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第13話「AF-08d78:エターナル・ドライフラワー/ep2」

■第13話「AF-08d78:エターナル・ドライフラワー/ep2」


 先を行く月華が、モールの正面口直前まで進む。

 あと数メートルで単色の世界に踏み込むことになる。


『周波数を四三四.六メガヘルツに変更。無線をG.S.P.Tと共有』


 無線から波瑠の声がする。

 以降の通信はG.S.P.Tに聞かれることになるが、彼らが音を乗せてくることはない。

 こちらの会話はただの情報として処理されているはずだ。

 聞かれているのはやや居心地がよくないが、高圧的に命令されるよりはマシかと兎乃は納得する。


 左足で軽く地面を叩き、耳を澄ませる。


「……何の音もしませんね。臭いも」


「踏み込んだ瞬間即死、ってことはなさそうか」


 月華がフラッシュライトでモールの奥を照らす。


 ライトによって円形に切り取られた風景は、想像通りどこも白一色だった。

 通路、テナントの壁、中に見える商品棚、どこまでいっても白、白、白。


 そんな光景に、月華は違和感を覚えた。


「生存者がいねえのは分かるが、死体もねえってのは解せねえな」


 兎乃も別の方向を照らすが、やはり人影はない。


「建物の奥に逃げたのかな」


「それも妙だな。普通は出口に殺到するだろ」


「うーん、入り口側にAFが出たとか?」


「閉じ込められたって可能性もあるか。……よし、入るぞ」


 仮定がどうあれ、二人に入らないという選択肢は与えられていない。

 月華がモールの内部に慎重に足を踏み入れる。


 その足は白いものに一センチ弱程埋まり、サクっというビスケットを噛んだような音がした。


「……雪じゃねえ。粉だな。粉が積もってる。石ころぐらいの塊もあるな」


 小さな塊は、砕けるものもあれば、本当に石のように固いものもあった。

 月華がつま先で粉を蹴りあげると、それは舞い上がることはなく散った。

 挙動としては砂に近い。


「重い。小麦粉とか石灰じゃないが、塩や砂糖にしては大きさがまばらすぎる」


 サクッ、サクッ。

 月華が歩くたびに足元で小気味よい音がする。


 兎乃も後から続いて敷地内に踏み入った。霜を踏むようなやや硬質のものを砕く感覚と共に、やはりサクッと軽い音がする。


『危険そうか?』


「そうでもない。少なくとも体に異常は感じないね」


 モール一階は女性用化粧品のフロアになっている。

 ゆえに、比較的壁は少なく見通しは良い。ライトを向ければ、かなり奥の方も窺うことができる。


 兎乃は一番近い売り場に入り、棚などを見て回った。

 商品も全て白く染まっているが、これだけ近づくと更に分かることがある。


 付着している粉にムラがあり、粉に下に更に白いものがあるのが分かる。

 指で粉をこすると、下地がむき出しになった。明らかに粉ではない。

 軽く触れると、下地は綿毛のようにふわふわしていた。


 どこかで見たことがある。兎乃は記憶を探って似ているものを羅列していく。

 そして、それだと分かった瞬間、兎乃は反射的に壁から身を離した。


 気持ち悪い。


「この階はハズレか? 班長、上と下どっちから見る」


『上からだ。下は搬入口から入った第二班に任せろ』


「了解。……ラビ、どうした?」


 月華に声をかけられた兎乃は、眉をしかめながら月華の方を見た。


 両手で口元を覆っている。吐き気はまだしていない。

 これは、それを吸いたくないからそうしているのだ。


「ユエ、これ……カビだ」


「カビだって?」


 言われて月華は兎乃がこすった商品の一部を見た。

 粉が剥げている部分を確認してから、ホルスターに拳銃をしまうとサバイバルナイフを腰から引き抜いた。


 ナイフの切っ先を当て、削ぐ。表面の残った粉は零れ落ち、綿のような下地が削られて刃先に乗る。

 削ったのち、わずかな部分だけだがクリーム色の本来の商品が露出した。


「なるほど。ってことはもしかしたら」


 月華はナイフについたカビを拭いながら、足元の粉をブーツの底で掘った。


 砂のような重さの粉がかき分けられ、すぐに底が露出する。

 そこにも同様に、カビが生えていた。


 モール内の雪化粧の正体は、モノというモノ全てにびっしりと生えたカビと、それを覆う粉だった。


 兎乃の全身が精神的嫌悪感で総毛立つ。


 風呂場でカビを見てしまっただけでさえ気持ち悪いのに、今は四方八方全てがカビに囲まれている。

