その2
「じゃあなに、幻覚を見せられて路地裏に連れ込まれた上に、捕縛魔法を掛けられた状態で無理やりキスされたってこと⁉」
「ケネイア、声でけぇ」
ここはシャキの町の警察署。取調室とかではなく、わりと居心地のいい普通の応接室である。アリアは、一人掛けのソファに膝を抱えて丸くなっていた。貸してもらった大きめのひざ掛けがあたたかい。
話の内容が内容だけに面と向かって話すのが気まずく、ケネイアとは少し距離を取って横を向いた状態で話していたのだが、こっそり彼の様子を伺うと、きれいに整えられた細い眉をきりきりと吊り上げて、噛みつかんばかりの形相をしていた。
「声がでかくもなるわよ。うちの管轄で不埒なまねを、しかもあんた相手に。ほんとに許せない、捕まえたらとっちめてやる」
「……まぁでも、俺もちょっとぼーっとしてたんだよ」
「こら、そういうこと言わないの!アタシはね、若い女の子が、多少ぼんやり歩いてたって何の危険もないのが当たり前だと思ってるわよ。そうじゃなきゃおかしいでしょ!」
アリアは少し肩をすくめ、ひざ掛けに顔をうずめるようにした。基本的に、自分は『若い女の子』からは除外されるだろうと思ったが、それを口にするとまたケネイアの怒りを買いそうなので、とりあえずおとなしく黙った。
実は、アリアはこの警察署に少しの間お世話になっていたことがあるので、ここにいる警察官はみな彼女の顔を知っている。先ほど警察署に着いた際、安堵感のせいか急に吐き気に襲われ、トイレを借りて少し吐いた。忙しかったせいで昼食は抜いていたため、ほとんど胃液しか出なくて苦しかったが、念入りに口をすすぎ、時間が経ってやっと落ち着いてきた。この応接室は扉を開け放した状態になっているが、先ほどのケネイアの大声もあり、廊下からちらりちらりと心配そうな他の警察官の視線を感じる。心配してもらえるのはありがたいが、それ以上に恥ずかしくていたたまれない。
ケネイアは怒りが収まらない様子ではあったが、怒っているだけでは話が進まないと思ったらしく、何とか落ち着きを取り戻した声でアリアに尋ねた。
「それで、そいつは何?知り合いだって言ってるの?」
「知り合い……とまでは言ってなかったけど、でも初対面じゃないって。ケネイア、セラディ・ソーサラーズって知ってる?セラディ―ズとかも言うけど」
いろいろとショックなことは多かったが、アリアとしては相手が自分を知っている様子だったことも気になった。
「俺、小さいころに結構長い間、セラディーズの人に保護してもらっていた時期があって、その人たちの名前を出されたんだよね。俺の名前も知ってた」
「ふーん……セラディ・ソーサラーズってあれよね、魔術師だけの宗教団体みたいな。アリアも所属してたってこと?」
「いや、大したことは覚えてないけど、多分所属はしてない。なんであの人たちが俺のこと保護してくれてたのかも謎だし……」
分からないことが多すぎる。そもそもなぜ今更セラディ・ソーサラーズが関わってくるのか。ぼんやりしたまま外套のポケットからタバコの箱を取り出すと、「こら」と軽めの口調で叱られた。
「法律では決まってないけど、お酒もタバコも十八になってからにしましょうね、って学校では教えてるのよ。知ってる?」
「知らない、学校なんか行ってないし。……口の中気持ち悪いんだよ、あいつ舌まで入れやがって。他のやつにもそこまで許してないのに」
ぶつぶつとぼやいた後、あっと思って口を押えた。おそるおそる隣の警察官を見ると、探りを入れるような険のある眼差しと目が合った。
「今のは、どういうこと?複数とキスしてるみたいに聞こえたけど。彼氏との話だけじゃ、ないわよね?」
思わず腕で顔を覆った。そうでなくても結構恥ずかしいのに、更に上塗りをしてしまった気がする。だが、うっかり一度口に出してしまったものを取り消すこともできない。
「……タバコがすごく値上がりしてるだろ。男友達にタバコ欲しいって言ったら、キス一回でひと箱交換って言われて、まあいいかなって……そのあと、二人くらい同じようなやり取りがあって」
「アリア、あんたねぇ」
「分かってるよ、その後はしてない。さすがにこういうのは良くないって思ったから。でも、その当時は正直、いろいろとどうでも良かったんだよ」
