その5
どうぞ、とシルヴィアがコーヒーを運んできてくれた。四人の前にそれぞれカップが置かれる。アリアの隣の席にラトスが座り、前の席にはシルヴィア、そしてセイアはシルヴィアの隣に腰を下ろした。火を入れた薪ストーブのお陰で、店内はほのかにあたたかい。
ここはアリアがお互いの紹介をするべき場面だろう。分かってはいるが、どう説明したらいいものか。とりあえず、ラトスに向けてシルヴィアを紹介してみる。
「ええと……こちらはシルヴィアです。このところ、ずっと面倒を見てもらっていて……なんというか、恩人みたいな人です」
恩人、という言葉が出たとたん、シルヴィアが無言で目を丸くするのがわかった。いちいち反応しないで欲しい。改めて口にすることはあまりないけれど、この二年ずっと、感謝している。
「それで、その隣は友人のセイアです。……あの、確かに髪は黒いですけど、どうやったら俺と間違うんですか。どう見ても普通に男でしょ」
「いや……さっきのは冗談だって。おまえも髪とか染めるなよ、紛らわしい」
シルヴィアとセイアについては、まあそれでいいが、問題はラトスだ。今まで、まったくセラディ・ソーサラーズの話をしてこなかったシルヴィアに対し、どう説明すればいいのだろう。
「こちらのラトス様は」
アリアが迷いながら切り出すと、ラトスがそれに挨拶をかぶせてきた。
「初めまして。アリアの父の、ラトスです」
「ラトス様は少し黙っててもらえますか。こっちはいろいろ考えながらしゃべってるのに」
思わず語気も荒く遮ってしまった。ラトスはこうやって、真面目な顔でふざけてくるのでタチが悪い。こういうところ、本当に昔と変わらない。シルヴィアもセイアも、冗談だと分かっていたとしても、どう反応するのが正解か分からないだろう。
「おまえな、そういう言い方はないだろう。だいたい、俺は半分親父みたいなもんだろうが。風呂とか入れてやってたの、忘れたか?」
「五歳くらいの頃の話でしょう⁉そういう、微妙にセクハラっぽいこと言うの、やめてもらっていいですか」
完全に内輪の話なのだが、部外者の二人は面白そうな顔でこのやり取りを見守っている。セイアの微笑ましそうな笑顔を見て、アリアは更に言い募ろうとした言葉をぐっと堪えた。ラトスのペースに乗せられると、驚くほど話が進まない。
「……ええとだからつまり、俺が、五歳から十歳くらいの頃にお世話になってた人。魔術師で、肩書はさっき本人が言ったとおり、セラディ・ソーサラーズの青魔様。そこそこ有名人だよ」
はいこれで紹介終わり、というつもりで話を打ち切ると、ラトスがアリアの頭をぐいっと押さえつけながら話を引き継いだ。
「実はこいつの出生はいささか複雑で、五歳くらいの頃に保護者がいなくなってしまって。俺も含め、三人で育ててみようか、という話になったんです。ちなみに他の二人は翠魔のファイア・ローランと紅魔のシンシア・ルーンですが、ご存じだったりしますか?」
アリアにしてみれば、魔術師のセイアはもしかするとセラディ・ソーサラーズの情報に通じているかも知れないが、シルヴィアが知っているはずがないと思っていた。そのため、
「えっ、まさかファイア・ローランってあの⁉」
そのシルヴィアが、興奮を抑えられないような様子でそう叫び、椅子から立ち上がったのには、かなり驚かされた。
「なんでシルヴァがファイア様のこと知ってんの」
「何言ってるの、知らない人なんかいないわよ。まさかアリアの知り合いだったなんて……」
知り合いどころか、それこそ一時期は毎日のように一緒に風呂まで入っていた。嘘でしょう信じられない、と呟きながら両手で口元を覆うシルヴィアは、乙女のように頬を染め、どうやらこれはどうやら大げさな芝居でもないらしい。
「おまえはガキだったからピンとこないかもしれんが、当時ファイアは『世紀の美青年』とか騒がれて、老若のご婦人方から大人気だったからな。知ってたか、あいつ写真集まで出したんだぞ」
ラトスに言われ、アリアは面食らって大きく首を左右に振った。それに引き換えシルヴィアは、立ち上がったままテーブルに両手をついて、さらに前のめりに語り始めた。
「そう、写真集!私、すごーく欲しかったんですよ!でもこんな西国の片田舎じゃどう頑張っても手に入らなくて……中央国へ旅行に行く友達に、買ってきてお願い!って頼み込んだけど、結局売り切れだったって」
