第10話「AF-08d49:ウェルカム・ホーム/ep5」
■第10話「AF-08d49:ウェルカム・ホーム/ep5」
「いいか、そのまま何も見るなよ」
「任せて。私二回目だから、世界で一番慣れてるからね」
冗談を言ってみせる兎乃だったが、消耗が進んでいるのは月華の目にも明らかだった。
兎乃の理性が千切れるまでどれぐらいの猶予があるか分からない。
ならばより事故の致死性が高まるとしても、月華はバイクを使うべきだと判断した。
見えているものがウサギだとしてもそれがこの世のものでないのなら、速度を合わせる必要はない。そう考えた。
『蓮見君は方向と距離を測ることに専念してくれ。念の為、その情報を元にこちらでも目的地の特定を同時に試みる』
守屋の声を聞きながらヘルメットを被り、月華に導かれてタンデムシートに跨る。
見えなくても頼りになるその背に体を寄せ、両手を腰にしっかりと回した。
「何があってもお前はあたしが守ってやる。だから心配すんな」
「……ありがとう。信じてる」
月華のわずかな体の動き。バイクからの振動、エンジン音。
体が引っ張られ、バイクが走り出す。すぐに速度もどんどん上がっていくことが、空気で分かった。
普段運転しない兎乃ですら、常識的でない速度が出ていることは分かった。
目を空けていたら逆に怖くて乗っていられなかったかもしれない。
兎乃は雑念を振り払う。移動は月華に任せたのなら、自分は自分の仕事をする。
意識すると、自分たちの前方を光の球が跳ねるように進んでいるのが分かる。
更に奥へ。望遠鏡を覗き込むようなイメージで、兎乃はその『導かれる先』を見ようとした。
光の筋が、風に流れるように向かっている。あの先だ。けど、まだ見えない。
「……まだまっすぐ。方角は少しだけ右前。一キロ以上はある」
兎乃は目をつむったまま月華の体にしがみついている。
心は焦がされている。急がないと。もっと早く。今すぐにでも口にしたくなるが、歯を食いしばって堪える。
月華が既に全力で急いでくれていることを信じているから、堪えられた。
「!!」
急に、月華の体が強張るのが腕越しに伝わった。
グンと体が前に引っ張られる。急加速。一瞬遅れてバイクの右後ろに何かがぶつかった音がした。
決して大きくないが、バランスを崩すには十分な衝撃。月華の舌打ちが聞こえる。
二度三度と車体が揺れる度、兎乃は強い遠心力を感じた。転げ落ちないよう、月華の背中にできるだけ自身の体を添える。
姿勢が安定したと思った次の瞬間、何かに乗り上げたかのように前輪が跳ねた。
それ自体は一瞬だったが、今度は体が左に大きく傾いた。車体が左に倒れそうになっている。
兎乃は月華にしがみつくことしかできない。思い切り歯を食いしばり、全身を強張らせる。
月華の強靭な体幹が兎乃ごと体を右に持ち上げた。一瞬だけ後輪が滑る音がして、転倒を紙一重で免れる。
耳のすぐ左で風が壁のようなものに当たる音がする。恐らくガードレールギリギリでバイクは態勢を取り戻していた。
「ラビ! まだか!」
月華の声には流石に焦りが混じっている。
まだ川沿いに直進しているだけとはいえ、生活道路では考えられないスピードを出しながら、バイクを自分の体のように扱いながら月華は運転している。
兎乃には見えていないが、恐らく二度か三度、常人なら既に大事故だった『偶然』が起きているのは疑いようもない。
兎乃は全力で光の筋を追う。距離が近くなるにつれ、方向が正面から逸れ始める。
前方を進んでいた光の球が、右へと大きく跳ねて逸れた。
「右に曲がってまっすぐ!」
兎乃が叫ぶと同時に車体が急激に右旋回した。
ジェットコースター同然のGに、悲鳴を飲み込む兎乃。
だがそれも一瞬で、ほぼドリフトするような形で方向転換したバイクが再び急加速する。
恐らく市街地をバイクは猛進する。
光の筋が集まっている場所が見えてきた。
「このまま正面! すぐ近く!」
『守屋さん、ここだ。龍翔院。全部の動線から考えてもほぼ間違いない』
『よし、二人ともその先で――』
守屋の声と同時に、月華が何度もブレーキを握った機械音がした。
次の瞬間、月華が聞いたこともない大声で叫んだ。
「クソが、ブレーキぶっ壊しやがった! ラビ、手ェ離すなよ!!」
月華の声が最後まで聞こえたかも判断できないほど間髪入れず、体が思い切り前に押し出された。
その瞬間は満員電車が急ブレーキした時の感覚に近かったが、あとは別物だった。
頭が前後にガクンガクンと揺さぶられたと思ったら、すぐに浮遊感がきた。
自分の後ろで激しい衝突音が響く。バイクがクラッシュしたことだけは分かった。
気づけば、抱き着いていたはずの月華の体が無い。