 ブーツと靴下沿いに足の裏がぞわぞわする。立っているだけで足裏が気持ち悪いのに、逃げ場所がどこにもない。


 兎乃は涙目になりながら月華を見る。当の月華は地面にしゃがむと、粉をひとつかみほどすくっている。

 手のひらの上の粉を、肩のカメラにも映るように眺める。


「波瑠、これ何か分かるか?」


『調べてみる。……画像にした。もういいよ』


 月華は手の上の粉を軽く吹いてみる。全部とは言わないが、飛ぶぐらいには軽い。

 それから粉を捨てて手を払った。


「このカビがAFか? それともAFの影響か?」


『分からんな。進んでみるしかあるまい』


「了解。ラビ、片手は口に当ててもいい。片手は銃を持ってろ」


 月華に言われ、兎乃は頷いて片手を自由にした。

 フラッシュライトは使えなくなるが、月華に頼ることにする。


 粉を踏みしめて砕く音をさせながら、二人は二階へと続くエスカレーターを探した。


 フロアに生物の気配はなく、二人の足音だけが響く。

 空気が張り詰めた、街灯もない雪の夜を思わせるモールの中。


 ――その時、兎乃の脳裏に何かが閃いた。


 雪。


 あたりは今のように、しんしんと雪が積もっている。

 周囲の音は雪に吸われ、溶けていく。


 金属の擦れ合う音。パチパチと燃える火。

 それだけが耳に届く。


 寒い。暖炉の火の近くへ。


「ここだな。……ちょっと休憩するか?」


 エスカレーターを見つけた月華が兎乃の顔を見ていた。

 どこか上の空の兎乃を、疲れているのかと心配している。


「……ううん、何でもない。進もう」


 今は関係ない。そう自分に言い聞かせ、兎乃は先を促した。

 月華は不思議そうな顔をしたが、頷いて再び先導した。


 二人は止まったエスカレーターを歩いて上がる。

 二階も一階と同様に、一面粉で覆われていた。


 息苦しい。


 片手で口を覆っているというのもあるが、それ以上に空調が止まった建物の中という理由が大きい。

 一階はまだ風通しが良かったが、二階は空気そのものが淀んでいるように感じる。


 兎乃は額から汗が流れるのを自覚した。


 指先がチリチリし、顔がかゆい。不衛生さからくる不快感が肌に刺激を与える。

 重苦しい空気の中を、二人が粉を踏みしめながら歩いている。


 二階にはカフェテラスだった場所があった。


 いくつもの丸テーブルが等間隔に並び、それぞれに椅子が備えられている。

 真っ白であるということを除けば、何の変哲もない風景。


「あっ」


 疲れもあったのかもしれない。

 テーブルのひとつの脇で、兎乃は砂浜のような粉に足を取られた。


 バランスを崩し、テーブルに手を付く。

 粉がざっと散るなか、兎乃の手がより固い物に当たった。


「ラビ、大丈夫か」


 慌てて手を引っ込めた兎乃が見ているものに、月華も気付いた。


 お椀の欠片のようなものがテーブルに乗っている。

 弧を描くような形状の、白い塊。材質はあたりに散る粉と似ている。

 割れる前の形がボール状だとしたら、大きさは人の頭ぐらいか。

 元の形は予想するしかないが、一部分に穴が開いていたようだ。穴は並んで二箇所ある。


「なんだ、ここだけ粉が固まってんのか?」


 いや、違う。兎乃は気付く。


 ここだけ固まっているんじゃない。他が崩れているんだ。


 人の頭ぐらいの大きさなんじゃない。


 これ自身が、人の頭のなれの果てだ。


 兎乃の顔から汗が一滴落ちる。カビを覆う粉の正体が連鎖的に分かる。

 伝えなきゃ――そう思った瞬間、指先のチリつきが、強くなり、そして広がった。


「……痛っ」


 反射的に右手を見る。


 そしてようやく気付いた。右手の人差し指から手の平までが白く覆われている。

 更に、それは兎乃の見ている前で速度を上げながら手首を、その先を覆おうとしていた。


「い、嫌ッ!!」


 まずはじめに感じたのは、一階で感じたのと同様の生理的嫌悪感。

 右手を強く振るが、当然カビは取れない。


「ラビッ!」


 異変に気付いた月華が駆けつけるが、兎乃はパニックを起こしている。

 次に、チリつきは明確な痛みへと変わった。


「あ゛っ!!」


 指が千切れた。指先の痛みが限界に達し、燃えるような熱さと共に弾ける。

 人差し指を皮切りに、中指、親指、そして右手全体が順に千切れていく。


「あああああ!!」


 兎乃はもう叫ぶこと以外にできない。


 月華は見た。兎乃の肌が白く染まっていく。

