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第26話「AF-08db5:セカンド・ドーン・パラドックス/ep3」

■第26話「AF-08db5:セカンド・ドーン・パラドックス/ep3」


 タイムリミット当日。


 月華は目を覚ますと、まずベッドの上の兎乃の様子を確認した。

 昨日の夜と同じ態勢で、焦点の定まらない目を天井へ向けている兎乃に、月華は声をかける。


「おはよう」


 それから電気を点け、小さな窓のカーテンを開ける。

 それほど多くない私服の中からワンセットを見繕う。

 兎乃の体を拭いて着替えさせてから車椅子に座らせ、続いて自身の身支度を整えた。


 冷蔵庫に残っていたハムとバターで適当にサンドイッチを三つ作ると、兎乃の傍に一つを置く。

 残りの二つを自分で平らげてから、兎乃の頭を軽く撫で、部屋をあとにした。


 事務室へと出勤する。

 時刻は九時半。守屋はデスクで印刷した資料を机に積みながら、相変わらず端末と格闘している。

 普段はまず見ることのない無精髭がうっすらと生え、守屋の疲労を語っていた。


「守屋さん、どうだ」


 月華に声をかけられてようやく端末から目を離した守屋は、険しい顔をしながら椅子にもたれかかった。


「……駄目だ。兎乃君の処理を偽装する方法が思い付かない。異能を発生させた上で、兎乃君の死を確信させる物証が欲しい。だが、兎乃君が異能を発生させるとは、つまり兎乃君自身の死に繋がってしまう」


 守屋自身、思考がやや鈍化してきている部分もあるのだろう。

 ぶつかっている課題をまとめなおすかのように、丁寧に月華に説明した。


「なあ、ちょっと気になったんだけど、ラビが死んだあとって、この世界はどうなるんだ?」


 月華はここ数日、ずっと喉につっかえた小骨のように違和感のあった疑問を口にする。


 過去そうだったように、兎乃が異能を使っても月華たち自身からは観測できない。

 兎乃自身が『死に戻った』と認識し、その顛末を聞いているだけに過ぎない。


 守屋は端末を操作する手を止め、その表情から月華の疑問に本腰を入れて応える気になったのだと分かった。

 あるいは、こういう雑談もちょっとした息抜きになるのかもしれない。


「二つ、可能性があるね。一つは、僕らの認識上は普通に兎乃君が死ぬパターン。この場合、兎乃君の異能が本物なら、別の時間軸というものが存在することになる。いわゆるパラレルワールドってやつだね」


「それって結局、異能があってもあたしらには関係なくねえか?」


「そうなるね。今ここにいる僕らとしては、兎乃君が死ねばそれはそれで終わりだ」


「なるほど。で、もう一つは?」


「パラレルワールドが存在しない場合。つまり現実を書き換えていることになるな」


 二つの違いが分からず、月華は腕を組んで眉を寄せた。


「さっきのと何が違うんだ?」


「僕らの『認識そのもの』だ。仮に現実の書き換えだった場合、今ここにいる僕らという現実は存在しなくなる。兎乃君が再構築した世界が唯一の世界になり、僕らも実質的には過去へ戻ることになる。ただ、それは実質的な未来予知と何が違うんだっていう話になってくるかな。兎乃君が『死に戻った』と認識している以上、そこまでの事実は実際にあるんだと思うね。まあ、観測できない以上はどちらにしろ思考実験の域を出ないよ」


「分かったような、分かんねえような、だな。……じゃあ逆に、ラビ自身はどうなるんだ?」


「兎乃君視点だと、どちらにしろ記憶を保ったまま過去に戻っていると感じるんじゃないかな」


「ラビ自身の意識は常に一つだけってことか。でもそれじゃあ、ラビ視点ではラビは何をしても死なねえってことになるよな。だったら、もしラビ自身で覆せない死に直面したら、あいつは無限に死を繰り返すのか?」


「その可能性はある。が、僕は別の解釈をしている。兎乃君の起源が『生存』ないしそれに近いものだとするという仮説だ。この場合、兎乃君が『生きることを諦めた』時には、異能が発生せずにそのまま死亡してもおかしくない」


 生きることを諦めた状態。

 それが実際にどんな時なのか、もちろん月華自身に経験したことはない。


 だが、今の兎乃の状況は、それに該当してしまうのではないか?


 そんな月華の懸念を見透かしているかのように、守屋は頷いて見せた。


「月華が考えている通り、今の兎乃君は死に戻らない可能性が高い。どう見ても今の兎乃君は生き続けることを望んでいるようには見えない。AFにとって『起源』は絶対だ。……それが幸いなのかどうかは、あんまり考えたくはないけどね」