「そうですよね。セラディーズの本部にももうほとんど在庫は残ってないと思いますよ。……まあ、そんなわけで、同時期に神魔やってたっていうのに、知名度に関してはおれやシンシアとは比べ物にならないほど高いんだよ、あいつは」
やや苦笑いを浮かべつつ、ラトスはシルヴィアからアリアの方へ視線を切り替えて、そう話を締めくくった。それを聞いてシルヴィアはハッとしたような顔になり、肩をすぼめるようにして、すとんと椅子に座り直した。
「ごめんなさい……私、ラトスさんのことは知らなくて」
「いやいや、別にそんな!というか、ファイアが有名過ぎるだけで、普通は外部にはそこまで名前が出るような立場じゃないですから!」
二人がそんなやり取りをしていると、ここでようやく、というようにセイアが口を挟んだ。
「……でも、亡くなってますよね?確か、四、五年くらい前に」
小さく頷き、ラトスは当時を振り返るように神妙な面持ちになった。
「結構、大事件だったからな。最終的に、当時の中央国のララン国王が死んで一段落したが」
「正直、あの時何があったのかよく分からないんですけど。有名なセラディ・ソーサラーズの神魔が亡くなったということで、気になって自分なりにいろいろ調べてはみたんですが、全容が見えなくて」
アリアはセイアの顔をまじまじと見た。確かにあの事件については、世間に伏せられている情報が多い。だが、一応『魔術師同士の抗争』みたいな形で、ぼんやりとではあるがつじつまが合うように報道されたのではなかったか。しかもセイアは当時、十二・三歳といった年頃だ。普通だったら、そんなことがあったのか、で終わりだろう。
ラトスはやや渋い顔を作ってセイアの方を見た。
「組織として秘密にしてきた部分でもあるからな、あまり詳しくは話せないが……ざっくり言うと、覚醒前の魔術師の子どもが狙われてたんだ。裏で糸を引いていたのがララン国王本人、実際に動いていたのは王のお抱え魔術師。結構な数の子どもが被害に遭っていて、アリアもさらわれるところだった」
「えっ⁉」
セイアとシルヴィアが、そろって驚きの声を上げる。アリアは肩をすくめ、ラトスの話の後を引き継いだ。
「まあ、俺については未遂だったけどね。ファイア様が庇ってくれたから。でもその時に相手の魔術師から受けたダメージが大きくて……」
「おれがもう少し早く駆け付けられればなぁ。ファイアもまあ、魔術師としてはそれほど強い方じゃなかったし」
そういうことは言わないでください、とアリアは硬い口調でラトスの言葉を遮った。嫌でも、昨日の『ファイア様は弱かったよなぁ』というカイアの言葉が耳に蘇る。
―――――おびただしい流血と、蒼白になってもなお美しいファイアの面差し。切れ切れに伝えられた『アリア、ごめん』という細い声。
「ラトス様、俺は……言葉を選ばず言わせてもらいますけど、ファイア様はセラディーズに見殺しにされたと思っています。俺が狙われてるってことは、何となく分かってましたよね。なのにあの時、組織からは何の援助もなかった」
「あのな、アリア。おまえの目にそう映ったのは無理もないと思うが、そう簡単なもんじゃないんだ。子どもだったおまえには話せなかった事情もいろいろある。せっかくこうやって会えたんだし、とりあえず本部まで来てくれるか。そこで詳しい話を聞いて欲しい」
なだめるような声になったラトスに対し、アリアは小さいがはっきりとした声で「行きません」と告げた。
「育ててくれたラトス様やシンシア様には、本当に感謝しています。もちろんファイア様にも。でもそれは個人的な恩義であって、セラディーズにはなんの関係もないでしょう。それに、今更ラトス様に心配してもらわなくても、もう俺には俺の居場所があります」
それまでは飄々として、どちらかと言えば余裕のあるように見えたラトスの表情が、それを聞いてやや強張った。
「今更とか言うがな、そもそもおまえがファイアが死んですぐに行方をくらましたせいで、どれだけ心配したと思ってる。どれほど探し回ったか、おまえに分かるか」
「……分かりませんよ。そんなに探してなかったから、見つけるのが今になったんじゃないんですか」
アリアは、わざと反抗的な口を利いて横を向いた。もちろん、黙っていなくなったせいで、心配をかけていたことについては申し訳なく思う。だが、ファイアが死んだのはアリアが十歳の時だ。あれから四年もの時が流れている。『今更』どんな顔をラトスに向ければいいのか分からないのは、むしろアリアの方だった。




