その16
(うー……気持ち悪い……)
座り込んで下を向き、息を整えていると、アリアが声を掛けてきた。
「ありがと、セイア。今の、多分まともに食らったらヤバかった」
「……いや、さっきはアリアが庇ってくれただろ。だからおあいこ」
安心させるように無理に笑顔を作ると、アリアも少しだけ笑みを浮かべた。吐き気だけではなく、手や腕全体が痛むし、疲労感もあったが、その笑顔だけでいくらか体が楽になるような気がした。
ラトスはしばらくカイアの傍で様子を見ていたが、これなら問題ないと判断したらしい。何か手当を施すこともなく、セイアとアリアの所へやってきて、二人の前にかがみこんだ。
「大丈夫か?すまん、俺が出遅れた。まさかアリアの方を狙うと思わなかった」
「なんとか……」
「気持ち悪いか?吐けるようなら、吐いちまえ」
吐き気はあったが、何とか堪えられそうだった。大丈夫です、と言って顔を上げると、思いのほか真剣な顔をしているラトスと目が合った。
「セイア、こんな状況であれだが、少し話してもいいか?」
なんだろう。緊張して頷くと、ラトスの方も軽く頷いて、その場に腰を下ろした。
「多分、状況分かってないよな。俺も確証は持てんが、さっきおまえが出した術には、心当たりがある。おそらく、相手の攻撃をそのまま跳ね返す『リフレクト』だ」
「リフレクト……」
「そうだ。ちなみに、これはすごく珍しい能力で、俺も実際に見たことはない。だから、おそらく、としか言えないんだが」
そこで一度言葉を切り、セイアの顔を覗き込むようにした。
「言いにくいことを言うようだがな、おまえもおかしいと思ったことがあるんじゃないか。『北国の悪魔』と呼ばれる自分が、なぜ攻撃系の魔法が使えないのか。それじゃ、人なんか殺せないだろうって」
「………」
指摘されるまでもなく、何度もそれは考えていた。故郷の魔術師の友人にも、同じことを言われた。……自分には何か、隠し持った能力があるのかも知れない。だが、あえてそれを見つけ出したいとは思わなかった。
「おまえの親父さんは、魔術師だったんだろ。インパクトか何か、強い攻撃系の能力があったはずだ。赤ん坊のおまえは、自分にそれが向けられた時、無意識に命の危険を強く感じ取って、リフレクトを発動した。そう考えると説明がつく」
「……そうですね。父親は、魔術師だってことは周りに隠してたみたいなので、詳しくは分からないですけど」
ぼんやりと答えた。説明がついてしまった、と思った。
―――――今まで、『北国の悪魔』と呼ばれながらも、本当は違うんじゃないか、という気持ちが捨てきれないでいた。もしかしたら、警察も気付かなかっただけで、父親が命を落とした原因はほかにあるのかも知れない。そんな風に考えたりもした。だが、自分がリフレクトを使えるのだとしたら、今ラトスが言ったことがおそらく真実なのだろう。
「あのな、セイア。おまえは、この能力は自分には必要ないと思ってるかもしれない。でもな、これからの人生、まだまだ長いぞ。アリアがさらわれそうになったことは話しただろ?俺もファイアも、あんなことが起きるとは思ってなかったんだ。でも現実に起きて、ファイアが命を落とした。……この先魔術師として生きていくなら、持てるカードはできるだけ持っていた方がいい。俺は、リフレクトは必ずおまえの切り札になると思う。現に今も、アリアを守ってくれただろ?」
そう言われてアリアに目を向けると、彼女は小さく、だがはっきりとセイアの目を見て頷いた。ラトスは真面目な表情を崩さず、じっとこちらを見ている。
「そうかもしれない……ですけど」
