その7
ラトスの姿が見えなくなると、アリアは思わず全身の力を抜いてテーブルに倒れこみ、深いため息をついた。
「緊張したぁ……急に来るんだもんなあ、あの人……」
とりあえず、もめることなく切り抜けられて良かった。そして、自分で思った以上に、久しぶりに顔が見られて嬉しかった。だが、問題はこの後だ。セラディ・ソーサラーズに所属する気は全くなかったが、一度話を聞かないと納得してもらえなそうな雰囲気だった。それにしても、今さらいったい自分に何の話があるのだろう。アリアには見当もつかない。
もう一度小さくため息を吐き、顔を上げて片腕で頬杖を突くと、面白そうな顔をしてこちらを見ているセイアと目が合った。
(こいつ、人の気も知らないで)
「……なんだよ」
「んー、大したことじゃないけどさ。アリアって敬語話せたんだなぁ、と思って」
「………」
がっかりした。言いたいことは分からないでもないが、失礼極まりない。隣で、シルヴィアが遠慮なくけらけら笑っているのも気に入らない。
「そりゃあ、あの人は俺がいた頃からセラディ・ソーサラーズでは神魔として組織のトップにいた人だからさ。周りの人もみんな神魔に対しては『様』付けで呼んでたし、普通に敬語だったし。そもそも、俺だって状況によってはちゃんと丁寧な言葉で話せるよ」
「ほんとに?少なくとも私は初めて聞いたわよ、アリアの敬語」
言ってろ、と言い捨てて横を向き、アリアはぎょっとした。さっきまでラトスが座っていた椅子の、座面と背もたれの間に挟まるようにして、皮の財布が残されている。
「え、忘れ物?」
手に取ってしげしげと眺めていると、シルヴィアに声を掛けられた。
「大変、早く届けないと。まだ近くにいるんじゃない?」
「えー、何やってんだよあの人は……」
ちょっとうんざりしたが、物が物だけに放っておくわけにもいかない。アリアは慌てて二階に駆け上がって外套を取ってくると、それをしっかり着こみ、ラトスの財布を握って二人に向かって軽くそれを振って見せた。
「じゃあちょっと探してくるから」
店を出て、どこへ向かうか迷ったが、とりあえず駅の方へ向かうことにした。ラトスの行動の予測はつかなかったが、人がたくさんいる方へ向かった方が可能性が高い気がする。道行く人の顔を確かめながら、早足で歩いた。そして、歩きながらぐるぐると考えを巡らせた。むしろこれは、チャンスかもしれない。先ほどは、話したくても話せなかったことがある。
(でも、もしかするともう中央国へワープで戻ってるかも知れないよなぁ)
だが、そんな心配は杞憂に終わった。シャキの駅前はわりと大きな広場になっており、待ち合わせなどにも利用されるような立派な噴水が設置されている。ラトスは、いかにも人を待っているかのような顔で、その噴水の縁に腰かけていた。そして、アリアの姿を見つけると軽く手を挙げてみせた。
「よお、ご苦労さん」
思ったよりすぐ見つかったことにホッとしながらも、アリアは思わず渋い顔になった。財布を手渡しながら、
「……忘れ物ですよ。もしかして、わざとですか」
「おまえが何か言いたそうな顔してたからな。あの二人の前じゃ言えないことがあるんだろ。財布でも置いてくれば、いそいそ届けに来てくれるだろうし」
しれっとそんな風に言われ、今日何度目か分からないため息をついた。面白くはないが、ラトスの読みは当たりだ。
「策士ですねぇ」「よせよ、照れるじゃねえか」「別に褒めてるつもりはないですけど」
軽口をたたきながら、ラトスの隣に腰を下ろした。
「財布の中身、確かめなくていいんですか?俺は泥棒ですよ」
ラトスがそのまま財布を内ポケットに入れるのを見て、あまり深く考えずにそう声を掛けると、結構思い切りガツンと頭を殴られた。
「―――いって」
「ふざけるなよ、おまえ。言っておくがな、俺はおまえのこと、泥棒だとは思ってないし、誰が何と言ってもおまえが窃盗罪で捕まったとか、信じてないからな」
犯罪者情報で名前を見つけたくせに、大分滅茶苦茶を言う。だが、ラトスのその反応を見て、少し反省した。なんだかんだ言っても、アリアが捕まったのは、ラトスにとってショックなことなのだろう。
すみません、と言ってちょっと顔色を窺うようにすると、分かったならいい、と不貞腐れたように返された。
「ここ、寒くないか?場所変えてもいいぞ」
ラトスが気を使ってくれたが、今日は年末の割には日差しが温かく、長時間でなければ外でも耐えられる。それに、話の内容的にあまり長話にはしたくない。
「大丈夫です。手短に、二つだけお話ししたいことが」
言いながら、どちらを先に話そうか思案した。正直、どちらの話も気が重い。だが、順番的には昨日の話が先だろう。
「えっと、まず一つ目ですけど。カイア・トリスって知ってますか」
できるだけ軽い感じでカイアの名前を出したが、ラトスに思った以上に怪訝そうな顔で見られ、目が泳いだ。
「……まあ、カイアは一応、うちの次期黄魔候補だからな。知ってはいるが、逆になんでおまえが知ってるんだ?」
