第16話「AF-08d78:エターナル・ドライフラワー/ep5」
■第16話「AF-08d78:エターナル・ドライフラワー/ep5」
「……あった」
十回と屋上フロアを繋げるのは、幅が広くて一段が低い階段だった。
公園によくあるような形状のそれを、兎乃は上がっていく。
階段の向こうには、夜の空が見えた。
時刻は夜の十時を回っており、暗いことには変わりない。
だが、月明かりと遠くから照らされる街の光があるだけで、解放感は段違いだった。
重くなっていた兎乃の足取りが、わずかに早くなる。
屋上フロアには、広大な植物園が広がっている。
正面は入口。そして見る限り、左右と奥に大きな円形のエリアが広がっている。
中心をハブにして、異なる生態系を模した三つのエリアを用意しているらしい。
兎乃は時計を見た。十一分経過。残り十九分。
エリアが三つあるなら、ひとつあたりに使える時間は単純計算で六分ほどになる。
思ったよりも時間が少ない。
兎乃の心にある焦りが大きくなっていく。
不安を消すように二度深呼吸して息を整えると、兎乃は仲間に向けて報告した。
「班長、こちらR2。屋上に到達しました。これより胞子嚢核を捜索します」
間髪入れずに守屋の声が返って来る。
『守屋了解。兎乃君、恐らくだが胞子嚢核は人間大の大きさがあり、胞子を包むような形状、もしくは葉に胞子が集合しているような形状をしていると考えている。これはエネルギー総量や類似植物からの推測でしかないが、大きく異なることはないはずだ』
「分かりました。見つけ次第連絡します」
『頼んだ』
通信を終えると、兎乃は入口へと歩み寄った。
植物園の入り口はガラスの自動ドアだった。もちろん今は動いていない。
兎乃は一度背嚢を下ろし拳銃を取り出すと、ガラスドアに向けて満遍なくマガジンひとつ分の弾を撃ち込んだ。
弾が貫通する度に、ガラスに白い亀裂が走る。適切な距離を保ち、亀裂をガラスドアに刻み込む。
弾切れになったことを確認してから、兎乃は勢いを付けブーツの底でガラスを蹴りつけた。
想像より強固ではない抵抗ののち、ガラスドアの一枚分が粉々になって砕け散る。
入口は開いた。
兎乃は地面に置いた背嚢をそのままに拳銃をしまうと、テルミットカートリッジとケミカルライトを取り出した。
砕けたガラスの破片を踏み越えながら、植物園の中に入る。
植物園の中も、モール内と同様に真っ白だった。
石畳風の歩道、多種多様な植物、展示されている説明看板など、全てがカビと粉に覆われている。
一面ガラス製の外壁だけは、多少浸食がし辛いのか、所々ガラス面が見えている部分もあった。
兎乃は少しだけ考えてから、向かって左のエリアへと歩を進めた。
小部屋を挟んで二つ目の扉を開くと、そこは高原を模したかのようなエリアだった。
どちらも電源が止まり流れは停滞しているが、人造の小川や、小規模だか滝のような構造もある。
背の高い植物が生えている箇所と野草が広がっている箇所が明確に分かれている。
そして何より、室内は低温で、やや霧がかかるほどに湿度が高かった。
周りを見回しながらルート通りに進んでいく兎乃。
全てが白い。どれが胞子嚢核なのか、見分けがつかない。
「これじゃ見落としてるかも分からない……」
視界が悪い。マスクに加え、一面の単色に、かすかな霧。
兎乃はマスクについた結露を指で拭い、ひとつ咳をした。
……咳?
