その17
「……うー……」
苦しそうなうめき声に、ふと我に返った。顔を上げると、横になっているカイアが体を捩っている。そういえば、捕縛をかけたままだった。
「おまえは少しそうしてろ、カイア。これで分かっただろう、捕縛をかけられた側がどんな気持ちか」
ラトスがそちらの方へ顔を向け、冷淡な口調で言い放った。セイアもそこは全く同意見だったが、それでも。
分かっている。こいつは、叔母に出会えなかった、守ってもらえなかった、セイア自身だ。
ため息をつき、ゆっくりと立ち上がった。少し休んだし、セイアの方はそこまでダメージを受けていない。吐き気も収まった。
「あのさ、アリア。……あいつのこと、治してやってもいい?」
アリアの方を向いて尋ねると、彼女はそれほど意外そうな様子も見せず、軽く肩を竦めた。
「言うと思った。いいよ、俺は別に。おまえがそうしたいなら」
あっさりした返事をするアリアに対し、ラトスは渋い顔をしている。
「もう少し放っとけよ。あいつが何やったか分かってんだろ。たまに痛い目に遭った方がいいんだ、ああいうヤツは。骨くらい折れてるかもしれんが、大丈夫、死にやしないから」
「……今、ラトス様が言ってくれたんじゃないですか。俺の本質は、こっちだって」
こいつを置いて帰っても眠れないだろうし、寝ても悪い夢を見そうだし。ぶつぶつと呟きながら、仰向けに横たわっているカイアに近付き、まずは捕縛を解除した。彼の体に巻き付いていた青い光がするすると消える。
「おい、どこが痛むか教えろよ。治癒魔法、使うから」
やや乱暴な口調で声を掛けたが、カイアは意地を張っているのか、顔を背けて何も答えない。思わず舌打ちをしてしまった。
やはり、どう頑張っても優しい気持ちにはなれない。だが、痛みのせいで脂汗が浮かんでいる額を見ると、これ以上放ってもおけない。ぱっと見では外傷は分からないが、骨が折れているというラトスの見立ては合っている気がする。
「すみません、ラトス様。アリア連れて、少し外してもらえますか。こいつと話がしたいので」
ラトスに向かって小声で声を掛けると、彼は心得たように頷き、アリアの肩を叩いて、場所を移してくれた。
二人が離れたのを確認してから、カイアの隣に座り、遠慮なく……とはいってもごく軽くだが、胸の辺りを拳で殴る。カイアの口から、言葉にならない悲鳴が上がり、ぐっと歯を食いしばって耐えながら、セイアに向かって悪態をついてきた。
「……ってっめえ、ケガ人に何すんだよ、このクソ悪魔!」
「なるほど、やっぱりここら辺か。治すから、少し黙ってろ」
そう言うと、右手をあばらの上辺りに広げた。ふわっとした青い光が広がり、ゆっくりと治療を始める。始めてみると、思ったよりも損傷が激しい様子が伺えて、内心、ほんの少しだけ、申し訳なく思った。これは、大分痛かっただろう。感傷に浸る暇があったら、こちらを優先してあげるべきだった。
「おまえ、あとでちゃんとアリアに謝れよ」
少し経って、乱れていたカイアの呼吸が落ち着いてきたのを確認してから、そう話しかけた。思ったよりも低い声が出て、改めて自分の機嫌の悪さを認識する。カイアもまた、不機嫌極まりない顔をしていたが、やがてため息をつき、諦めたように口を開いた。
「分かったよ。……だいたい俺だって、人のもんだって最初から分かってれば手なんか出さねぇし」
「別に、俺のもんってわけでもないけどな。振られたから」
あまり言いたくもなかったが、正直に話さないのもフェアではないと思い、しぶしぶそう答えた。するとカイアは、「はぁ?」と明らかにバカにしたような声を上げた。
「振られたぁ?マジで?」
「……うるせえなぁ、そう言ってんだろ!」
思い切り口が悪くなってしまった。アリアとラトスに外してもらったので、大分性格の悪い部分が出てしまっている。これが素と言うわけでもないのだが、「思ったより気が短いね」と人から言われたことは、実は一度や二度ではない。
「はぁー……振られた、ねぇ。よくそんなの真に受けるよな。あほくさー」
そしてカイアは、そんなセイアの不機嫌をものともせず、余裕で煽り続けている。
「おまえのためにすっ飛んできてさぁ、あんなのどう見たっておまえに惚れてんじゃん。別に俺はタイプじゃないけど、あいつ、それなりに需要あるんだろ?美人だし。でもおまえがそんな感じなら、あっという間に他のヤツに取られそうだなー、どうでもいいけど」
「……もうすっかり元気そうだな。ここで終わりにして放置してもいいんだぞ、俺は」
そんなカイアを睨みつつも、セイアは治療を続けた。
(何だかなぁ……こいつも、難儀な性格してるよな。俺も、何やってるんだか)
治癒魔法は、はっきり言って疲れる。軽いケガならそれほどでもないが、ここまでの大ケガを治すとなると、根こそぎ体力を持っていかれる。しかも結構、アルコールが残っていて、一度収まっていた吐き気が疲れのせいでぶり返しそうになる。
立ち上がって大きく伸びをし、深呼吸を繰り返していると、カイアの方から話しかけてきた。
「おまえさ、セラディ・ソーサラーズに来ねぇの?」
散々毒を吐いたからか、ある程度ケガが治ったからなのか。思いのほか素直な声だった。
「俺が?なんで?」
「これだけ強い治癒能力があるなら、重宝されると思ってさ。誘ってるとかじゃないけど」
「いや……考えたこともない」
戸惑いながらそう答えると、ふうん、と呟いて後は黙り込んだ。セイアも黙ったまま、治療を再開した。
