その4
《はーい皆さん!こんにちは、いかがお過ごしでしょうか。今日からお休みだよ、という方も多いかと思います。年末年始は、家族や友人、恋人などと楽しいご予定を立てられているかたもいらっしゃるでしょう。いやぁ、うらやましいですねー》
少し前から、『アルテミス』では店にラジオを設置した。スイッチを入れて周波数を合わせるだけで、様々なニュースや各地の天気予報、最近の流行に関することなどが湯水のように流れてくる。特に人気なのは、歌番組だ。
《そういうわけで、そんな楽しいひと時にぴったりの一曲をここでお届けしたいと思います。最近中央国で大人気のユラ・メティカさんですが、来年の中央国の女王即位五周年記念のスペシャルイベントとして、コンサートが開かれるそうですね!姿も歌声もとてもキュートでチャーミングな彼女のステージ、今からとても楽しみです。それではお聞きください、ユラ・メティカで、『甘いわがまま』》
『アルテミス』の店内に、少し高めでかすれたようなユラの歌声が響いた。ラジオを導入してからというもの、本当にユラの声をよく聞くようになったが、特にこの『甘いわがまま』は耳に残るアップテンポなメロディーで、若者の評判がいいらしい。アリアも何度か聞くうちに、ほとんどそらで歌えるようになってしまった。
窓ガラスを拭きながら小さな声で口ずさむと、セイアにすぐに気づかれ、笑顔を向けられた。慌てて口を閉ざす。別に下手ではないが、人様に聞かせるほどではない。
「なんだよ」「いや、案外うまいなーと思ってさ」「案外、は余計だろ」
アリアとセイア、それにシルヴィアも加えた三人は、現在店内の掃除の真っ最中だった。
せっかくだから二人で出かけたら、とシルヴィアには言われたのだが、意外なことにセイアがそれに異を唱えたのだ。
「アリア、何だか疲れてるみたいだし、出かけるのとかは後でいいよ。昨日まで仕事だったんだろ。俺も、さっきこっちに着いたばっかりだし、どうせまだしばらくこっちにいるし」
そのセイアは、今は『アルテミス』の店内で、脚立に乗って電球の傘のほこりを古布で拭っている。『アルテミス』は小さな飲み屋なので、年末年始に人がどっと押し寄せても対応できないため、今日からお休みに入ることにしていた。普段手の行き届かない場所の掃除をすると聞いて、進んで照明の掃除を買って出たセイアは、誰の目から見ても立派な好青年だ。
アリアは休んでていいよ、とは言われたものの、客に働かせて居候が寝ているわけにもいかないだろう。アリアは窓ふきを担当することにして、それなりに作業に励んでいた。ただ、どうしても気になって、ちらちらとセイアの方を見てしまう。セイアは光に透かすようにして、真剣な顔で傘の汚れをチェックしていた。
(………結構、カッコいいよな)
カッコいい、と言い切ってしまうのが難しいのは、顔立ちにちょっと幼さが残るからだ。目が大きめで、全体的に優しい雰囲気を醸し出している。見る人によっては、かわいい、と言うかもしれない。本人はモテないようなことを言ってはいたが、本気で彼女募集の看板を掲げたら、名乗りを上げる女子は決して少なくないだろう。
「うわ、やばい」
ぼんやりと足元のバケツを見て、思わず声が出た。バケツの底に穴が開いているのだろうか、水が漏れて店の床に流れ出してしまっている。慌てて厨房の流しに水を捨て、店の外にある物置に代わりのバケツを探しに行くことにした。そして首尾よくバケツを見つけ、店内に戻ろうとしたところで、異変に気が付いた。
―――――誰かが、店の中に入ろうとしている。そしてそれは、アリアが知っている人のような気がする。
思わず、その人物から見えないように身を隠した。その男性は、しばらく迷うように扉のガラス窓から『アルテミス』の中を覗き込んでいたが、やがて意を決した様子で扉に手を掛け、それを押し開けた。
「すみません。人探しをしている者ですが、少々お尋ねしてもよろしいでしょうか」
声を聞き、予想どおりの人物であることを確信した。だが、なぜこの場所が分かったのだろう。昨日のカイアといい、何かアリアに関する情報がセラディ・ソーサラーズに出回ったのだろうか。
「……はい。どういったご用件でしょう」
扉の向こう側から、ユラのかわいい歌声をBGMにして、シルヴィアのやや緊張した声が聞こえる。アリアはじっと息を殺し、しばらく様子を見ることにした。
「アリア・コーダという十四歳の女の子を探しています。黒髪でやせ型のきれいな子です。とはいっても、今は少し男っぽい恰好をしているらしいのですが」
「……失礼ですが、そちら様は」
「申し遅れました。私、セラディ・ソーサラーズという組織で青魔という役職についております、ラトス・ティスキンと申します」
そう名乗った後、何かを見つけたのか軽く息を呑むような間があった。そして、
「アリア……アリアなのか?」
彼はそのまま店内に足を踏み入れた。アリアはやや呆気に取られて、その後ろ姿を眺めた。
(うそだろおい。なんだこの展開)
開いたままの扉に近付いて、そっと中の様子を伺うと、彼は脚立から降りてきたセイアの方へ手を差し伸べていた。この位置からでも、お互いに非常に戸惑っている様子が伺える。
「おまえ……男っぽくしているとは聞いていたが、いったい何があったんだ」
「いや、あの……俺は、アリアじゃないですよ?」
思わず顔を覆った。正直、面白がる気持ちがなくもなかったが、これ以上放置すると、あまりにセイアが気の毒過ぎる。
(仕方ないなぁ。もう、会わないだろうと思ってたのに)
わざと音を立てるようにして、店内に足を踏み入れた。はっとこちらを振り返った、その男性と目が合う。自分でも意外だったが、懐かしさに思わず一瞬息が詰まった。
四年前と、あまり面差しは変わっていないような気がする。とび色のくせ毛は、以前よりも少し短めだろうか。粗削りな顔立ちで鼻も口も大きいが、こちらを驚いたように見つめる目は小さく、優し気な薄茶色をしている。
「お久しぶりです、ラトス様。そいつは、男っぽいとかじゃなくて、ほんとに男なのでやめてあげてください。……こっちが、アリアです」
店内に、ユラの歌声だけが響いていた。最後に、ゆっくりとリフレインして曲が終わり、静寂が訪れた。
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