そこで気づいた。喉が痛い。
霧が濃くなっている。まさか、防護マスク越しでも浸食できるのか。
その時にはもう手遅れだった。
喉の奥が燃え上がるような感覚がした。
熱と痛みのどちらかが分からないものが、外は口へと、中は気管を伝って体内へと入り込む。
声が声にならない。苦痛という音が口腔から溢れる。
体が内側から食い荒らされていくという事実に、理性が耐えきれなくなった。
兎乃の意識が飛ぶ。
* * *
気づいた時には、兎乃は中央ハブから左のエリアへと向かう小部屋でうずくまり、虫のような呼吸をしていた。
口元が気持ち悪い。防護マスク内には自身の吐瀉物が溜まっていた。
むしり取るようにマスクを取った。外気に当てられた汗が体温を更に奪う。
手で喉を触る。ゴム手袋越しに喉があることを確認し、安堵する。
ダメ――だ――
動かなければという思いと、動きたくないという思いが頭をぐるぐると回る。
芋虫のようにうずくまったまま這って進み、腕の時計をちらりと見た。
状況開始から十四分経っている。半分が過ぎた。
兎乃は這ったまま左エリアに繋がる扉に手をかけ、そして。
扉を開けられなかった。
中に入れば死ぬ、という事実が、兎乃の手を止めている。
怖い。嫌だ。助けて欲しい。
ユエがいない。
一人であることが心細い。「もういいよ」と言って欲しい。
兎乃はヘッドセットに手を伸ばし、マイクのミュートを解除しようとした。
だがその手は、解除する前に止まった。
仲間に自身の苦しみを伝えるのは自己満足だ。
彼らは、自分の苦しみを聞き、同様に苦しみ、傷付き、助けたいと思ってくれるだろう。
でも、それは何の解決にならない。
月華と守屋がどんなに優秀でも、この死に包まれたモールで生きることは難しい。
ならば。
自分の選んだ道なんだから、自分の力で進むのが、自分の責務だと、兎乃は自分に言い聞かせる。
歯を食いしばりながら、地面に転がった防護マスクを手に取る。
袖を使って吐瀉物を拭き取ると、吐き気を我慢しながら再度装着した。
テルミットカートリッジとケミカルライトを拾う。
たった一キロのそれが、あまりにも重い。
まだ、進める。
兎乃は扉にもたれかかるようにしながら、半ば体重で開けると、再び同じエリアへと踏み込んだ。
ふらつきながら、記憶がある限りのルートを出来る限りの速度で進む。
ここはもう見た。見てないのは、後半部分だけだ。
見落としていないかを気にする余裕はない。
半ば機械的な使命感で、真っ白の光景から異物を探し、駆け足で進む。
高原エリアを一周し、あと十メートルほどで中央ハブに戻れる所まで見て回ったところで限界が来た。
顔の表皮が削られ、血と体液が流れ出す不快感と激痛に泣き叫びながら、兎乃は今日三回目の死を迎えた。
* * *
四度、五度、六度。
兎乃はこの植物園で、何度も何度も死を迎え、そして戻って来ている。
四度目と五度目は正面の熱帯雨林エリアで。六度目は右の砂漠エリアで。
死ぬ度に、時間は戻る。だが同時に、動き出せるようになるまでの間隔も伸びていた。
防護服は一定の効果を発揮しているが、絶対ではなかった。
自身の『弱点』に近付く異物に対し、AFはモール内とは比較にならない速度で兎乃を襲った。
一度の探索で動ける時間はおよそ三分。
皮肉にも、死んでから戻る時間と、ほぼ同等だった。
また、過去の死に戻りとは違う、新たな感情を兎乃は抱き始めている。
諦観。
もう駄目だ。どうせまた死ぬんだ。そういう底なしの沼のような黒い思い。
そして、欠落。
死ぬ度に何かを失っている。感情か、理性か、はたまた希望だけが摩耗していっているのか。
嫌だ。
もう嫌だ。
一人で体を丸め、涙を流しながらも、でも兎乃は地面に手を付いて立ち上がる。
時計を見る。状況開始から二十六分が経っている。
もう時間がない。次に死んだら、もう時間内に動けるとは思えない。
