしの視界いっぱいに綻ばせて、ユエは言う。
「……バカ野郎。心配かけさせやがって」
「……うん。ごめんね」
「もういいさ。こうして帰って来てくれたんだから」
「……うん。ありがとう」
ユエはもう一度わたしを優しく抱きしめると、わたしの手を取って立ち上がった。
わたしもその手をしっかりと握り返し、立ち上がる。
そうしてユエの顔をちゃんと見て、あの人がしてくれたように、微笑んで見せた。
「ただいま、ユエ」
* * *
「守屋さん、これは結局どういうことなんだ?」
立ち上がった兎乃に肩を貸したまま、月華が『それ』を見下ろして言った。
倒れた車椅子の脇に、『蓮見兎乃』が倒れている。
確かに額を撃ち抜かれた彼女は、目を閉じて静かに横たわっていた。
それを月華と守屋と、『もう一人の兎乃』が立ったまま見ている。
守屋は張り詰めていた緊張の糸が弾けるように、壁にもたれかかると大きく息を吐いた。
「今朝話したやつだよ。パラレルワールド。僕はそれに賭けたんだ。他に選択肢が、見つからなかった」
守屋は倒れている兎乃と、立っている兎乃の二人を交互に見る。
「二人とも、間違いなく兎乃君だよ。違いを言うなら、倒れているのは『この世界線で死んだ兎乃君』。立っているのは『この世界線に死に戻った兎乃君』ということになるね」
兎乃自身も、自分に何が起こったかを把握できていないらしい。
月華と二人で不思議そうな表情をしながら、首をかしげて見せた。
「……この世界に、死に戻った?」
守屋が頷く。
「ああ。兎乃君が過去に何度かやったことを応用できないかと考えた。過去のケースでは、兎乃君が『死んだ瞬間に死に戻る』理由は何もない。なにしろ、死に戻ったところですぐ再び死んでしまう可能性が非常に高い」
話しながら、守屋は『この世界線で死んだ兎乃』の体にそっと自身の上着をかけた。
「で、別の世界線に戻れるなら、この世界線に戻れたっておかしくはない。『別の世界線に行くはずだった兎乃君』を『この世界線に引き戻す』ことで、兎乃君を同じ世界線に二人存在させられないか。もしそれができれば、『兎乃君を死なせながら、生かすことができる』。そう仮説を立てた」
守屋は説明しながら、申し訳なさそうな顔をした。
「もちろん、それができるという確証はなかった。結局は賭けだったんだ。全て仮説の話でしかない。でも、色んなものを積み上げたら、手が届くんじゃないかと期待してしまった。だったら、やる以外の選択肢は、僕にはなかったんだよ」
「……もし、ラビが生きる意味を見失ってなかったら」
「兎乃君は死を受け入れず、三分前の別世界線に戻ってしまっていたかもしれない」
「……もし、ユエがいてくれなかったら」
「兎乃君は生きる希望が見つからず、そのまま死ぬだけだったかもしれない」
それは全てが綱渡りの、細い細い一筋の光に縋るだけの博打だった。
だけど、兎乃と月華は、その博打に打ち勝った。
守屋は疲れた顔で、でも勝ち誇るようなに笑みを浮かべた。
「……これで全部揃ったんだ。AF蓮見兎乃の死体。AF蓮見兎乃が異能を使った事実。そして生きている兎乃君と、月華。全部だ。僕らの勝ちだよ。少なくとも、今日の所はね」
「さて」と言葉を継いで、守屋は兎乃に問いかけた。
「兎乃君、そういえばまだ三ヵ月前の答えをまだ聞いていなかったね。約束だ。どんな願いでも僕は協力を惜しまない。さあ、君は僕に何を望む?」
言われて、兎乃は驚いたような表情で守屋を見返す。
それから、隣に立つ月華を見た。
月華も兎乃を見て、二人は笑って頷いた。
