その12
今日から年末休みに入っている人が多いせいだろう、日が落ちた後のシャキの町は、以前に来た時よりも賑やかに活気づいていた。浮かれた気分にはとてもなれないが、気晴らしには悪くない。
しかし、まだ子どもも出歩いているこの時間帯に、「お兄さぁん、いいコがいるよー!」と客引きをしてくるのはいかがなものか。しかも、結構しっかり断らないと、腕を掴んで店に連れ込もうとまでしてくる。
(ひょっとして今の俺って、いいカモに見られてるのか。嫌だなぁ)
できたら少し飲もうかと思っていたのだが、振られたからといっていかがわしい店に足を向けるほど落ちてはいない。しかし、安全な店の判断基準もよく分からない。
諦めてホテルに引き上げようかと思いつつ、ぐるぐると歩きまわっていると、一軒の店の前で知っている顔を見つけた。
その人物もセイアと同じく店を物色している様子で、窓から中の様子を覗きこんでいる。声を掛けるのをためらい、距離を置いてしばらく佇んでいると、視線を感じたのかあちら側が気づき、軽く片手を挙げた。
「よぉ。セイア、だっけか?」
「こんばんは。ラトス……様」
なんと呼べばいいのか分からず、アリアに倣って「様」付けになった。それを聞いたラトスは、一瞬だけ目を丸くした後、わずかに苦笑いの表情になった。
「おまえ、その呼び方だとセラディ・ソーサラーズ入会決定だぞ。来るか?中央国」
「そうですねぇ……」
あいまいに笑うと、こっちに来い、と手招きされた。言われるとおりにすぐそばまで行くと、彼は値踏みするようにセイアを頭から足までじっくりと眺めた。
「飲めるのか、おまえ」
「まぁ、人並みには」
「ふぅん……この店でもいいか?」
ラトスは「この店」と言いながら親指で目の前の店を指し示し、「おごってやる」と言って扉に手を掛けた。セイアは慌ててそれを引き留めた。
「いえ、そんな。会ったばかりなのに、悪いです」
「なんだ、色っぽい姉ちゃんがいる店の方がいいか」
「いやいやいや、そうではなくて」
半ば強引に連れられて、店に入った。店内はそこそこの混み具合だったが、若者よりも大人が多めの客層で、静かに酒を楽しんでいる雰囲気だ。セイア一人ならば、まず絶対に選ばない店だろう。やや緊張しながら、促されるままにカウンター席に座った。
「何飲む?飲めないものとかあるか?」
「ええと、いえ、わりと何で飲めます」
適当に返事をすると、しばらくしてロックのウイスキーが二つ、グラスで出てきた。確かに、何でも飲めると言ったのは嘘ではないのだが、いきなりこれは強すぎないか。
腹をくくり、いただきます、と言って、ぐっと煽った。強いアルコールに喉の奥から食道までが痛むほど熱くなり、脳の中身が大きくぐらりと揺らぐ。
「おー、いい飲みっぷりだな」
改めてラトスの方を見ると、彼は少し面白そうな表情を浮かべて、自分のグラスを傾けていた。朝の明るい光よりも、夜の店のほの暗い雰囲気が良く似合う人だ。粗削りな顔立ちは、精悍にも野性的にも見え、こういう男らしさを好ましく思う女性も多いだろう。そんなことを考えると、急に、振られたばかりの自分の身の上が哀れに思えてきた。
「―――――ラトス様は、俺がどういう名前で呼ばれてるか知ってますよね」
わざとぶしつけな口調で思い切って切り出すと、彼は意表を突かれたように目を瞬かせた。空とぼけるつもりかも知れないが、そんな器用な人でもないだろう。現に今も、顔に出てしまっている。
毎月機械的に送られてくる警察からのそっけない文書にも目を通し、アリアの名前を見つけ出したような人だ。セイアの情報を、知らないはずがない。