「……もう一度だけ。もう一度だけ」
テルミットカートリッジとケミカルライトだけを無表情で拾い上げると、幽鬼のようにふらふらと歩き出す。
* * *
「……まだなのか」
守屋の声が、多分に焦りの色を含んでいる。
月華と守屋が狙撃地点で待機しはじめてから二十分以上が過ぎた。
植物園に入ると連絡があったのが十五分前。
兎乃が胞子嚢核の捜索に苦戦していることは疑いようもない。
苦戦している――随分と生易しい表現だ。
月華は、自分自身も焦り、苛立っていることを自覚した。
ラビ、大丈夫か。
一言声をかけられたら、どれだけ自分は楽になるか。
そして兎乃はこう返すだろう。
――大丈夫。心配しないで。
憔悴しきった声で。
それを想像したら、更に焦り、苛立ちが募った。
そんな行為は甘えでしかない。兎乃が助けを呼ばない限り、お互いの役目を全うすることこそが信頼だ。
強く歯を食いしばりながら、スコープの中を覗き続ける。
ほとんど祈りに近い感情で月華は願う。
無事でいてくれ、と。
* * *
兎乃は本能的に、熱帯雨林エリアを選んで扉を開けた。
高原と熱帯雨林は二回ずつ確認している。対して砂漠は一度しか確認していない。
単純に考えれば、砂漠エリアが一番探索が甘いと言える。
事実として、砂漠エリアの後半三割ほどは見ることすらできていない。
だが、兎乃は正面の熱帯雨林エリアに入った。
理由は自分でも説明できない。
あるとしたらここだ。
なぜだかそんな気がした。それだけだった。
熱帯雨林エリアはもっとも見通しが悪い。
だから、自分が何かを隠すなら、このあたりにする。
もはや論理性も何もない思い付きだけで、兎乃は正規ルートを離れ鬱蒼と茂る草葉に踏み入る。
葉が揺れる度、骨粉が落ちる。
茎や葉を覆うカビも、今ではできるだけ触りたくないという気持ち程度しか抱かなくなっている。
だから、正面にあるそれに気づいたのは、本当に目の前まで来てからだった。
丸い、バランスボールのような植物がある。
最初、兎乃はそれをサボテンか何かのような、そういう植物だろうと思った。
そしてそれの脇を抜けようとしたとき、理性の欠片が違和感を覚えた。
「……カビじゃ、ない」
それは、ただ白いだけだった。
骨粉はおろか、カビすら全く覆っていない。
これだ。
兎乃は摩耗しきった頭で、そう断定した。
時計を見る。状況開始から二十九分に達している。もう他に探す時間もない。
「……R2、胞子嚢核を、見つけました。丸い、バランスボールみたいなやつ……入口から正面の……熱帯エリア。そこの右端側の、茂みの中です」
手に持ったテルミットカートリッジを、それに取り付ける。
滑らないように粘土のようなもので固定し、兎乃はよろよろとふらつき、五メートルほど先のガラス壁にもたれかかった。
無線から守屋の焦った声が聞こえる。
『よくやった! 兎乃君、すぐそこから離れろ! 月華、ターゲットを探せ! 見つかるか?』
『今探してる! クソッ、ガラスの奥が見辛え……! 班長、相談通りまずは外のガラスを割るぞ!』
『待て! 兎乃君の位置が分からない!』
『時間がねえぞ! だったらどうするんだ!』
二人の言い合いを聞きながら、兎乃は消え入りそうな声で無線に割って入る。
「ユエ、私はここだよ。あと、お願いね」
兎乃はそう言って、最後に手に残ったケミカルライトを折り、ガラス壁に押し付けた。
* * *
『あと、お願いね』
兎乃の声がすると同時に、月華の視界の先にあるガラス窓の一部分が、かすかに緑色に発光した。
「割るぞ! ラビ、伏せろ!」
守屋の返答を待たず、月華は右手で対物ライフルをコッキングし、素早くトリガーを引き絞った。
ドゥン、と重く響く炸裂音がする。
月華の体が、対物ライフルごと後ろに十センチほど押し出される。
激しい反動に、月華は撃ったあと目標を認識するのに二秒ほどを要した。
