番外編その5「クッキーと幸せの話」
■番外編その5「クッキーと幸せの話」
準備完了。
気合満タン。
「さあて、やりますか!」
よっしと気合を入れて、エプロン姿で三階のキッチンに立ち、用意した材料と器具を見下ろす。
こつこつと節約した経費から捻出した、バターにお砂糖、卵と牛乳、薄力粉。
こちらの世界に来てからはじめての、お菓子作りの時間だ。
「常温バターよし! 常温卵よし!」
指差し確認しながら、最後に古ぼけたオーブンを軽く開けて熱気を顔に感じる。
「オーブン余熱よし!」
作業開始だ。
まずはボウルにバターを入れ、潰して混ぜる。
常温に戻っていることもあって、さほど時間もかからずにバターはクリーム状へ変化していく。
次にお砂糖と卵を投入する。
お菓子作りの基本は、きちんと分量を守ること。
あと、入れるお砂糖の量にドン引きしないことだ。
完成してしまえば、その暖かい幸せの匂いで、全てが許されるのだからこれぐらいの罪は気にしない。
混ぜる。まだ粘度が低いので難しくはない。
ヘラで伸ばして返し、伸ばして返し。混ぜ混ぜかしゃかしゃ、喜びの足音がする。
「ラビ、何してんの?」
部屋から出てきたユエが、珍しい物音を聞きつけてキッチンへ出てくる。
「ふふ、何をしているでしょう?」
ご機嫌の私はボウルを持ったまま振り返り、ユエにそれを見せた。
ボウルの中身とキッチンに並べられた薄力粉と麺棒を見比べて、ユエがどことなく疑問形で言う。
「……あー、クッキー?」
「うん! できたら一緒に食べようね」
「おう、楽しみにしてるな」
笑顔で約束し、ユエが部屋に帰るのを手を振って見送る。
作業再開、しっかりと混ざったボウルの中身を見てから、さあここからだと気持ちは腕まくり。
薄力粉をふるいにかけ、ボウルの中のペーストと混ぜる。
混ぜて混ぜて、全体が均一に滑らかになってきたら、再び薄力粉をふるいにかける。
次第に生地が、ペーストから粉っぽくなっていく。
そこから親の仇のように、練って練って練る!
その昔、パティシエは男性の職業だと言う話を聞いたことがある。
理由は、お菓子作りはとにかく体力と腕力が必要だから、というような感じだったと思う。
それについて、私は同意も否定もできるだけの知見はない。
いくら趣味だとは言え、朝から晩までお菓子を作り続けたことは流石にないからだ。
でも、ひとつ確かなことがある。
たかがクッキーとはいえ、ここの作業の労力を舐めてはならない。
だけど、ここできちんと生地が均一になるまで妥協せずに練り続けるのが、一番のコツだ。
だから練る。薄力粉をふるう。練る。
ちょっと休憩して腕を休ませて、またふるって練る。
荒くダマっぽかった生地が、次第にしっとりとしたひとつの塊になっていく。
個人的に一番好きなのが、この瞬間だ。
材料がひとつになって、クッキーに魂がこもっていく。私はそう表現している。
「完璧!」
黄色くしっとりした、クッキー種が完成!
