03話 王国の危機
「北方の砦が落ちた?!」
私が驚きの声を上げると、私の夫エルネスト様は深刻な顔で言いました。
「どうやら魔物の集団暴走が起こったらしい」
「砦が落ちるほど?」
「ああ、前代未聞の大規模な襲撃だ」
我が国の北方の辺境には、深い森があり、森の向こうには大河があります。
大河の向こう側は、魔物の世界。
瘴気が渦巻く、人間が棲めない暗黒の世界です。
しかし大河で隔てられているため、ここ数百年、こちら側に魔物が大規模な侵攻をすることはありませんでした。
魔物が単独で、あるいは小さな群れで、大河を渡って侵入して来ることは毎年何度かあります。
そういった魔物の侵入に対抗するために、辺境にはいくつも砦が築かれていて、辺境伯が防衛を担っています。
「辺境伯軍はアンフェールの要塞まで撤退した。防衛に徹しているようだが、落とされるのは時間の問題とのことだ。援軍を率いて私も行かねばならない」
「エルネスト様が行かなければならないのですか?!」
エルネスト様は王太子です。
王太子が出陣しなければならない事態は、かなり深刻と言えます。
「魔法士は総動員する」
王家が王立魔法学院を創設して、魔法の才能のある者たちを育てているのは、魔物と戦うためには魔法の才能が必要だからです。
下位の魔物であれば物理攻撃でも倒すことができますが。
上位の魔物は皮膚が固く剣を弾いてしまうため、魔法による攻撃で対抗するしかないのです。
王族や貴族は、魔法で戦う才能をもって今の地位を得た者たちです。
王家に生まれたエルネスト様も、公爵家に生まれた私も、先祖からの魔法の才能を継いでいます。
「もし私に何かあってもセルジュとニコルがいる」
セルジュ王子とニコル王女は、私たちの子です。
エルネスト様に万が一のことがあれば、セルジュが王太子となります。
「マリス、後のことは頼んだよ」
「待ってください、私も行きます!」
私は王立魔法学院では最高ランクのAクラスでした。
氷魔法の天才と称えられていました。
「私は『氷魔法の才媛』です。私は戦力になります」
「……君には王都を守っていて欲しい」
「アンフェールの要塞は辺境の最終防衛ライン、最後の砦です。あそこが落とされたら王都も安全ではありません」
「それはそうだが……」
「あの要塞を守らなければ、安全な場所などないのです!」
◆
「凍てつく槍よ、邪悪を貫け! 氷槍!」
私が放った氷魔法が、鋭い槍となり、蛇の魔物ブラック・サーペントを貫きました。
「さすがマリス様!」
「氷魔法の才媛!」
私はエルネスト様と共に辺境に赴きました。
王都の魔法士部隊を引き連れて。
王立魔法学院に在学中の学生でも、特に優秀な者は動員していました。
王国中の魔法士が辺境の防衛に投入されると、一気にこちらが優勢となり、氾濫した魔物の大群が駆逐されるのは時間の問題と思われました。
ところが……。
「要塞まで至急、撤退してください!」
伝令が血相を変えて、最悪の報告を持って来ました。
「巨大な魔物が現れました! 伝説のベヒーモスに特徴が一致している巨大な魔物です!」
「ベヒーモスですって?!」
ベヒーモス。
それは陸の獣型の魔物の中では最大級といわれる魔物。
鋼鉄のように固い皮膚で、しかも魔法耐性があるという。
古い記録に書かれている伝説級の魔物で、ここ百年ほどの観測において実物は確認されていないはず。
「本当にベヒーモスが出たの?!」
要塞まで撤退した私は、総司令官であるエルネスト様に問い掛けました。
「特徴は記録と一致している」
エルネスト様は悲愴な表情を浮かべました。
「全軍で迎え撃つ。それしか方法がない」
◆
「本当に……ベヒーモスが……」
森の遠くから、木々をなぎ倒しながら、真っ黒な、小山のような巨体がこちらに向かって来るのが見えました。
足の太い牛のような形をしていて、毛むくじゃらで、大きな角を持ち、口には炎の呼吸。
特徴は古い記録と一致しています。
ベヒーモスはまた、新たな魔物の大群も引き連れていました。
ベヒーモスを先頭に、森を破壊しながらこちらに進んで来る魔物の大群は、まるで大河が氾濫したかのように見えます。
私たちは要塞の城壁の上から、こちらに向かって来る災害を見つめていました。
――ゴゴゴゴ……。
ベヒーモスと魔物の大群が迫って来るにつれ、低い地鳴りが響きました。
魔物たちの敵意が満ち、空気までもヒリヒリと張りつめています。
「魔法攻撃、用意!」
相性の良い属性で部隊を編成した魔法士たちは、詠唱を始めました。
「目標ベヒーモス!」
魔法士は全員、ベヒーモスに火力を集中させることになっています。
その他の魔物は各所で兵士が対応する。
それ以外に方法がありませんでした。
ベヒーモスをここで倒せなければ、後がありませんもの。
「放て!」
エルネスト様の号令で、魔法士たちはありったけの攻撃魔法を放ちました。
しかし……。
「効いていない……だと……?!」
「……だ、駄目だ……!」
「怯むな! 魔法攻撃、用意!」
私たちは魔法による攻撃を続けました。
ですがベヒーモスは、次々に繰り出される魔法攻撃をものともせず、こちらに突進して来ました。
古い記録にあったとおりベヒーモスには魔法耐性があるため、生半可な魔法では通じないのでしょう。
とはいえ私たちの魔法攻撃は現在の王国の総力を結集したものです。
これ以上の強力な魔法はありません。
(手札がもう無い……)
――ドーン!
ベヒーモスはついにこの要塞に到達し、その巨体を城壁にぶつけました。
「……っ!」
衝撃で城壁が揺れ、私の足元がぐらつきました。
「わあっ!」
「お、終わりだ……!」
あちこちで絶望の悲鳴が上がりました。
「狼狽えるな!」
エルネスト様は浮足立つ魔法士たちを叱咤しましたが、辺境伯は血相を変えて言いました。
「エルネスト様、お逃げください! ここは私が!」
「馬鹿を言うな! どこへ逃げるというんだ! ここが最終防衛線なのだぞ!」
(ああ……)
力及ばず……と。
私の心が絶望に染まりかけた、そのとき。
――魔法を詠唱する、声が、響きました。
「呪われし地獄の暗黒の劫火よ、我が敵を切り裂け!」
――凛とした、その声は……。
(……!)
それは、ここで聞こえるはずのない、懐かしい声で……。
私は弾かれたように顔を上げました。
(あれは……!)
天から、白髪紅目の美貌の青年が降下して来ました。
(まさか……!)
青年は落下しながら、黒い炎をまとった大剣を構えました。
大剣に燃え盛る黒い炎は、火勢を増してみるみる伸びて、巨大な黒い炎の柱となりました。
まるで燃え盛る巨木を振るうかのように、青年は大剣を振り下ろし。
大剣から噴き出す巨大な黒い炎をベヒーモスの頭に叩きつけました。
「地獄劫火剣!!」
ベヒーモスが、頭から真っ二つに切り裂かれました。
一刀両断されたベヒーモスの巨体は、左右に分かれて崩れ落ちました。
巨大な魔物を一撃で屠った美貌の青年は涼しい顔で、トンと、地面に降り立ちました。
そして乱れた白髪をかき上げました。
(そんな……まさか……)
有り得ない人物を目の前にして、私の心臓は早鐘を打ちました。
(……リオネル様……?!)