「……守屋さん、わたしはユエと、二人で人として生きていきたいです。協力して頂けますか」
その言葉を聞き、満点の回答を得た教師が生徒を誉める時のように、嬉しそうに守屋は笑って見せた。
「交渉成立だ」
* * *
隊舎の玄関口である二重認証ドアの前で、第三班の全員が集まって話している。
善は急げとほとんど休む間もないまま、兎乃と月華はは必要なものを選び、旅支度を整えた。
ほとんどの物品は自分たちの生活用品から選び、リュックだけSPRRUの部品を拝借し背負っている。
「なあ、本当に後始末は任せちまっていいのか?」
月華が守屋に聞くと、守屋は当たり前だとでもいうように胸を張った。
「それも仕事だからね。AF蓮見兎乃を無力化。その最中、藍月華は消滅。殉職と断定。それだけ筋書きがあれば、あとはいつも通り報告書を出して終わりさ。少なくとも兎乃君がまたどこかで異能を使う事態にならない限り、SPOOが君たちに気付くことはないよ」
あっけらかんと言う守屋に、月華は怪訝そうな顔をして見せる。
「適当だな……そんなもんでいいのかよ」
「大事なのはAFの処理体と異能の発生痕跡があるかだからね。月華の顛末に関しては、そもそもSPRRU隊員のことなんてSPOOは気にしてないよ」
「そっか。はは、馬鹿にしやがって」
軽口を叩けるぐらいには元気になった月華を見て、兎乃もくすくすと隣で笑う。
そんな二人に、守屋の横から歩み出た波瑠が、二揃いのカードと手帳のようなものを差し出した。
二人が受け取ってそれを見ると、個人番号カードとパスポートだった。
それぞれ顔写真は兎乃と月華のものだが、名前など個人情報は全く知らないものになっている。
「これ、二人の身分証明書。一応、詳しくは言えないけど実在することになってる個人情報だから。使ってもすぐにはバレないはずだけど、ここぞという時以外は控えた方が多分、安全」
そう言った波瑠に、月華は砕顔して胸を軽く小突いた。
兎乃はその横で、丁寧に頭を下げている。
「ありがとな、波瑠」
「波瑠君も元気で」
「……うん、まあ、俺もそれなりに楽しかったよ」
照れ隠しか、素っ気なくそれだけ言うと、波瑠は後ろへと下がって行った。
苦笑しながら守屋が兎乃に封筒を手渡す。
「少ないけど、必要だろうから」
兎乃が中を見ると、現金の札束が入っている。
五十万円ぐらいだろうか。驚いた兎乃に守屋は弱った顔で頭をかいた。
「ごめんね、あんまり貯えがなくてさ」
兎乃は首を振って感謝の意を示す。
「とんでもないです。守屋さん、ありがとうございます」
守屋は満足そうにうなずくと、自分の認証カードを胸ポケットから取り出した。
「じゃあ、長々と引き留めてる場合でもないから、そろそろ行こうか」
そう言って、守屋は正面玄関を開いた。
開いたドアから、寝静まった街中へと兎乃と月華は歩み出す。
深夜の外気が、二人の顔を撫でて通り過ぎる。
冷たくてまっさらな外の空気を、二人は肌で感じた。
「月華、兎乃君」
後ろから守屋に声をかけられ、二人は同時に振り返った。
「幸運を祈るよ」
守屋はいつものように穏やかな笑顔でそう言って、手を振った。
その後ろで、波瑠が小さく頭を下げる。
「ああ、あんたらもな」
「本当にお世話になりました」
月華が手を振り返しながら言い、兎乃が深く頭を下げる。
「それじゃ、行くか。ラビ」
「うん、行こう。ユエ」
二人は楽しそうに声をかけあうと、並んで歩きながら、夜の住宅街へと消えて行った。
毎日20:30に更新予定です。
明日は最終話を投稿いたします。