「いえ、その……昨日、会ったんです。向こうは俺のこと知ってるみたいな口ぶりだったので、気になって。俺、何か恨みを買うようなこととか、しましたか?」
結局、気になっているのはそこだ。なぜ自分を知っているのか、そしてなぜあんな仕打ちを受けなくてはならなかったのか。アリアの問いに、ラトスはうーんと唸って片手で頭を抱えた。
「恨みっていうかなぁ……完全に逆恨みだと思うんだが」
そう呟いた後、ハッとしたように顔を上げ、愕然とした顔でアリアの方を見た。
「おまえ……まさかとは思うが、あいつに手ぇ出されたりしてないよな⁉」
アリアは、その気にさえなればちゃんとポーカーフェイスができる。だがこの時はあまりに突然だったので、昨日の生々しい出来事が一気にフラッシュバックし、誰の目から見ても「何かあった」と分かる顔をしてしまった。
「や、別に手を出されたとか、そういうわけじゃ」
急にしどろもどろになったアリアの両腕を掴み、ラトスは鬼気迫る形相で言葉をかぶせてきた。
「何された、言ってみろ。事の次第によっては、あいつはセラディ・ソーサラーズから永久追放だ」
アリアは下を向いて、唇をかんだ。この話題を出したことが悔やまれたが、理不尽な出来事ゆえに、理由が分からないのは嫌だった。
「……ちょっと無理やり、キスとかされただけですよ。騒ぐほどのことじゃないです」
「ほんとに、キスだけだろうな。それ以上はされてないか」
そう尋ねるラトスの目が真剣過ぎて怖い。気押されながらアリアが頷くと、はぁ―――っと肺の空気を全部抜くような息を吐いて、アリアの両腕をつかんだまま、がっくりと下を向いた。
「すまん……おまえの名前を見つけて俺が騒いでるのを、何かで聞きつけたんだろうな。まさか先回りされるとは……でもおまえ、覚醒してるんだろ。ワープとかで逃げられなかったのか?」
「幻覚見せられた状態で捕縛かけられたんですよ。普通に無理でしょう」
「捕縛かけたのか……逆に、よくキスだけで離してもらえたな」
これには少しカチンときた。確かに『騒ぐほどのことじゃない』とは言ったが、キスだけでもこちらは十分に傷ついている。だが、とりあえず今は最速でこの話題を終わりにしたい。
「まあ俺は胸もないし、基本的に色気が全滅してるから、守備範囲外だったんじゃないですか。そんなことより、どういうヤツなんですか?」
改めて尋ねると、あまり気乗りしない様子ではあったが、ぽつりぽつりと話し始めた。
「ファイアが死んだときのこと、覚えてるか?思い出したくもないとは思うがな。相手方の魔術師……キルアの傍にも、ガキがいただろ」
アリアは首を傾げた。とぼけているわけではなく、あの時はとにかくファイアのことしか見ていなかったから、全く覚えがない。
「え、敵方ってことですか」
「もちろん、あいつだって被害者だ。実際、かなりしっかり洗脳されてたしな。今だって、ちゃんと洗脳が解けてるかあやしいもんだ」
ララン国王のお抱え魔術師であるキルアは、洗脳を得意としていて、彼の元には、十数名の少年少女の魔術師たちが集っていた。当時のアリアが知らされたのはそれくらいだが、大人たちにはもう少し詳細な情報が入っていたらしい。
「あの時あそこに集められてた子どもたちは、魔力の覚醒を促すとかいう名目で、日常的に虐待を受けてたって話だ。性的なものも含めてな。特にカイアは―――――胸糞悪い話だが、キルアのいわゆる『お気に入り』ってヤツで、キルアが死んだあとうちで保護した時には、まぁまともな精神状態じゃなかった」
「…………」
ラトスの話によると、アリアがさらわれそうになった時も、最初にファイアに対峙させられたのはカイアだったらしい。十三歳という年齢でいきなり神魔と戦うように仕向けられ、強がってはいたものの、余裕のかけらも感じられない様子だったという。
「ファイアも俺も子ども相手に手を出しかねているところに、横からキルアがファイアに向けて攻撃を仕掛けたんだ。……身を挺しておまえを守ろうとするファイアを目の当たりにして、あいつは心底おまえが羨ましかったんだろうな。あの子は守ってもらえるのに、俺は一番前で戦わされるのか、って」
「それは……確かにそうなのかもしれないけど、だからって」
「だからまぁ、逆恨みだって言ったろ」
なるほど、と呟いて下を向いた。『ファイア様は弱かったよなぁ』という言葉の裏には、周囲の大人たちに大切にしてもらえるアリアへの妬ましさがあったのか。気の毒だとは思うが、だからといって昨日のことをすべて水に流せるほど、アリアは心が広くない。
「とりあえず、カイアにはおれの方から話をしておく。あいつは本当に女関係がどうしようもなくて……俺の監視が行き届いてないせいで、嫌な思いをさせて悪かったな」
「……まあ、別にいいですよ。許す気はないですし、向こうも俺と仲良くする気はないでしょうし」
話したい事の一つ目は、一応無事に話し終えた。もう一つ、話しておかなくてはいけないことがある。




