第18話「AF-08d9f:スイート・アフターグロウ/ep1」
■第18話「AF-08d9f:スイート・アフターグロウ/ep1」
「……ラビの記憶が、消えていっている、か」
「ああ、まず間違いない」
それに気づいたその日の夕方、月華と守屋は隊舎の事務室で話していた。
守屋に呼ばれた波瑠も事務室へと顔を出し、ドアに寄りかかって聞いている。
夕陽が部屋に差し込み、部屋全体をうっすらと赤く染めている。
話題の人物である兎乃はいない。
半ば無理やりといった形で守屋が医療機関へと精密検査に送り出していたからだ。
兎乃本人に、記憶の話は一切伝えていない。
精密検査も、あくまでも連続した能力の使用による大事を取ってだと言い聞かせた。
「いつからだ?」
「分からないが、死に戻りの代償がそれだとしたら、ここに来たその日からだな」
月華は目をつむると、大きく息を吐いた。
波瑠は誰とも視線を合わせず、何も言わない。
「どれぐらい、消えてる」
「家族のことを忘れるまでに」
今日、兎乃は自分に妹がいないと言い切った。
これについては守屋自身の調書からも、月華との過去の会話からも、矛盾していることは間違いない。
そして兎乃が嘘を吐く理由はない。
何より、先ほどの反応が演技だとは、守屋には到底そうは思えなかった。
「……あいつ、どっか抜けてるとこあんなって思ってたんだよな。そっか。なるほどな」
月華はどこか納得したような口調でそう言うと、ソファーに深く体を沈めた。
沈黙に耐えられず、守屋が独り言のように口を開く。
「……普段の兎乃君の立ち振る舞いに問題は見られない。とすると、過去の記憶だけが消えていっているように思える。これがどこまで進行するのかは分からない。だが」
守屋はそこで言葉を止めた。重く沈んだ空気が事務室に蔓延している。
「これ以上、兎乃君を死なせるのは避けるべきだ」
月華と波瑠は返答しなかった。
二人とも、守屋の言っていることは理解できる。気持ちも同じものを持っている。
だが、それができるとは、誰も思っていなかった。
ゆえに、二人は返す言葉を思い付かなかった。
「話は分かった。……逆行性健忘症が一番近いのかな。俺、できることがあるか調べてみるよ」
波瑠はそう言うと、静かに事務室を出て行った。
波瑠が自分から誰かの手伝いを申し出るのは稀なことだった。
AFの被害で家族を亡くしている波瑠にとって、その記憶がどれほど大切か、波瑠なりに思う所があるのかもしれない。
扉が閉まる音を聞きながら、なおも二人は途方に暮れていた。
守屋は椅子に腰かけ、頭を項垂れて床を見つめている。
「……月華、僕は」
「言うな。誰のせいでもない」
結局のところ、守屋にも月華にも選択肢はない。
もし兎乃を現場から遠ざけたら?
利用できなくなった資源に価値は見出されない。少なくとも、この世界はそう判断する。
ではこのまま出動させ続けたら?
死は免れられないだろう。SPRRUの役割も、そもそも死を前提としている。
そして兎乃の死に戻りに限界がなくても、その前に兎乃が廃人になる未来の方が先に来る。
「あたしだってなんとかしてやりたいさ。でも無理だろ。あたしがしてやれるのは、せいぜい『できるだけ死なせないように気をつける』ぐらいさ」
月華は体を起こすと、ゆっくりとした動作で立ち上がった。
自分のデスクに置いてあったオイルライターを手に取ると、胸ポケットからタバコを取り出して火をつけた。
「ラビには言わねえのか」
守屋には答えられなかった。
決断するだけの気力がなかった。
「ま、言えねえよな。あたしも言いたくねえ。でもな。いつか、誰かが言わないといけない時が来る。
あんたが言わないなら、あたしがそのうち言っちまうぞ。言いたくねえけど、ずっと隠しとくのも耐えられねえんだ。……ラビは友達だからさ」
月華は守屋からの返答がないことを確認すると、そのまま事務室の扉へと向かった。
「ちょっと早いけど今日は上がるわ。お疲れさん」
扉が開き、そして閉まる音を、守屋は床を見つめながら聞いていた。
組んでいた指を解き、自分の手のひらを見る。
僕の手は、他人の血で濡れすぎているな。
守屋はそう考え、自嘲気味に口の端を歪めた。
* * *
それからの日々は、表面上は今まで通りに過ぎていった。
兎乃の記憶の喪失が発覚した翌日には、守屋はきちんと平静を取り戻していた。
やせ我慢か、なにか考えがあるのか、どちらか月華には分からないほどだった。
月華もまた、兎乃に隠し事を気取られるような態度は取らなかった。
兎乃の言動にも、おかしなところは表面上は全くなかった。
守屋と月華が極力過去のことに触れなかったというせいもある。
だがそれ以上に、兎乃自身すら忘れたことに気付いていない可能性があるという事実が、二人の心に付きまとった。
* * *
二月中旬。
ここ半月、兎乃は事務室の雰囲気にどこか変化があったことを感じていた。
月華も守屋も、どこか緊張しているような様子を見せることがある。
兎乃がそれに気づいているかは分からないが、二人はどちらもそれを他人に相談することはせず、少し経つと何事もなかったかのように振る舞うのだ。