その間、守屋は月華の隣で植物園を見ていた。
月華の放った弾は、兎乃が発したケミカルライトから大きく外れた箇所を狙っている。
初弾の目的は視界の確保。それは事前に決めていた通りだった。
植物園の一辺を占めるガラス壁が、派手な音を立てながら崩れ落ちる。
兎乃が崩壊するガラスに巻き込まれていないことを祈るしかない。
開けた視界の先に、真っ白な熱帯雨林が見える。
守屋はすばやく、双眼鏡でケミカルライトの付近を見渡した。
丸い、バランスボール。
――いた。
即座に守屋は指示を出す。
「目標を捉えた。正面八十メートル。初弾から右に十メートル。風なし。
次弾装填」
月華がコッキングレバーを力強く引いた。二発目の焼夷徹甲弾が装填される。
「撃て」
――くたばれ。
月華はスコープの中に目標を捉え、心の中の焦りと苛立ちを全て弾に込め、トリガーを引いた。
二発目の轟音が夜の屋上に響き渡る。
再び反動が月華を襲い、スコープが跳ね、視界が揺れる。
「着弾」
月華は、自分が放った弾丸がどうなるかを確認する前に、守屋の報告を聞いた。
* * *
『ラビ、伏せろ!』
兎乃が返答する間もなく、耳をつんざく轟音と共に、直前まで寄りかかっていたガラス壁が弾け飛んだ。
ギリギリのタイミングでガラス壁を離れ、地面に伏せ頭を抱えた兎乃は、自分の後ろでガラスが降り注いでいることを感じている。
対NBC防護服とプレートキャリアのおかげか、体に痛みは感じなかった。
『次弾装填――撃て』
矢継ぎ早に交わされる無線と同時に低く重い発砲音が響き、ほぼ同時に兎乃の近くで弾丸が炸裂する。
胞子嚢核を貫くと同時に弾丸が燃焼し、内側から爆発が起こるように膨れ上がり。
そしてテルミットカートリッジに延焼し、瞬間的に超高熱の、それに比して小さな爆炎を生じさせた。
『着弾』
守屋のつぶやきのような一言を無線で耳にしながら、兎乃はその場から這って離れていた。
焼夷徹甲弾とテルミットカートリッジの爆発は、事前に聞いていた通り範囲が狭く、兎乃が巻き込まれることはなかった。
湧き上がる熱を防護服越しに感じながら立ち上がった兎乃は、轟々と燃え上がる胞子嚢核を見た。
それは原型を保てなくなり、燃える火に埋もれて消えていく。
それだけ見やると、兎乃は最後の力を振り絞って駆け出した。
このモールから、脱出するために。
* * *
それからあとのことを、兎乃は詳しく覚えてはいない。
来た道を引き返し、エスカレーターを下り、一階の正面口までふらつきながら走る。
速度的にはほとんど歩いているにも変わらなかったが、兎乃はモールから脱出した。
モールの正面口には、兎乃と同様に防護服を着込んだ月華が既に待機していた。
「ラビ!」
崩れ落ちるように膝をつく兎乃を、月華が正面から支えた。
兎乃と月華のマスクがぶつかる。ちょうと、作戦開始の前のように。
マスク越しに二人の眼が合う。
兎乃は嬉しそうに目を細めると、疲労困憊の体で腕を上げ、ピースサインを作って見せた。
「……ナイスショット」
「当たり前だ。でなきゃ、ラビのバディに相応しくねえ」
月華は安堵したように笑うと、兎乃を背負った。
「班長がG.S.P.Tに応急手当の準備させに行ってる。よくやった、ラビ。もう休んでもいいんだ」
「……ユエ、これ」
背負われたまま、兎乃は月華の目の前に何かを差し出した。
それは、月華のオイルライターだった。
「約束。返しに来たよ。……怖かったけど。ユエが、待っててくれたから」
月華は兎乃の手をライターごと握りしめた。
ゴム手袋ごしに、お互いの体温を感じる。
「愛してるよ、マイスイート。さ、帰ろうぜ。明日はあたしがメシ作ってやるよ。何がいい?」
「……ユエのご飯、手抜きだからなぁ」
「文句言うな」
二人の笑い声が、夜の街に溶けていった。
毎日20:30に更新予定です。
明日は第17話を投稿いたします。