言い訳にはならないが、ライアに死なれた後、少し経ってからの話だ。食べ物がほとんど喉を通らず、朝から晩までタバコを吸っていた。今にして思うと、よく死ななかったものだ。それでも、よく分からない薬物とかに手を出さなかったのは、ぎりぎり偉かったと思う。
ケネイアは何か言おうとしたのをかろうじて飲み込んだような顔つきで、深いため息をついた。
「……あのねぇ、アリア。アタシはあんたの彼氏じゃないし、ましてやお母さんでもないから、こんなことをいうのもどうかと思うけど。あんたはもう少し、自分を大切にしなさい。そーゆーことをするために、こんなキレイな顔に生んでもらった訳じゃないでしょ」
そう言って、軽くぽんぽんと頭を叩かれた。アリアは少し赤くなった顔を隠すように俯き、うん、と小さく頷いた。
「おいケネイア、おまえ今日はもうあがっていいぞ」
ふいに応接室に顔をのぞかせた男が、ケネイアに向かってそう声をかけた。グウェンという名前の、低身長ながらごつい体型をした年配の警察官だ。アリアが呟くように「こんばんは」と挨拶をすると、彼はアリアに目を遣り、黙ったまま頷いた。寡黙で表情に乏しいが、意外と情に厚いタイプで、アリアもここにいる間とても親切にしてもらっている。
「え、もう少ししたらパトロールに戻りますよ。変態野郎をとっちめたいし」
「いや、おまえはアリアのこと送ってやれ。パトロールは俺が代わる。あと、若いヤツ何人か増員してこの辺り中心に回ってみる」
まずい、と思ったアリアは慌ててソファから立ち上がり、床に置いたままの布袋を手に取った。保護してもらい、ついだらだらと長居してしまったが、これ以上迷惑はかけられない。
「ごめん、仕事の邪魔して。ワープで帰るから大丈夫、いろいろありがと」
そそくさと応接室を出ようとしたが、ケネイアに「待った」をかけられた。
「グウェンさんもああ言ってくれてるし、送るわよ。もう少し休んでからにしたら?」
「もう平気。ワープも、さっきは動揺してたから使えなかったけど、もう落ち着いたから」
できるだけ何でもなさそうにそう言ってみたが、ケネイアは渋い表情のままだった。
「あんた、まだ顔色良くないわよ。―――――嫌じゃなかったら、友人として送らせて。ゆっくりと、おしゃべりとかしながら帰りましょ」
そう言われてしまうと、うまく断る言葉も見つからない。気遣いを嬉しく思う反面、いろいろな人に甘えている罪悪感で胸が痛い。
結局、ケネイアの帰り支度を待ち、他の警察官たちに後のパトロールをお願いして、二人で外へ出た。ただ、パトロールを強化したところで、カイアが捕まるとは思えない。ワープが使える魔術師を捕まえるのは、本当に至難の業だ。どちらかと言えばこのパトロールによって、町の一般市民、特に女子たちが安全に町を歩けることのほうが大切だ。
「どうする、何か軽く食べていく?」
ケネイアに聞かれたが、アリアは肩をすくめて首を振った。昼も抜いているので、本当は何か食べた方がいいのだろうが、食べられる気がしない。ケネイアは「仕方ないわね」と頷き、二人は『アルテミス』を目指してゆっくりと歩き始めた。
「アリアは明日からお休みなの?」
「うん、一週間休み。ケネイアは?」
「アタシはお巡りさんだからさー。忙しいのよ、年末年始。浮かれてバカやる連中が多いし、路上でケンカとか……あー気が重いわー」
ぶつぶつ言いながら頭を掻いた。確かに世間一般にとっては楽しい長期休暇だが、警察にとっては心休まるものではないのだろう。
「でもせっかくの正月だし。彼氏とデートとかは?」
ケネイアはゲイで、仲の良い彼氏がいる。ラブラブデートシーンを何度か目撃しているアリアは、保護してもらったお礼にのろけでも聞いてやろうというつもりだったのだが、彼は微妙に苦い顔になった。
「それがねぇ……まあ、絶賛ケンカ中よ」
「え、なんで?」
「なんでって言われても。センシティブな内容が含まれてるため、残念ながら十四歳のあんたには話せないわよ。適当に想像して」
「あー……そういう?」
ケネイアの彼氏については、建築関係の仕事をしているという以外はよく分からない。まあいろいろあるのだろう。男同士だと、ヘテロの恋愛では思いつかないような苦労がありそうだ。アリアが黙ると、代わりにケネイアがこちらへ身を乗り出してきた。
「あんたこそどうなのよ。セイア、こっちに来るんでしょ?」
「ん……一応、明日来るって」
