第22話「AF-08d9f:スイート・アフターグロウ/ep5」
■第22話「AF-08d9f:スイート・アフターグロウ/ep5」
『今の所何も――』
その言葉を最後に、兎乃の声は無線から聞こえなくなった。
「ラビ。おいラビ、どうした?」
月華は無線に問いかける。
兎乃からの返答はない。
前を走るタクシーは、変わらず月華の視界の先にいる。
だが、気付けばタクシーの車内は真っ暗で、何も見えなくなっている。
まるで突然スモークガラスに変わったようだった。
月華は異常が進行していることを確信した。
「ラビ? ラビ! 応答しろ! ラビ!!」
バンを運転しながら、月華は大声で無線に叫んだ。
やはり兎乃からの返答はない。
「本部! R2との連絡が途絶えた! 状況確認頼む!」
無線からは、守屋のかすかに焦りの混じった返答がすぐに返って来る。
『おかしい。こちらからは今まで通りに見えている。停止した目標の位置にR2、バンにR1。二人の信号は変わらず元の位置で発信し続けているぞ』
月華はハンドルを思い切り殴りつけた。
「クソッ! 目標を止めるしかねえ! 強硬手段に出るぞ!」
『だが月華、どうなるか分からないんだぞ!』
「ラビを死なせる訳にはいかねえんだよ!!」
月華はそう叫ぶと、守屋の返答を待たずにアクセルを思い切り踏みしめた。
バンが急加速し、一瞬でタクシーとの車間距離を詰める。
ハンドルを全力で握りしめる。
ただし肩から肘にかけては衝撃を逃がせるよう、少し遊びを持たせた。
歯を食いしばる。
そのまま『無人タクシー』の後部に、バンの頭をぶつけた。
座席を後ろからハンマーで殴られたかのような衝撃。
体が前に吹き飛びそうになるが、シートベルトがロックされ無理やり引き留められる。
更にエアバッグが飛び出し、月華の体を受け止めた。
月華は衝撃に耐えながら、ハンドルを全力で押さえつけていた。
ハンドルが左右に激しく暴れ、気を抜けば一瞬でコントロールを失いそうになる。
衝撃に備えていなかったら、握った手は振りほどかれていただろう。
エアバッグを無理やり押し下げ、正面の視界を確保する。
バンはタクシーのやや後部右側に追突しており、タクシーはバランスを崩して頭が左に傾き始めている。
スピンに巻き込まれないように車体を制御しながら、月華はタクシーの右側にバンを滑り込ませた。
「間に合え……! 間に合ってくれ……!!」
車が二台ギリギリすれ違える程度の幅の道路で、無理やり二台は並走する。
タクシーの左全面は既にコンクリートの壁をこすっていて、車体が激しく振動している。
月華の運転するバンも同様に右側面を擦っている。金属が擦れる不快な音が響き渡る。
月華は全力でハンドルを左に回した。
バンがつっかえ棒の役目を果たし、タクシーが完全に横向きになるのを防いでいる。
月華は更に右側からタクシーをに押さえつけた。
次第にタクシーの姿勢が真っすぐに戻り、壁とバンで完全に挟むような形になる。
車体が大地震かと思う程激しく揺れ、助手席側の窓一面にヒビが入った。
ドアが内側へと凹み、左のサイドミラーが折れて弾け飛んだ。
「あああああああ!!」
月華は絶叫しながらバンをタクシーに擦り続けた。
二台の車が壮絶な音を立てながら道路を滑り、減速していき、そして最後に停車した。
騒音が静まっていく。
月華は自分の意識が飛んでいないことを認識すると、痛む体を無視してシートベルトを外した。
左手首を捻ったらしく、鈍痛がした。
エアバッグから体を抜き出し、運転席のドアを押して開く。
バンから下りながら、右手で拳銃を抜いた。
右膝もどこかに強く打ち付けたらしい。痛みに体重を維持できず、月華は一度地面を転がった。