この程度で酔ったりはしないが、空腹とどん底の精神状態が災いして、珍しく悪酔いしそうな気配があった。だが、こんな時くらい、思い切り酔ってもいいのではないか。ラトスにとってはとんだとばっちりだろうが、そもそも今の自分を酒に誘う方が悪い。
「アリアに近づくな、とか言うつもりでしたか。悪魔のくせに身の程をわきまえろ、とか」
「いや、少し話せればと思っただけで、別に―――――ちょっと待ったおまえ、少し落ち着けよ。ビールじゃあるまいし、そんなにぐいぐい飲むもんじゃないって!」
おそらくアルコール度数四十度くらいのグラスをあっという間に空にしたセイアに、ラトスがにわかに慌てだした。基本的に人がいいのだろう。
「心配しないでください、こう見えてもかなり強いんで。二杯目いただいてもいいですか」
「あのなぁ……店に入る時にいったん遠慮したのはなんだったんだよ、まったく。……アリアの話が出たから一応聞いておくがな、おまえ、あいつのことどう思ってるんだ」
「好きですよ、見れば分かるでしょう」
半ばやけくそのようにそう答えると、ラトスは露骨に呆れたような顔でため息をついた。
「……こっちは即答かぁ……」
「なんです?」
「いや、こっちの話。あー……なんていうか、面倒くさいのに声かけちまったなぁ」
ぶつぶつ言いながら舐めるようにグラスに口を付けている。セイアは二杯目が来たので、さっそくそれに手を伸ばしながら、何気ない風を装いつつ、ラトスに話しかけた。
「でもまあ、ラトス様が心配するようなことは何もないですよ。たった今、振られたので」
ラトスはぎょっとしたように目を見開いてセイアを見た。
「振られた?」
「はい。俺にしては、頑張って告ったつもりだったんですけど……でもアリアが弱ってる時に、一方的に気持ちぶつけるような形になって。俺、駆け引きとか全然できないから」
二杯目を半分くらいまで飲んだあたりで、ラトスに「おい」と声を掛けられ、横からグラスを取り上げられた。代わりに、いつの間にか用意されていた、水の入ったグラスを手渡される。
「おまえ、俺の金でやけ酒飲もうとするんじゃないよ」
「えー……」
「いいから、少し水飲んどけ。あと、何か食えそうなものがあれば食っとけ。話ならいくらでも聞いてやるから」
セイアは小さく肩をすくめ、おとなしく水を飲んだ。普段より酒の回りが早いという自覚はある。そんなセイアを横目で見ながら、ラトスは複雑な表情で自分の酒を口に運んだ。
「……アリアの方も気があるように見えたがなぁ、俺には」
ぽつりと呟くのを聞きとがめるように、セイアがラトスの方へ顔を向けると、ラトスは少しだけ申し訳なさそうに眉を下げた。
「おまえのこと、人殺しだって言ったらさ。泣かれたよ。ラトス様はセイアのこと何も知らないくせに、ってさ」
「……え、」
「正直、俺だって『北国の悪魔』がこんなのほほんとしたぼんぼんだとは思わなかったよ。だってそうだろ、普通もっと擦れて根性曲がったろくでもないヤツだと思うだろ。生まれた時から悪魔とか言われて育ってるんだからさ」
それはそうかもしれない。セイアはもらった水のお陰で少し落ち着き、ぼんやりとカウンターに頬杖を突いた。『のほほんとしたぼんぼん』と言われたのはあまり面白くなかったが、自分に対する評価としてはあながち間違っていない。
「うーん……確かに、物心ついたころには『人殺し』とか言われてましたからね。言われ慣れ過ぎてて、もはやなんとも思わない自分が怖いですけど」
「さらっと嫌なこと言うな、おまえ」
「でもね、ラトス様。俺を育ててくれたのって、父方の叔母なんですよ」