 そして増えていく白の下で、肌が赤から紫へと変色し、そしてなくなっていく様を。


 さすがの月華も戦慄する。

 目の前で溶けていく兎乃を前に、どうすれば彼女を救えるかを考えるのに数秒を要した。

 その間に、兎乃の浸食は進んでいく。


 感染ならもはや患部を切り離すしかない。


 逡巡した数秒で取り返しがつかなくなっていることを恐れながらも、月華はサバイバルナイフを引き抜いた。

 そこで気付いた。自分の右手も、白く飲み込まれつつあることに。


 その傍らで、兎乃の浸食はとめどなく進んでいく。


 右手はなくなった。肘から先が溶けるようになくなっていく。

 袖は体よりやや遅れて劣化しながらへこんでいき、内側のものがなくなっていくことを明らかにする。


 筋肉や血管の支えを失った真っ白な骨が、肉体がなくなる傍から床へと零れ落ちていく。

 ああ、骨だけは無事。だからこんなに一面に。兎乃は場違いにそんなことを考えている。


 右肩から胴、そしてついに顔へと熱と痛みが連鎖していくのを感じる。

 もはや意味のない涙が零れることを、兎乃は自覚していない。


 ――喰われている。


 激痛で意識が飛ぶ間際、兎乃は自分に起こったことを正しく認識していた。



 * * *



 まず、無意識に右手が後ろへ跳ねた。


 化粧品売り場の棚に積まれた真っ白い商品のひとつ、その表面の粉を落とそうとしていた指を、兎乃は思い切り引き戻す。


 どろりと顔から脂汗が湧く。恐怖と生理的嫌悪感から来る汗は、兎乃の肌にへばりついて流れない。


「……ユエ、ユエ」


 うわ言のようにバディの名を呼びながらふらつく。

 膝が崩れるその前に月華が気付き、その体を支えたのは幸運だった。


「みぎ、みぎて」


 兎乃は引き攣った表情で右手を見つめている。


「ラビ? ラビ!?」


 月華は兎乃の体を支えながら兎乃の右手に自身の手を重ねた。

 固い。肩から指先までが固定されているかのように動かない。

 なのに兎乃の全身に力はなく、全体重を月華に預けている。全身は哀れなほどに震えている。


 壊れた人形のような兎乃が、必死で言葉を紡ごうとしている。

 月華はその口にできるだけ耳を近づけ、漏れる音を聞き逃すまいと意識を集中した。


「カビ……喰われ……」


 次の瞬間、兎乃の口から吐瀉物が溢れ出した。

 それは月華の体に正面からかかるが、月華は優先順位を間違えなかった。

 兎乃の体をしっかりと支えながら、うわごとのようにつぶやかれた二つの言葉を反芻した。


 カビ。喰われ。


 周囲の光景とその言葉が、月華の中で紐づく。

 周囲を見渡す。あたり一面の白一色。それら全てがカビだとしたら。


 なるほど。ここは菌床か。


 月華の行動は早かった。


 目の焦点が合わない兎乃の下に自分の体を無理やり滑り込ませると、兎乃の骨盤を肩に乗せて一息で持ち上げる。

 ぶら下がる左手と左足を胸の前で抱え、自力で動けない兎乃を背負って固定すると、全力で正面口へと走り出す。


「ラビ! できるなら答えろ! あたしたちはもう手遅れか!?」


 激しく揺れる頭の横で、兎乃が「まだ」とか細い声で言うのを、月華は聞き逃さなかった。

 なら助ける。あたしが、この手で。


 足元の粉がザクザクと音を立てる。


 月華は病み上がりの体を重く感じたが、その程度は足を止める理由にならない。

 過去二度のそれを経験している月華は、何が起きたかを理解している。


 兎乃が、命を賭して得た手がかりがある。


 それを繋ぐことが出来なくて、どうして兎乃にバディと胸を張れるものか。


 正面口までは十メートルもない。


 再び足首が折れたとしても構わない。そんな気概で強く地面を蹴りながらモールから転がり出た。


 白に侵されていない地面に兎乃を寝かせると、月華は兎乃のプレートキャリアをはぎ取った。

 露出している顔、手、そして服の隙間をチェックし、異変がないことを確認する。


 二次封鎖線を越えて、二名のG.S.P.T隊員が駆け足で向かってくるのを月華は見た。


 月華は歯を食いしばった。

 兎乃の命のためなら、つまらないプライドなんて犬にでも食わせればいい。


「今だけでいい! バディを助ける為に手を貸してくれ!!」


 月華は大声で助けを求め、G.S.P.T隊員に向けて大きく手招きした。


毎日20:30に更新予定です。

明日は第14話を投稿いたします。

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