自分の気のせいかもしれないと思いつつ、兎乃は二人に何も聞けずにいた。
そんな、まだ寒さの続くある日の昼前。
守屋が兎乃と月華に声をかけた。
「ねえ、君たち都市伝説って興味ある?」
兎乃は自分のデスクで座学をしていた手を止め、視線を守屋に向ける。
ソファーに寝っ転がって貸与スマホを操作していた月華も顔を上げた。
「都市伝説ですか? くねくねとかそうでしたっけ」
「アレだろ。スレンダーマンとかブラッディマリーとかそういうのだろ。生憎バーモントには酔っぱらいとクソガキしかいなかったから、会ったことはねえけど」
「あ、やっぱり地球にもそういうのあるんだ」
月華の言う都市伝説は兎乃には心当たりがなかったが、本題はこのあとにあるのだろう。
兎乃は居住まいを正し、守屋に聞いた。
「都市伝説がどうかしたんですか?」
「ちょっとね。君たちが知ってるのでこんな話、聞いたことあるかなって」
守屋はそう言うと、自分の端末を眺めながら語り始めた。
「『無人タクシー』。夜、街を歩いていると、呼び止めてもいないのにタクシーが止まり、ドアが開くことがある。そこにドライバーがいればただの勘違いだが、ドライバーがいなければそれが『無人タクシー』だ。『無人タクシー』に乗った客は、その人にとって最も戻りたい時間へと運んでもらえる。だけど、決してタクシーを降りてはいけない。二度と現実には戻って来れないのだから。だが、『無人タクシー』に乗って帰ってきた人はいない。それだけ過去は魅力的なのだろう。『無人タクシー』は今日も客を探して、夜の街を走っている。君の隣にも止まるかもしれない……だってさ」
兎乃は話を真剣に聞いていたが、月華は終わった傍から馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「私は聞いたことありませんね」
「アホくさ。お約束みてえな嘘話作りやがって。誰も戻ってきてねえなら誰がその話を広めたんだってんだよ」
「今、SNSを中心に中高生の間で流行ってるらしくて。僕も見た、私も見た、と都内の子供たちがしきりに話題にしてるんだって」
若者の間で話題になっているだけなら問題はない。
大なり小なり、若者はこういう面白い話題の種が大好きだ。
大人は小馬鹿にしてしまうヨタ話も、若者にとっては十分な娯楽になるのだから。
だが、残念なことに兎乃や月華はこういうヨタ話上の存在が実在してしまっていることも、知っている。
「……班長、もしかしてそれ、AFなんですか?」
「そうっぽいんだよね。SPOOからの出動命令が来てさ。都内を走る無人タクシーがAFとしての疑い濃厚だと。激しく移動し回るタイプみたいだから、まずは探すところからやってこいってさ」
守屋がそう言うと、月華は呆れたという顔で両手を上げて見せた。
「くっだんねえな。SPOOはいつからガキに混じっておとぎ話に花咲かすようになったんだ?」
守屋は苦笑して手を横に振る。
「違う違う、SPOOが言ってきたのは出動命令だけ。都市伝説の方は、僕がどっかで聞いたことあるなって今調べてみた結果。ま、このタイミングでこの話題だ。関係がないとも思えないけどね」
確かに類似性は高い。
もしこの都市伝説と、SPOOが目を付けたAFらしきものが同じものな場合、いずれ実被害が出ることは間違いない。
そうなると情報統制はやや面倒になるだろう。
これだけSNSで盛り上がってしまうと、『無人タクシー』の話そのものをなかったことにするのは難しい。
被害規模はともかく、AFを秘匿したいSPOOとしては厄介な火種になりかねない。
ならば実被害が出て、一般市民に嗅ぎつかれる前に処理してしまいたい。
SPRRUに捜索から手伝わせるのは、そういう背景があるのかもしれなかった。
「……でも、何から始めればいいんでしょうか?」
兎乃は疑問を口にする。
捜索するのはよいとして、現時点では目撃情報と噂話しかないのも事実。
適当に都内を走り回るのは、砂場に落とした塩一粒を探すような話である。
「そうなんだよね。結局、地道に行くしかないかなあ。二人は夜まで自室で待機してくれる? 僕と波瑠で目撃情報を元に巡回ルート決めておくから」
「了解」
「了解しました」
無人タクシーの都市伝説に合わせ夜に捜索に出るため、それまで実質的な休息時間になった。
兎乃と月華は二人で事務室を出て、三階の自室へと戻る。
月華は前回の出動から、気のせいか口数が減ったように兎乃には思えていた。
雑で、優しい、いつも通りの月華に見えるのに、ふとした瞬間黙っていることが多い気がする。
「……ねえ、ユエ。何か気になることでもあるの?」
黙って兎乃をじっと見つめたままの月華に、兎乃が首をかしげた。
月華は聞かれたことに驚きの色を見せてから、諦めたように溜め息を吐くと、頭をかきながら兎乃に言った。
「あークソッ。……限界だな。ラビ、悪いけどちょっと付き合ってくれ。話したいことがある」
月華はそう言って、自分の部屋の扉を開けた。
なんだろう。兎乃は不思議に思いつつ、月華の後を追う。
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明日は第19話を投稿いたします。