セイアは、北国に住む友人の魔術師だ。ただ、友人と一言で言うのも難しいほど微妙な間柄ではあった。思い出すと、少し胸が苦しくなる。でも、これが恋かと言われると、それもちょっと良く分からない。
「なによぉ、一応って。デートとかするんじゃないの?」
「……俺が『会いたい』って言ったから、来てくれるだけだし。あっちはもしかすると、めんどくさいって思ってるかも」
「弱気ねぇ。そんなことあるはずないじゃない、わざわざ北国から来るのに」
ケネイアは呆れたように言うが、アリアはそこまで楽天的には考えられなかった。
「……さっき、幻覚見せられた時さ。ライアが出てきたんだよね」
「ライアって……あ、えーっと……彼氏?」
「うん。死んじゃったけど。こういう場合も、元カレっていうのかな」
吹いてくる風が冷たい。外套のフードを目深に被り、襟元を両手でかき合わせた。ぽつりぽつりと話す二人の横を、大騒ぎしながら若者のグループが追い抜かしていく。
「あの場でセイアじゃなくてライアが出てきたのは、やっぱり、俺がバカみたいにライアのこと引きずってるからだって思うとさ」
「それはでも、仕方ないんじゃ」
「おまけにあんなことされて。ヒメアにもらったブレスレットも切れちゃうし……なんだかもう、どんな顔して、会えばいいのか」
フォローしてくれようとする声を遮って、胸のもやもやが一気に言葉になってあふれ出た。―――――その後、思わず、というように奥の方にしまっていた気持ちが転がり落ちた。
「会えるの、楽しみにしてたのに」
また泣いてしまいそうになって、ぐっと奥歯を噛みしめて堪えた。ケネイアの前では、泣いてしまうことが多い気がする。でも、こんなところで泣かれても、ケネイアだって困るだろう。
「……ねぇ、でも、それでいいんじゃない?」
ぽつりとケネイアが呟き、アリアは何の話だか分からずに、少し潤んだ瞳で彼のことを見上げた。
「だから、さ。好きかどうかは分からなくても、一番かどうかは決められなくても、会えるの楽しみにしてたのは本当、ってこと。ね、それで充分じゃない?」
アリアは下を向いて、ゆっくりと歩きながら、その言葉を反芻した。会えるの楽しみにしてたのは、本当。そう思うと、ほんの少しだけ、冷えていた胸の底が温かくなるような気持ちになった。
「そんなんでも、いいのかな」
「そうよー。『会えて嬉しい』とか言って、笑顔でも見せてあげなさいよ。あんたにそれやられたら、セイアはそれでイチコロだから」
「あざといなぁ。いい話だったんじゃないの、これ」
やっと少しだけ笑顔になることができた。そうよそれそれ、その笑顔、といってケネイアも笑ってくれる。
「あー、アタシも彼氏に会いたくなっちゃったなー」
おどけたように、でも少し本気っぽく言いながら隣で大きく伸びをするケネイアに向かって、アリアはふと思いついたように提案してみた。
「電話とか掛けてみたら」
この国で電話が一般家庭に普及したのは、実はつい最近だ。基本的に遠く離れた場所か急ぎの用事がある場合の通信手段であって、まだあまり気楽に使用できる代物ではない。案の定、ケネイアは怪訝な表情でアリアの方を見た。
「えー、電話?……あ、分かった、何か適当な用事をこしらえて掛けてみろってこと?」
「そうじゃなくて、何の用事もないけど掛けるんだよ」
「え、用事もないのに?目と鼻の先に住んでるのに?」
「うん。それで『用事はないけど、声が聞きたかったから』って言うんだよ」
何を言ってるんだか、と自分でも顔が熱くなるのが分かる。でもさすがにこれだけ暗ければ、頬が赤いのには気づかれないだろう。
「……その、セイアから電話もらった時に、そう言われて嬉しかったから」
「のろけかぁ―――――‼」
「違うから‼俺は、ケネイアたちが仲直りできればって思っただけで‼」
分かった分かった、あんたってばめちゃめちゃかわいい、と笑いながらケネイアに言われ、頭を撫でられるうちに、『アルテミス』に着いた。
「じゃあ、アタシはこれで。あんまり考えすぎちゃだめよ」
おやすみ、と言い合いながら別れた。空にはきれいな細い三日月が浮かんでいる。ケネイアのお陰で、少しだけ明るい気持ちでその空を見上げることができた。
明日会える。できるだけ笑顔で迎えられるよう心を鎮めながら、「ただいま」と言って『アルテミス』の扉を開いた。
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