既にふわりと甘い匂いがする、不思議な感触の、かわいい物体。
しかも、このまま食べても実は結構美味しい。
お腹を壊すので、我慢しなければいけないのが、玉に瑕。
一つにまとまった生地を取り出し、ラップで包んで冷蔵庫に投入。
ここで休憩しながら、ボウルとヘラはお仕事終了。お疲れ様。
手を洗ってから使い終わった器具も洗い、一休み。
今日は日曜日で、一週間で唯一の休日だ。
一階と二階は施錠されていて使えないので、私とユエはいつも基本的に自分の部屋で一日を過ごしている。
たまにどちらかが暇になったら、お互いの部屋を訪ねて遊んだりもする。
外出すら自由にできない私たちは、そんな休日でもそれなりに満喫していた。
もちろん、万が一出動命令があれば、休日など吹き飛ぶだろう。
守屋さんや波瑠君も休日出勤し、私とユエも課せられた責務を果たさなければならない。
だからといって、休日に息抜きをしない理由にはならない。
これも含めて、これが今の、私の『生活』なんだ。
好きな曲を歌いながら、共有の食事スペースの椅子に座って過ごす。
ユエにも歌声は聞こえているだろうけど、私がいくら同じ曲を歌っても、絶対に文句を言ったりはしない。
私はそんなユエが、大好きだ。
お菓子作りは趣味だけど、自分のために作るなら買ってくればいいやと思ってしまう。
やっぱり、食べてくれる人がいるから、こういうのは楽しいんだ。
三十分ほど冷やした生地を冷蔵庫から取り出し、クッキングシートの上に乗せる。
麺棒で転がし、丸い塊を平べったくピザみたいに伸ばしていく。
ここのポイントは、厚みを揃えること。そうすると綺麗に揃った出来栄えになる。
型抜きは残念ながらバリエーションがない。
ひとつだけ買うことができた、シンプルな真ん丸の型で生地をくりぬいていく。
ぽんぽんとスタンプを押すように生地を抜き、抜ける場所がなくなった穴ぼこ生地をまたひとつにして広げ直す。
そうしてできるだけ無駄なく、できるだけ多くのクッキーを焼けるようにする。
最後に余った種は適当にこねてミニクッキーにしてしまおう。
これはこれでかわいいものができる。なんとなくハートっぽいものにしておく。
最後にそれらを天板に並べて、オーブンへイン。
大体十分ちょっとで焼きあがる。
それと、今日は大切なティータイムの予定なので、出し惜しみはしません。
お湯を沸かし、ひとつしかないポットにさっと注ぎ、ポットを温めてからお湯を捨てる。
ポットの温度が下がらないうちに再びお湯を注ぎ、ティーバッグを放り込む。
蓋をして数分しっかりと蒸す。紅茶を美味しくするのは、こういうひと手間。
ミルクとお砂糖、ティーカップとティースプーンを二人分用意してテーブルに並べておく。
クッキーの焼ける匂いがし始める。
お砂糖と小麦粉と卵が焼ける、甘い甘い匂い。幸せの香り。まさしく天使の息吹!
上機嫌でユエの部屋の扉を叩き、返事も待たずに勝手に開く。
「ユエ、おやつにしよ!」
* * *
「はい、どうぞ!」
焼きあがったクッキーをお皿に乗せ、向かいに座ったユエに両手を広げてみせた。
ユエは舞い上がる私にちょっと苦笑いしながら、クッキーを一つ手に取った。
「あっち!」
焼きたてのクッキーを侮ったか、その温度に思わず落としそうになるユエを見て笑う。
少し冷ましながら、舌が火傷しないよう小さく一口、ユエがクッキーを食べる。
十分な甘さに頷きながら、かじたクッキーをユエが眺めている。
「不思議だよな。クッキーって言えばサクサクってイメージなのに、焼きたてはこんなに甘くてしっとりするんだから」
笑いながら、クッキーの残りをぽいと口に放るユエを見て、私も嬉しくなる。
「美味しい?」
「当然!」
私のミルクティーとユエのレモンティーの湯気が、二人の笑い声でふわりと歪む。
味気のない共有スペースも、今日は甘くて幸福で満ちている。
たった三十分の、それでも今日一番大切な、ティータイムの時間を堪能する。
小さなハートのクッキーは、最後に半分こにして、二人で食べた。
この時間のために、私は今日を生きている。
本話は、3章と4章の間の、インターバルストーリーです。
本編とは関係のない、ある日の日常を描いた回になります。
本日は20:30に、もう1話投稿させて頂きます。