「……そっか。なるほどな」


 月華は、守屋の仮説を自分が思っているよりもずっと素直に受け入れることができた。

 それと同時に、自分が最後に恐れていたことが何だったかを理解する。


 もし兎乃に終わりがないのであれば、月華が何をしても意味がない。


 だが、終わらせられるかもしれないと、分かってしまった。


 それは、とても残酷で、幸福な事実だった。


「邪魔したな。引き続き頼むよ」


 月華は悲しそうに笑うと、守屋に手を振って事務室を出て行った。



 * * *



 時間は、いつだって平等に過ぎていく。


 時刻は夜の二十二時過ぎ。

 守屋と月華がいる事務室に、波瑠が入って来る。


 二人の視線を受けた波瑠は、どこか諦めた様子で、ゆっくりと口を開いた。


「予想通り、SPOOがSPRRUの内偵に入ったよ。時間切れだ」


 そうでないかと想像していたが、そうであって欲しくなかった事実。

 月華はソファーに座り、無表情のまま目をつむり、守屋は大きくため息を吐いて天井を見上げた。


 SPOOがAFを特定している方法はほぼ確実に推定できている。

 月華と兎乃のための偽造身分証明書も手に入った。


 だが、兎乃の処理をしたという偽証の方法だけが、最後まで見つからなかった。


「……分かった」


 その一言が出るまでに、どれぐらいの時間が経ったか分からない。


 守屋は机の上に用意していた拳銃を持つと、立ち上がって月華の元に近付いた。


 月華が目を開く。長身の守屋が月華を見下ろしながら、苦悩に満ちた表情で拳銃を差し出している。


「月華、頼む」


 そう言って手渡された持ち慣れた拳銃を、月華は右手で受け取り、しっかりと握る。


 ソファーから立ち上がり、ゆっくりとした足取りで事務室の扉に手をかけると、月華は一言つぶやいた。


「二人とも、ありがとうな」


 扉が閉まる。


 去って行った月華を横目で見ていた波瑠が、視線を守屋に向けた。


「……義父さん、本当にこれでいいの?」


 波瑠の迷うような視線を受けながら、守屋は「ああ」と頷いた。


「あとは月華に任せよう。全ての責任は僕が取るさ」



 * * *



 月華は兎乃の部屋に入ると、車椅子に座った兎乃の前まで進み、片膝をついた。

 部屋の電気は点けたままにしてある。


 兎乃の顔を正面から見る。


 兎乃の目は相変わらず月華を捉えてはいないように見えたが、構わなかった。


 左手で、兎乃の手に触れると、確かにぬくもりを感じる。


「ラビ」


 月華は兎乃にだけ聞こえるぐらいの小さな声で、名前を呼んだ。


 続く言葉は無い。

 何を言えばいいのか、月華自身が分かっていない。


 ありがとう、なんだろうか。

 ごめんな、なんだろうか。


 それとも、他にもっとふさわしい言葉があるのだろうか。


 兎乃の手をそっと撫でる。


 自分にはもっとできることがあったんじゃないかと、後悔はいくらでもある。

 でもそれを考えることに意味はない。

 自分がベストだと思うことを、ずっとやってきた。


 藍月華は、それを疑うような生き方をしてきていない。


 だから、取り乱すことも、逃げ出すこともしなかった。

 きちんと自分があるべきだと思うように、兎乃の前に来れた。


 あたしはラビのバディだから、無様な姿は見せられないからな。


 ラビは許してくれるだろうか?

 ラビはあたしを恨むだろうか?


 どちらでもいい。それも含めてラビの意思はラビの自由だ。


 ただ、ひとつだけ、願うならば。


 一緒にいる時間を楽しかったと、少しでも思ってくれたなら、それでいい。


「ラビ」


 もう一度名前を呼んだ。

 兎乃の手を握り、そっと自分の頬に当てた。


 目から涙が零れ、兎乃の手を濡らす。

 ふたつ、みっつと涙が兎乃の手に当たり、少しだけ体温を奪う。


 花を手向けるように、丁寧に兎乃の手を膝の上に戻し、指に余韻を感じながら手を離す。


 右手に持った拳銃を、手が震えないようにしながら持ち上げる。


 兎乃の頭に狙いを付ける。


 どうしようもなく、呼吸が乱れる。


 その時、兎乃の目が、月華を確かに認識した。



 * * *



 兎乃の精神は、まどろみの奥を漂っていた。


 意識を取り戻した時には病院にいたが、兎乃にはもう『兎乃である』必要性がなかった。


 死ななかったのは、ただそうなっただけに過ぎず、生きる理由にはならない。


 だから兎乃は、自分の瞳が映す光景を、深い水の底から外の世界を眺めるように見つめていた。

 何が起きているかは分かるし、話していることも聞こえている。

 ただ、全てが遠く、ぼんやりとしていて、実感や現実味が全くなかった。



 『本当の蓮見兎乃』は、もういない。


 わたしが大好きだった、大切な家族はもういない。


 ならば、『ここにいる蓮見兎乃』が存在する理由も、どこにもない。


 精神の世界で兎乃はふわふわと流されるままに浮かんでいる。


『ラビ』


 誰かが呼んでいる。

 優しくて、暖かい声がする。


 何度も、何度も、呼びかけてくれた。

 だけど、兎乃にはそれに応えられなかった。


 呼びかけられるたびに、兎乃の周囲にひとつ、またひとつと何かが沈んできては、静かに揺れた。


 それらは暖かく、心地いい。


 もう何も残っていないのに、そう思わせてくれる。


 ユエの声がする。


 わたしのことを、心から想ってくれるひとの、声がする。


 優しい手のぬくもりを感じる。


 ユエの涙が、わたしの手を濡らしている。


 たいせつなひとが、悲しんでいる。


 ああ、そっか。


 失ってしまったものは、戻らないけど。


 わたしにもまた、『家族』と呼べるひとが、できたんだった。



 * * *



 兎乃が、月華を見て、微笑んだ。


 月華が息を呑む。


 兎乃は状況を理解していた。

 月華が、守屋が、波瑠が、自分のためにしてくれたことを、遠くから聞いていた。


 だから、今目の前にある、付きつけられた銃口と震える手を。

 そして月華が流す涙を見て、兎乃は全てを悟り、受け入れた。


 わたしが死ぬことで、三班の皆が、ユエが生きてくれるなら。


 それは、わたしにとって意味のある死だ。


 だから。


「ユエになら、いいよ」


 そう言って、微笑みを浮かべたまま、目を閉じた。



 * * *



「――おやすみ、ユエ」


「――おやすみ、ラビ」


 泣きながら微笑み返した月華は、兎乃に向けて握った拳銃の、引き金を引いた。

毎日20:30に更新予定です。

明日は第27話を投稿いたします。

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今年の初涙を捧げました。
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