右肘から先を地面に着いて、立ち上がる。幸い、拳銃は手放していない。
月華はよろめきながら、タクシーへと歩み寄っていく。
あと数歩でタクシーに届く。
そんなタイミングで、タクシーの中から銃声が一発分、鳴り響いた。
* * *
世界の全てがひっくり返った。
直前に、車内が後ろから明るく照らされた。
次に、激しい衝撃と共に体が何度も左右に揺さぶられた。
誰かの叫び声がする。自分の叫び声かもしれない。
兎乃は必死でケージを強く抱え込んだ。
耳をつんざく衝突音。金属と金属が擦れ合う不快な音。
シートベルトをしていなかった兎乃の体は車内を跳ねまわった。
頭を強く打った。激しい痛みと同時に、頭がどろりと熱を帯びる。
左に体が投げ出され、左半身を酷くぶつけた。跳ね返るようにして別の場所を打ち付ける。
次に、天地が回転した。
兎乃は地面かと思ったが、実際には車の天井に、背中と腰を強打した。
息が詰まる。呼吸を整える暇もなく、更に車内を上下左右と強制的に跳ね回る。
最後には、転がるスペースすらもなくなった。
どこかに肩がぶつかった反動で反対側に跳ね、すぐにまた別のどこかに頭をぶつけた。
痛いと声を挙げる間もなく、上下左右から次々と壁が迫ってくる。
尖った金属片が体を切る。足に何かが刺さったような感触がある。
そうして、世界はようやく停止した。
――痛い。
耳鳴りがする。何が起こったのか分からない。
頭が酷く痛む。左半身の感覚がない。背中を強く打って呼吸がし辛い。
右腿から血が溢れている。恐らく頭からも。
視界がぼんやりと滲む。
ぐちゃぐちゃ、としか言いようがない光景が目に入って来る。
車のどこかのパーツだったものが、歪に形を変え、散らばり、兎乃の体をあちこちから押さえ付けている。
「……おとう、さん」
顔が動かせない。少しでも動かすと、酷い痛みで意識が飛びそうになる。
左目が開かない。顔の半分がどろどろと濡れていて気持ち悪い。
「……おかあさん」
右目だけを動かしてあたりを見回す。
しんしんと降る雪が、変わらず夜空に輝いて見える。
自分の位置関係が分からない。
お父さんも、お母さんも、美菜も、がどこにいるか分からない。
視線を動かしていると、不意に黒い塊が見えた。
判然としないが、兎乃にはそれが人の頭のように思えた。
「……みな」
誰からも返事はない。きちんと声が出ているのかも確かじゃない。
パチパチと火が爆ぜる音が聞こえる。
唐突に兎乃は寒気を感じた。
ああ、寒い。寒いな。凍えてしまいそう。
そこで、自分右手に抱えているケージの存在を思い出した。
最後の力を振り絞って少しだけ頭の位置をずらし、ケージの中を覗き込む。
小さな生き物がいる。
白い毛並みは雪のようで。
赤い瞳は命そのものだった。
「……うー」
不明瞭な視界の中で、ウサギがかすかに動いた。
鼻をヒクヒクと動かしながら、その赤い瞳が、兎乃のことを確かに見た。
「……よかった……うー、ぶじだった……ね」
兎乃はほとんど動かない顔で、ウサギに笑って見せた。
安心させるためにその頭を撫でてあげたかったが、右手を動かせるだけの空間も、余力も、どちらももうなかった。
「……こわくない……だいじょうぶ……」
兎乃はウサギを安心させるように、優しく声をかけ続けた。
寒い。
暖炉の火が爆ぜるような音がする。
うちには暖炉なんてないのに、どうしてだろう。
帰ったら、あったかいココアを飲んで。
そして、布団に入って、眠るんだ。
雪、積もるかな。
積もったら、美菜と雪だるまを作ろう。
眠いな。
きっと、眠ったら、もう起きることはない。
そんな気がする。
うーと再び目が合った。
ああ、こわいよね。