(セラディ・ソーサラーズかぁ……スラ大、近いよな)
だが、今日はもう、これ以上あれこれ考えるのは難しそうだった。黙々と治療を進め、この辺りで大丈夫だろう、と思ったところで「立てるか?」と声を掛けた。
「おぉー……」
何とかよろよろと立ち上がったカイアを見て、少し離れた位置から見守っていたラトスとアリアから、小さな感嘆の声らしきものが上がった。
「これで終わり。とりあえず、明日一日くらいはできるだけ安静にして」
ややそっけなくそう言うと、カイアは「分かった」と頷いた後で、下を向いたまま、
「―――――ありがとう」
本当に小さな、聞こえるか聞こえないかくらいの声でそう言った。聞こえねぇよ、とうっかり言いそうになったが、それはあまりにも大人げない。
「どういたしまして」
あまり心はこもらないが、一応そう返しておいた。
「お疲れさん。悪かったな、いろいろと」
いつの間にかそばに来ていたラトスに、肩を叩かれ、セイアは曖昧に笑った。確かにちょっと、体力も気力も限界を迎えている。
その後すぐに、ラトスがカイアを支えるような体勢になり、
「じゃあこのままいったん、こいつのことS・Sに送ってくる。また戻ってくるから、ちょっと待ってろ」
近所に買い物にでも行くような気楽さでそう言うと、ふわっと青い光を残して宙に消えた。二人乗りワープだ。
あっと言う間に、アリアと二人で空地に残された。セイアは深々とため息をつくと、全身の力を抜いてごろりと地面に寝転がった。ものすごく疲れた。このままここで寝たいくらいだ。寝ころんだまま上を見上げると、ラトスの浮かべた丸い青い光が頼りなく漂っているのが見えた。何気なくそれを目で追っていると、すとん、とアリアがセイアの傍らに腰を下ろした。
「お人よしだな。ま、分かってたけど」
表情が読めない。呆れているのだろうか。
「だって、あのままにもできないだろ。俺がケガさせたようなもんだし」
「そう思うところが、お人よしだって言ってんだよ」
そう言った後、いたずらっぽい苦笑いを浮かべた。
「おまえ、結構飲んでるだろ」
不意にそう指摘され、慌てて口元に手を当てた。確かにまだ酔いは残っているが、あまり表面に出ないようにしていたつもりだ。
「え、俺ひょっとして酒臭い?」
「そうでもないけど、でも、酔ってるって感じがする。……やけ酒?」
やけ酒の原因の張本人に言われても、反応に困る。
「別に、そういうわけでも。それに、そんなに量は飲んでないよ。あんまり食ってないし、変な飲み方したから、ちょっと悪酔いしたけど」
やや口ごもりながら言い訳のようにそう答えると、アリアは軽く頷き、少しだけ顔を伏せた。片手を持ち上げ、しばらく何か迷う様子だったが、やがてゆっくりとその手を伸ばして、そっとセイアの手を握った。
「ばっかだなぁ……ケンカなんかして」
呟くような、甘くて優しいその声は、なぜか泣きそうに聞こえた。
「ケガとかしたって、俺じゃ治せないのに」
「大丈夫だよ、俺はケガしなかっただろ。そもそも向いてないし、こんなことでもなければケンカなんか」
しまった、と思って慌てて口を閉じた。これだとアリアのせいでケンカしたみたいに聞こえる。ケガをせずに済んだのも、半分はアリアのお陰だ。
何とか取り繕おうとあれこれ考えていると、握っているアリアの手の力が、ぎゅっと強められた。
「……ありがと。キスされたこと、怒ってくれて」
「…………え、」
仰向けの状態のまま、傍らのアリアを見上げた。暗い中、こちらを見下ろす真面目な顔と目が合った。アリアは、今度は目を反らさなかった。
「い、いや別にアリアのためっていうか。俺はただ――――他のヤツに触らせたくなくて」
口に出した瞬間に、すぐに失言だと悟った。思わず目を瞑り、腕で顔を覆った。
(うわ、何言ってんだ俺。カッコ悪)
振られたくせに独占欲丸出しの発言をしてしまった。穴があったら入りたい。
「ごめん、俺酔ってるから。今のはちょっと、なかったことにして」
必死に言い訳をしながら、でも、本当は自分では分かっていた。振られたのだから諦めないといけないとか、いくら聞き分けのよさそうなことを言っても―――――今のが、本音だ。
アリアはそんなセイアに、うん、と小さく頷いた。そして、セイアの顔を覆っている腕に触れると、顔が見えるようにそれを動かした。
「……セイ、そのままちょっとだけ目、つむってて」
ささやくような声が、すごく近くに聞こえた。
洗ったばかりの髪の香りとメンソールのタバコの匂いが溶け合って、セイアの顔の上からふわりと包み込む。え、と思う間もなく、頬に何か柔らかなものが触れた。
慌てて目を開くと、同時くらいにアリアが勢いよくその場から立ち上がったところだった。
「お帰りなさい、ラトス様。お疲れ様です」
間がいいのか悪いのか、ちょうどラトスがワープで戻ってきた。セイアが声を掛ける隙も与えず、アリアはラトスの方へと駆け寄っていく。
「よし、じゃあ撤収するぞ。おいセイア、おまえ歩けるか?俺はできればアリアを『アルテミス』まで送りたいんだが」
「俺はいいですよ、近いし。セイアの方に行ってあげてください」
上半身を起こし、気の抜けたように座り込むセイアの耳に、二人の会話が聞こえてきた。それを聞くともなしに聞きながら、セイアはぼんやりとアリアの後姿を見つめた。
頬の上に、柔らかな感触がはっきりと残っている。指先でそこに触れると、火照るような熱が感じられた。
(……何だったんだ、今のは……)
* * *




