第8話「AF-08d49:ウェルカム・ホーム/ep3」
■第8話「AF-08d49:ウェルカム・ホーム/ep3」
まず酷く鈍い音がした。
それから思い切り強く頭を打ったような衝撃がして。
砕ける? ちぎれる? 弾ける?
妥当な表現なんて見つかる訳がない。だって、そんな経験初めてだったから。
脳が、壊れる音を聞いた。
「……あっ、あ」
膝が笑い、立っていられなくなる。
アスファルトの硬さも、膝を打ち付ける痛みも気にならない。
両膝を地面についてなんとかからだを支えると、全身を丸めるようにして何かから自分を守った。
今更手遅れだとか、ここはもうそこじゃないとか、そんなことは関係ない。
生物としての本能が自身の死を叫ぶ。壊れそうになる自我をギリギリで繋ぎとめる。
荒く激しい呼吸をする。口から涎か胃液か分からないものが垂れる。
「……オエッ、ゲホッ……はあっ、はあっ……」
全身に鳥肌が立ち、遅れて汗が止まらなくなる。
ほとんどパニックを起こしている頭は思考という行為を試みることができない。
あたまが。あたまが。あたまが。自分でも意味を理解できていない四文字が延々と繰り返される。
わ、わたし。
あたま、われ。
笑えないほど震える両手で、恐る恐る自分の頭を触る。
どろりとした液体が手にまとわりつく。断ち切られた断面がある。
割れた固いものが指先をこする。その先に、柔らかくてぶよぶよした感触が。
「……ヒィッ!」
悲鳴なのか息を呑んだのかも区別できない、空気が漏れる音が口から流れる。
反射的に両手を引っ込めて、ゆっくりと顔の前に持ってくる。
真っ赤な血にまみれたそれは、まるで無邪気に泥まみれにした子供の手のようで。
こらえきれなくなり、胃の中の物を全て吐き出した。
「蓮見ッ! ラビ! おいラビ! 大丈夫か!?」
地面にうずくまった兎乃に気付いた月華が、その顔を掴み力強く自身の方を向かせた。
弱々しく震えた自分の両手を顔の前に掲げ、呆然自失となった兎乃をまっすぐ見て問いかける。
「落ち着け! いいか? ラビ、何が見える? 何が聞こえる?」
「……ユエ。くるまの音」
肘から先が硬直したかのような兎乃の手を、月華が両手で握る。
「握ってるのが分かるか?」
「……わか、分かる」
「よし、いいぞ。力を抜け。深呼吸しろ。ゆっくり、深くだ。こういう風に」
月華が深呼吸をして見せる。数秒かけて吸い、数秒かけて吐く。兎乃が分かるように。
「一緒に」
月華がもう一度深呼吸する。兎乃が同じように、長く吸って、吐いた。
兎乃が自分の意志で呼吸をコントロールしだすのを確認して、片手で背中を優しく撫でた。
「大丈夫だ。大丈夫」
「あの、救急要請しますか?」
若い警察官が、心配そうに見下ろしている。月華は首を横に振った。
「いや、大丈夫です。ありがとう。ご心配をおかけしました。我々はこのまま引き上げますので。ご協力感謝します」
元々誠実なのだろう。警察官は本当に大丈夫か気にかける素振りを見せたが、結局敬礼をして自身の仕事に戻って行った。
一方、ようやく頭が回りだした兎乃は、意識的に深い呼吸をしながら、もう一度自分の手を見た。
その手は汗で濡れているだけだった。血も、他のものも、何も付いていない。
「……ゆ、ユエ。わたし」
「うん。聞こえてるよ。ラビ、無理しなくていい。イエスだったら頷いてくれ。『戻ってきた』のか?」
少しの間を空けて、兎乃はひとつ頷いた。
「ここに『いる』のか?」
兎乃は迷ってから、首を左右に振った。
「分かった。班長、ラビを少し休ませる時間をくれ」
『問題ない。むしろ一度隊舎まで戻って来てくれ。蓮見君には申し訳ないが、話せるようになったら何があったか聞く必要もある』
「了解、帰還する。……なあ、守屋さん。たまに自分たちが畜生以下の存在に思えることってねえか?」
『僕はいつでもそう思ってるよ』
それ以上は無線に乗せず、月華はスラングをひとつ吐き出してから兎乃に向き直った。
「ラビ、動けるか? ……お前、泣いてるのか?」
まだ立ち上がれない兎乃の両目から涙が零れていることに月華は気付いた。
兎乃自身もそれに気づいていなかったようで、自分の指先で涙を拭うと、不思議そうにつぶやく。
「……どう、して?」
ひとつ、またひとつと涙が落ち、アスファルトにぶつかって小さな染みを作る。
その時、兎乃は自分が何かを失ったような気持ちを抱いていることを自覚した。
ただその何かはまるで未完成のジグソーパズルのようで、全体像はもちろん、何ピース欠けているのかすら分からなかった。
あなたは、誰?
いつかまた、会えるのかな?