だいじょうぶ。こわくないよ。
私はここにいるから。
撫でてあげられたら。最後に。最後でいいから。一度だけ。
ダメかな。
残念だな。
そろそろ、眠るね。
神様お願いです。
眠る前に、わがままをひとつ、聞いてください。
うーだけで。
きみだけでも、いいから。
「……きみだけ……でも……いきて……くれれば……うれしいな……」
* * *
そうして兎乃が目を閉じていく姿を、わたしはケージの中から見つめていた。
わたしは、兎乃が大好きだった。
優しい瞳も。
穏やかな声も。
暖かな手も。
全部、全部、大好きだった。
兎乃は、わたしに生きていて欲しいと願った。
わたしは、兎乃に生きていて欲しいと願った。
わたしは、『この世界の蓮見兎乃』は、そうして生まれた。
蓮見兎乃を、生かし続ける。
ただそのために、わたしはウサギであることを忘れた。
それが嘘でも、世界が気付かなければ、本当と一緒になるのだから。
でも、『本当の蓮見兎乃』は、もういない。
わたしは気付いてしまった。思い出してしまった。
思い出したら、全てが終わってしまうのに。
これはそんな、叶わなかった夢の結末。
もう終わってしまった、一人と一羽の願いの物語。
* * *
わたしは、うっすらと目を開けた。
現実は、先ほど見ていた光景よりはまだ大人しく、タクシーもかなり形を保っている。
車体がひっくり返ってもいない。車体がガタガタに歪み、停車しているだけだった。
薄暗くて寒い。震えながら白い息を吐く。
両手を伸ばして、拳銃を料金メーターに向ける。
『九六.五七〇』。メーターはまだ動いているようだ。
わたしには分かる。あのメーターこそが、『無人タクシー』の本体だと。
引き金を引く。
乾いた音がして、銃弾が料金メーターを破壊した。
拳銃が手から零れ落ちる。
全身から力が抜けていく。
これでいい。
わたしの存在意義は、もうないのだから。
そうしてわたしはゆっくりと、深い眠りについた。
* * *
月華が歪んだタクシーの後部ドアを力任せにこじ開けると、座席に兎乃が倒れ込んでいた。
瞼は閉じていて、月華に反応する様子はない。
車内の足元に、兎乃の拳銃が落ちている。
「ラビ、しっかりしろ! ラビ!!」
月華は、兎乃の体を抱き起しながら大声で呼びかける。
見た限りでは致命的な外傷はない。それでも、兎乃の体はぞっとするほど冷たい。
「死ぬな! ラビ!!」
いつものように冷静になることができない。
月華は、兎乃を揺さぶりながら、その名前を呼び続けた。
『月華、応答しろ。月華!』
守屋から呼ばれていることに気付いた月華が、半分パニック状態で叫ぶ。
「守屋さん、ラビが、ラビが動かない!」
『落ち着け! 今SPOOに連絡して救助を向かわせている。君が救急措置を取るんだ、月華!』
肩で息をしながら、月華が小さくつぶやく。
「あたしが……」
『そうだ。落ち着け。君ならできるはずだ』
月華は次第に冷静さを取り戻していく。
兎乃を助けるために、頭を全力で回転させる。
「まずは……体温の維持。それから呼吸の確認」
月華は兎乃の体を抱き上げると、壊れた車内から運び出した。
まだ損壊がマシなバンの後部貨物室に兎乃を寝かせると、自身のジャケットを被せ、毛布を腰から下にかけた。
兎乃の口元に手をやり、呼吸していないことを確認すると、すぐに心肺蘇生を開始する。
兎乃の胸を強く、両手で圧迫する。
十五秒ほど続けたら、気道を確保しながら人工呼吸を行う。
「頼む……お願いだ……死なないでくれ……」
月華はそうつぶやきながら、繰り返し、繰り返し、兎乃の心肺蘇生を試みた。
毎日20:30に更新予定です。
明日は第23話を投稿いたします。




