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その11

 ぼんやりしているうちに『アルテミス』に着いてしまった。時間的にはまだ夕方と言えるくらいだが、日が短い時期なのでかなり暗い。あと十分もすると、真っ暗になってしまうだろう。


「こんばんはー」

 声を掛けて、店内に入った。一応、近くにホテルを取っているので今日はそちらに泊まる予定だ。だがその前に、できたらもう一度アリアの顔を見ておきたかった。


「あ、お帰りなさいセイア」

 一階にいたのは、シルヴィアだけだった。しばらくお店が休みなのでゆっくりできるのだろう、カウンターでお茶を飲みながら雑誌を開いている。柔らかな炎を揺らめかせる薪ストーブの暖かさに、外の寒さを実感した。


「アリアはまだ寝室ですか」

「うーん……そうなんだけど、あの子お昼も食べてないのよね。昨日からちょっと様子が変だったけど、今朝あの、ラトスって人に会ってから、またちょっとおかしいっていうか。何かあったのって聞いても、別になにもない、の一点張りで」


 この人も心労が絶えないなぁ、と思いつつ、意味もなく二階の方を見上げた。

「俺、ちょっと様子を見に行ってもいいですか?」

 心配が半分、顔が見たいのが半分で、特に下心みたいなものはないのだが、シルヴィアはそれを聞いて、わずかに口を歪めて首を振った。


「今朝、セイアに起こしに行ってもらったでしょ。怒られちゃったのよ私、寝室に男入れるな、非常識だろって」

「え……」

「いや、セイアのせいじゃないわよ?私がお願いしたんだから。でもそんな訳だから、ね」

 普通なら、諦めてそのままホテルに向かっただろう。三日間の滞在予定だし、まだ時間はある。だが、どうにも諦めきれない気持ちになってきていた。


「寝室に入らなければいいんじゃないですか?入り口で声を掛けるとかして……もしそれでも出てきてくれなかったら、その時は帰りますから」

 そう食い下がると、シルヴィアは少し思案するように首を傾げた後、

「そうねぇ、セイアがそこまで言うなら」


 頷いて、「どうぞ」と階段の方を手で示した。許可が下りたのでそちらへ向かったが、階段の暗さと空気の冷たさに、早くも心が揺らいだ。

(なんだか気配がしないんだけど。もしかして、ワープで出かけてる?)


 だが、階段を上りきるとすぐに、それが杞憂であることが分かった。『アルテミス』は、店舗である一階が二階よりも広い構造になっているため、二階の廊下から窓を開け、一階の屋根に降りることができる場所がある。その屋根の上に、アリアの姿が見えた。


(え……何してるんだよ、あんなところで)

 一瞬戸惑ったが、寝室ではなく屋外なら、むしろ声を掛けるのには何の問題もないだろう。ガタリと窓を開けて屋根の上に降り立つと、アリアは驚いたように振り向いた。


「セイア……」

「何してんの、こんなとこで。寒くない?」


 アリアは外套も身に着けず、寒空の中、膝を抱えて座り込んでいた。屋根を歩いて彼女の方へ近づくと、その手にタバコの箱が握られているのがチラリと見えた。


「あ、タバコ吸ってた?」

「いや……吸おうと思って出てきたんだけど。寝室で吸うとシルヴァが嫌がるからさ。でも……ちょっと考え事してて、吸うの忘れてた」

 泣いてはいないのでホッとしたが、どう見てもぼんやりとして元気のない様子だった。辺りは夕方の薄暗い空気に包まれ、はっきりと表情が読めない。


「考え事って、何か悩み事?」

「別に、大したことじゃないよ」


 会話が続かない。再会してからずっと、まともに目も合わないし、合ってもすぐに反らされてしまう。笑顔を見せても、どこかぎこちない。

 セイアはアリアの隣に座ろうとしたが、思い直してアリアの目の前に腰を下ろした。ここなら、目を反らそうとしても難しいだろう。


「あのさ、アリア。やっぱり何かあっただろ。なんで話してくれないの。俺、そんなに頼りない?」


 意識して、少し強い声を出した。『会いたい』と言ってくれたアリアに、何かできることがあるなら応えたかった。

 アリアは驚いたようにセイアを見つめた。この距離だと結構近い。瞳の中に、何かが大きく揺らぐのが見えた気がした。だが次の瞬間には、彼女はふいと下を向いてしまった。


「俺だって、話したくないことくらいあるよ。おまえだって、俺に隠し事してるじゃん」

「え、……」


 思わず、息を止めた。すっと指先が冷たくなり、そのあと一気に鼓動が早くなるのを感じた。なぜか、辺りがひどく静かに思える。すぐそばにあるはずの町の喧騒も、一時的に遠退いた。