――きっと、会えるよね。そう信じてる。
肩を貸してくれた月華に体重を預けながら、兎乃は残った涙もそっと拭い取った。
* * *
二人はバンに乗り、隊舎へと戻った。
戻る間、兎乃は無理やり作られた後部のスペースで横になり、大分落ち着いたように見えた。
ガレージにバンを停め、月華が肩を貸して二人で事務室へと戻る。
兎乃本人の希望もあり、そのまま事務室で情報共有と対策協議となった。
椅子に座って腕を組んだ守屋が、残りの三人に聞こえるように話し出す。
「まずは現状をまとめよう。対象は集団催眠能力を持つAFで、五童子市内で広範囲に活動している。
催眠にかかったものは、何かを追いかけたのち、事故死する」
話し合いは、基本的に守屋と月華によって進められた。
兎乃は大事を取って、ソファーに横になっている。いつもの月華と逆の立場だ。
波瑠も今は事務室に出てきてるが、会話にはほとんど入らない。
事務室の端末にできる範囲で、守屋と張った網に何かがかからないか注視している。
「……ラビがやられてあたしが無事なのは偶然だと思えねえ。それに、ラビに対しても二回目がなかった。催眠にかかるには何かトリガーがあるのか?」
「その可能性が高い。AFはどれも『起源』と呼ばれる捻じ曲がった目的みたいなものを持っている。そこから考えても、無作為に催眠をかけるという方が不自然だね」
「だとしても、そのトリガーが分からないと意味がねえ」
「……班長、私に、ひとつ考えがあります」
横になったまま、兎乃が発言した。
「聞かせてくれ」
「私は誰かの影を見ました。理性はそれをAFだと判断しましたが、感情は逆らえませんでした。でも、あの人に私への害意はなかった。何故だかは分かりませんが、確信があるんです。あの人は、私をどこかに導こうとしていました」
兎乃がゆっくりと喋るのに、誰も横やりを入れようとはしなかった。
時折波瑠がキーボードを叩く音だけが環境音のように響いていた。
「他の被害者も同じなんじゃないでしょうか。だったら、私も含めた四人が、どこへ向かっていたかが重要な気がするんです」
「……なるほど。そこに大元がいる、と。幻覚と死因は切り離していい。そう考えているんだな?」
「はい。……確信はありませんが」
「だけど、それこそが罠の可能性もあるだろ。エサを誘き寄せてるだけじゃない保証はない」
「だとしても本体の居場所は割れる。それに、罠なら獲物が事故死してしまうのは辻褄が合わない」
守屋が腕を組んで目を閉じる。
「それに、AFは意外と悪意自体はないことが多い。ヒトを殺そうとして殺してる訳じゃない。結果として死なせてしまうだけ、というやつだ。我々にとってはどちらにしろ危険なことには他ならないけどね」
「つまり、本当に自分の所へ案内したがってるだけってことか」
「もちろん、それこそ可能性に過ぎないけどね。でも僕はいい線行ってるんじゃないかと思う。経験的にはね」
「オーケー。じゃあご招待に与ってやろうじゃねえか」
月華は好戦的な笑みを浮かべながら首を揺らし、関節を何度か鳴らせた。
全く、元気だなあ、と兎乃はそれを聞きながら苦笑する。
「波瑠、どう思う?」
守屋が波瑠に話を振る。この「どう思う?」は先ほどの協議の内容についてではない。
「具体的にどれだけできる?」の問いだ。そして、波瑠もそれを間違って受け取ることはない。
「……サンプルが少ないから、候補地はいくつも出ると思う。それに、AFが動き回ってたらそもそも無意味になるけど」
「いや、わざわざ遠くから案内させてるんだ。それはないだろう」
「なら範囲と条件付けだけ指定してくれれば」
「半径一キロ。住宅ではない特定の施設。どうだ」
「……三十分もらえれば候補地をリストアップする」
「よし、頼んだ」
守屋がゴーを言い終る前に、波瑠はもう立ち上がっていた。
リストアップは通信室でやるのだろう。
現場調査から戻ってきたのが昼過ぎ。
今日中に第一候補地の調査ぐらいはできるかもしれないと守屋は思った。
「月華、蓮見君。動けるか?」
「いつでもどこでも」
「行けます、班長」
ラフな軽口で応える月華。
兎乃も、体を起こしソファーに座りなおしながら、しっかりとした口調で返答した。
月華はそれを止めることはない。
自分で判断できる状況なら、月華は兎乃の保護者ではなく、バディなのだから。
「よし、波瑠のリストアップが済み次第出るぞ。今のうちに準備と休息をしておくように。威力偵察になるが、バックアップがないので装備は軽装にしろ」
「了解。ところで班長、街中を駆け回るんなら、ちょ~っとバンは使い辛いんだよね。……ねえ、アレ出していい?」
ニヤニヤと笑いながら、月華が守屋に提案する。
アレが何か察した守屋は、キーラックからバンのものじゃない鍵を取り出して月華に渡した。
「好きにしろ。事故るなよ」
毎日20:30に更新予定です。
明日は第9話を投稿いたします。