「もちろん、あくまで切り札だ。何と言ってもおまえには治癒能力がある。誰もがうらやむような特別な能力だ。おまえはずっと、その能力だけを大切にしてここまで生きてきたんだろう。人を傷つける力は、封じ込めて」
そう言って、ラトスはそっと手を伸ばし、セイアの頭に軽く手を乗せた。
「多分、それがおまえの魔術師としての本質だ。リフレクトが使えるとは言っても、基本的にはお前の力は人を救うために使われるものだ。人を傷つけるためじゃない。……アリアの言ったとおりだよ。おまえは優しい、いいヤツだ。人殺しじゃない。……心無いことを言って、すまなかった」
うっすらと、視界がぼやけた。アリアの前で泣きたくはなかったが、いろいろな思いがこみ上げてきて、堪えることができなかった。抱え込んだ膝の間に顔を埋める。
奥歯を噛みしめるようにして声を抑えながら、ふいに遠くから……遠い記憶の向こうから、泣き声が聞こえたような気がした。顔を伏せたまま、その声を思い出す。
覚えている。あれは、まだ幼かった頃の、自分の泣き声だ。
『母さん、もう僕の誕生日は、お祝いしなくていい。お祝い、しないで欲しい』
泣きながら、声を詰まらせながら、一生懸命に訴える声。訴えている相手は、叔母だ。セイアは、親代わりに育ててくれた叔母のことを、ずっと『母さん』と呼んでいた。その呼び方は、今も変わらない。
『どうして?お誕生日は、大切な日でしょう』
『だって、僕の本当の母さんは、僕の誕生日に死んじゃったんでしょう。僕を産むときに……僕のせいで』
泣き声が大きくなる。耳を押さえても、記憶から響いてくる声は消えることはない。
『そして、生まれてすぐに、僕が父さんを殺したんでしょう』
『……誰が言ったんです、そんなこと』
『みんな言ってる。学校のみんな。おまえはヒトゴロシだって。僕は父さんのことなんか、何も知らないのに』
あの時、叔母はとても辛そうな顔をしていた。泣いているセイアよりも、ずっと。
『生まれなければ良かったんだ、僕なんか。僕が生まれた日なんて、お祝いされたくない』
あぁ、母さんを困らせてる。そう思いながら、自分では自分の気持ちを、どうすることもできなかった。ぼろぼろと頬を伝い落ちる涙の熱さを、ついこの間のことのように思い出す。
『それでも、私にとっては大切な日ですよ。大切なセイアが、生まれた日なのだから』
叔母は辛そうに、それでも何とか笑顔らしきものを浮かべながら、セイアの頭を撫でた。
『あのね、セイア。今、あなたにとってこの世界は、とても辛い世界だと思う。それでも、あなたには、誰よりも優しい子になって欲しい』
幼いセイアは泣きながら、叔母を見上げた。
『……優しい子?優しくすれば、いいの?みんなに?』
『そう。今は辛くても、意地悪を言われても、誰に対しても優しくしてあげて。そしてまっすぐに前を向いて生きて。―――――大丈夫、いつかきっと世界は、あなたの優しさに応えてくれる』
そう言って、ぎこちなく腕を伸ばし、優しく、強く抱きしめてくれた。普段はどちらかというと厳しくて、あまり愛情表現を身体で表す人ではないのだけれど。
『……でも、母さんだって、僕のせいで町の人とかにいろいろ言われてるでしょ。僕のこと、嫌にならないの』
抱きしめられながら小さな声で尋ねると、叔母は少し体を離し『あら、そんなこと』と目を丸くしてみせた。そして、真面目な顔でこう言った。
『そんなこと、屁でもないわ』
『……へ?』
『そうよ。セイアは知らないかも知れないけれど、こう見えてとても図太いんですよ、私は』
悲しいのになんだか可笑しくて、少し笑ってしまった。だから、あれほど泣いたのに、悲しいだけの思い出にはならなかった。
手を離すこともできたはずなのに、ずっと離さなかった。守られてきたのだ、ずっと。