 彼女は、抱え込んだ膝にゆっくりと顔をうずめて、静かな声で言葉を続けた。


「セイアだって、俺に話してくれないじゃん。怖がるとでも思った?……でも俺は、怖くないよ。おまえが化け物でも、悪魔でも、怖くない。……おまえは、優しいから」

「アリア」

 遮るように名前を呼んだ。それ以上、かける言葉が見つからず、


「……知ってたのか」


 仕方なく、分かり切ったことを呟いた。

 屋根の上を過ぎる風が冷たい。目の前のアリアの銀髪が風に乱れ、その細い肩はわずかに震えているように見えた。


「ごめん、アリア。なかなか言い出せなくて。でも、言い訳みたいだけど、ちゃんと自分で伝えるつもりだったんだよ」

「分かってる。別に、責めてるわけじゃない」

 彼女に似つかわしくないほど、細くて弱い声だった。その細い声の響きが、なんだかとても切なく聞こえた。


「あのさ、アリア。……好き、だよ」


 気付けば、絶対に『今じゃない』という言葉を口に出していた。アリアは顔を上げ、無言のままセイアを見つめた。その大きな瞳に、思わずセイアの方が目を反らしそうになったが、なんとか堪えた。

 一度言葉に出してしまった以上、なかったことにはできない。鼓動はさっきからずっと早いままだったが、思ったよりは落ち着いている自分がいた。アリアの方から『北国の悪魔』の話題を出してくれたことで、むしろ踏ん切りがついただろうか。


「北国に帰ってからもずっと、アリアのこと考えてた。俺は……知ってるとおり『北国の悪魔』って呼ばれてるし、誰かのことを好きになる資格はないって思ったりもしたけど、それでも諦められない。……俺と、付き合って欲しい」


 しっかりと目を見つめながら、思いを伝えた。アリアは、しばらくそのままの姿勢でじっとしていたが、やがて軽く唇をかんで視線を外した。それを見て、『あ、ダメか』と、どこか他人事のように悟っている自分がいた。


「ありがと。セイアの気持ちは、すごく嬉しい。……でも、ごめん」

 無理やりのように言葉を絞り出そうとする姿が苦しそうで、もういいよ、と言いたくなった。アリアは息を吸い込んで呼吸を整え、左手首を自分の右手できつく握りながら、先を続けた。


「セイアが『北国の悪魔』だってことは関係なくて、単純に、俺の問題で。まだ、ちゃんと……ライアのことも、気持ちの整理がついてないし……」

 そこまで言って、大きく息を吐き、耐えきれないようにまた顔を伏せてしまった。


「それに……いくらセイアが俺のこと、好きっていってくれてもさ。俺は今、自分のこと、あんまり好きじゃなくて。こんな気持ちで付き合うのは不誠実だし、無理だと思う。……さんざん思わせぶりな態度取っておいて、ほんとにごめん」

「……………分かった。大丈夫だよ、謝らなくても。伝えられて、よかった」

 答える自分の声が、遠く聞こえた。ぼんやりしたまま、立ち上がった。


 自分でも、あっさりしてるよな、と思った。本当はもう少し、ゴネて粘りたかった。嫌いじゃないなら、可能性があるなら、もう一度考え直して欲しい。それでも、そう口に出さなかったのは、アリアがすごく辛そうだったからだ。自分がこんな風にさせているなら、早めに楽にしてあげたい。


「アリア、でもさ……早く家に入った方がいいよ。ここ寒いし、風邪ひくよ」

「……もう少ししたら、入る。ごめん、少し……一人に、させて」


 はっきりとした拒絶の言葉に、身を引いた。これ以上ここにいる意味もない。言うべきことは言ってしまったし、望んだものではないけれど、答えももらった。

「そっか。じゃあ俺は、もう行くから」

 窓のところまで戻り、振り返った。屋根の上でうずくまるように座るアリアの姿が、あまりにも寒そうで、いたたまれない心持ちになった。

(風邪ひくって、言ってんのに)


 思いついて、そのまま寝室に入った。室内はすでに真っ暗だったが、なんとか目を凝らしてアリアがいつも着ている黒い外套を探し当てる。それを手に取り、急いで再び屋根の上に戻った。

 外套を肩にかけると、アリアは驚いたように顔を上げて振り向いた。


「……ありがと」

「うん。今度こそ、本当にもう行く。アリアも、早めに部屋に戻りなよ」

 何とか笑顔を作って、少しだけ髪を撫でた。触れるのはもう、これが最後かも知れない、と思いながら。

(なんで、振られた俺より傷ついた顔してるんだよ)


 その後、シルヴィアに何を言って『アルテミス』を後にしたのか、全く覚えていない。


     * * *



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