積極的に説明している訳でもないので、自分と叔母の関係については誤解している人が多い。故郷の人間ですら、セイアの保護者は母方の叔母だと思っている人がいる。実際は、自分の兄を生まれたばかりの赤ん坊に惨殺された妹が、セイアをここまで育て上げたのだ。女手一つで、教師として働きながらセイアを養い、結婚もせず贅沢もせず、周囲から何を言われても耳を貸さず。泣き言も恨み言も言わない人だから、その胸の内は推し量ることしかできないけれど。
「前を向いて生きなさい、と叔母には言われました。あなたは何も悪くないんだから、って。
……実際には、そこまで割り切って考えられない時もあります。少なくとも、俺が生まれなければ、父と母は今でも生きていたんでしょう。それでも、他でもない実の兄を殺された叔母が、そう言ってくれたんです」
叔母は自分を愛情深く育ててくれた。辛いことがなかったとは、もちろん言わない。幼い頃は、石を投げられることも罵声を浴びせられることも日常茶飯事だった。未だに故郷のリズの町では、自分に対して冷たく当たる人は多い。『人殺し』『父親殺し』という陰口は、いくら耳を塞いでいても聞こえなくなることはない。……だが、セイアが成長し、周囲の人間に分け隔てなく穏やかに接するようになって、だんだんと皆もセイアに対等に向かい合うようになっていった。
「友人は多くないですけど、魔術師の親友がいます。小さい頃は学校が苦手でしたけど、そいつのお陰で、まともに学校にも通えました。まあそんな訳で、今はのほほんと生きてます」
「なるほどな。確かにおまえには、妙な安心感があるよ……悪かったな、辛いこと話させて」
ラトスはそう言って、上着の胸ポケットからタバコの箱を取り出した。一本咥えて、思いついたようにセイアにもその箱を向ける。
「吸うか?」「いただきます」
何の躊躇も遠慮もなくタバコを一本手に取ると、ラトスはやや渋い顔になった。
「吸うのか、おまえ。似合わんなぁ、そんな優等生の顔して」
「よく言われます。まあ、たまにもらって吸うくらいですけど。……こういってはなんですけど、アリアの方が俺より吸いますよ」
予想はしていたが、ラトスはそれを聞いて明らかにショックを受けた様子だった。
「マジか。なんだかなぁ……久しぶりに会ったっていうのに、男みたいなカッコしてるし、挙句にタバコも吸うとか、何考えてるんだよあいつは。俺のかわいいアリアは、もうどこにもいないのか……」
「何言ってるんですか。男装してもタバコ吸っても、アリアはかわいいに決まってるじゃないですか。まぁ……残念ながら、俺の、ではないですけど」
「よしよし、元気出せ。俺はなぁ、まだチャンスはあると思うぞ」
完全に会話が酔っ払いのそれになりつつある。とりあえずタバコは一本だけにして、『あまり一気に飲まないように』と念を押された上で酒のグラスも返してもらい、二人でゆっくりと飲みながら取り留めもなく話をした。セイアも経験があるが、年上と飲むと、何かいろいろと教訓と言うか小言めいたことを言われることが多い。だがラトスにはほとんどと言っていいほどそれがなく、適度に抜けていてバカなことばかり言っていて、ものすごく話しやすい。
「おまえ、能力的にはどんな感じなんだ?インパクトとか?」
「いや、俺はインパクトは使えなくて。治癒能力は時々使いますけど」
「治癒かー!いいな、ぜひ俺が階段から落ちた時に治してくれ。実は酔っぱらって月に一度くらい落ちるんだよな」
「えー……魔術師の、しかも青魔様が、それってどうなんですか」
簡単なつまみなども出してもらいながら杯を重ねて飲み進めていると、ドアベルの音が響いて新しい来客を告げた。それまでも客の出入りはあったはずだが、まったく気に留めていなかった。何となく顔をそちらに向け、客の姿を確認してみる。
「……うわ、」
思わず声が出た。セイアと同い年くらいの少年が、もう少し年上と思われる女性を連れて店に入ってくるところだった。