ああ、一人になっちゃった。兎乃はどこか他人事のように、そう思った。
ふわりふわりと空を飛んでいるような感覚がする。
何故かゆっくりに感じるが、四肢は遠心力に振り回されているのか少しも自由に動かせない。
不意に、手首を誰かに捕まれた。
そのまま引っ張られ、誰かが自分の体を、力強く、だけど包むように優しく抱きしめる。
落下。
地面にぶつかった時の衝撃を、兎乃は直接受けなかった。
兎乃を抱いた人物が下敷きになって衝撃の多くを受け止め、二人はもつれ合ったまま地面をごろごろと転がった。
何回転かして二人の体が止まる。
兎乃はまだ衝撃から立ち直れずにいる。
いつのまにか目は開いてしまっている。ヘルメットで狭い視界がチカチカし、耳も遠く感じた。
骨伝導ヘッドセットから守屋の声が頭に響いているが、内容は理解できない。
不意に、兎乃のヘルメットを誰かが外した。
「……ラビ、生きてるか?」
押し出すような、消耗した月華の声がした。
自分の下に、月華がいる。自分のヘルメットもそのままに、兎乃の生存を確認した月華は、深く息を吐き出した。
私は月華を掴んでいられなかった。それでも月華は空中で投げ出された私を掴み、守り切ってくれた。
状況を理解した瞬間、月華のバイザーを覗き込んだ。
「ユエ! 大丈夫!?」
月華は情けなさそうに笑いながら、力の入らない声で答えた。
「……骨、何本か折れてると思うけど。死にゃしねえさ。悪ィ、もう動けそうにないから……あと頼んでいいか、ラビ」
「……ありがとう、ユエ」
月華のヘルメットに自分の頭を一度そっと当てると、兎乃は痛む体に鞭を打って立ち上がる。
神社の境内。奥には石の鳥居がいくつか立っている細い道がある。
もう意識だけで見る必要もない。自分の周りを金色の光が通り過ぎ、すぐ目の前へと流れていく。
『R1R2! 状況を報告しろ!』
守屋の怒声がようやく意識できた。
兎乃自身も消耗した声を隠すことができないまま、月華に代わって返答する。
「……R2、目標を確認しました。……今から無力化します」
左手がじんじんして肩から動かないし、足も捻っているかもしれない。擦り傷も沢山ありそうだ。
それでも兎乃は一歩一歩前に歩き、それに近付いた。
『R2、できるのか』
「はい、班長。できます。……だって、これは悪いものじゃないから」
兎乃はそれの前に立つ。
それは、石で彫られた、小さな動物の石像だった。大きさは兎乃の膝丈ほどもない。
何の動物かは判然としない。何故なら、首から上が折れてなくなってしまっているからだ。
石像を取り巻くように光の渦が立ち上っている。
その光はどこか暖かく幻想的で、だけどどこか悲しんでいるように兎乃には思えた。
――ああ、この子も、私たちと同じなんだ。
壊れてしまって。
それでも、役目を果たそうとしている。
石像の足元には、一羽の金色のウサギが座っている。
そしてウサギと並ぶように、折れた石像の首が地面に転がっていた。
ウサギが兎乃を見上げる。
その瞳を、兎乃は懐かしく、愛おしく感じる。
「……これだね。ありがとう、案内してくれて」
兎乃がそっとつぶやいて手を伸ばすと、ウサギはすうっと消えていった。
折れた狐の首を拾い上げ、元の位置に戻す。
主無き体に、頭が戻る。
これで、きみ自身が迷うことは、もうないね。
ベルトから応急医療キットのバンテージを取り出し、折れた箇所に巻き付ける。
これで少なくとも、SPOOが対処するまで、再び落ちることはないだろう。
石像の周りに集まっていた光の筋が、薄まり、広がるように消えていく。
最後に残った一筋の光はすうっと空に上っていき、そして見えなくなった。
「本部。こちらR2、目標の無力化に成功しました」
『……本部了解。ご苦労だった。蓮見君、それは一体何だったんだ?』
「狐の石像です。首が折れていて、それで……きっと、成すべきことが成せなくなって、ただ苦しんでるだけなんだって。だから、折れた首を戻してあげれば、きっと『捻じれ』はなくなるはずなんです。そう思いました」
上手く説明できているとは自分でも思えないが、兎乃は感じたままに伝えようとした。
守屋がその説明をどう理解したかは分からないが、ややあって深く息を吐く音が無線に乗った。
『分かった。蓮見君の直感を信じよう。これから急いで回収に向かうからそこで待機しろ。事後対応はSPOOに任せろ。……よくやった』
「はい……ありがとうございます」
兎乃は誰も見ていないことを確認して寂しそうに微笑むと、バディの下へと引き返していった。
毎日20:30に更新予定です。
明日は第11話を投稿いたします。




