p.??-09 素敵に歌えるようになるかしら
ファッセロッタの街があるこの地域一帯は、かの星降りの夜、もっとも甚大な被害を受けた。
魔女の対となる者として存在していた聖人らが、みな滅んだ夜。
多くの魔女の手によってその損失は埋められ、また新たな歴史の歩みを後押しされた。そのうちのひとつが、ファッセロッタだ。森の魔女が住むようになったのはここ十数年のことだが、その当時、崩れた森を修復するためにしばらく滞在したこともあった。
その復興の象徴ともいえる朝市は、世界屈指の知名度を誇る。
だからこそ、森の魔女が今まで一度も訪れたことはないと話したときに見た、夜の魔術師の絶句の表情が、効いた。
(……わたくしも、気になってはいたのよ)
けれども、今までろくに知り合いを作ってこなかったことが災いし、一歩を踏み出す勇気が持てなかったのだ。
さかんに駆け引きの交わされる朝市での買い物。
それ森の魔女にとって、上級者向けという印象だった。
「はいはいはいはい北はウィリガ、被托卵蟹が入っとるよ。なんとなんと火夜鳥の卵持ち! 生でも焼きでも――って卵が燃えてりゃもう焼かれてるってなあ!」
「朝採れの霧はこちらー! はい、はい。たくさん用意してますからちゃんと並んてくださいね。え? ケンウェッタの湖霧? 今日は入荷してますよ、たしか缶詰で五つほど……――あーちょっと! 慌てない騒がない。そういうのはよそでやってくださいってば。闘技場じゃないんですから」
祝祭の厳かな装飾もかすむような喧騒が、道いっぱいにあふれていた。まだ陽も昇りきっていない薄明の時間。底冷えする足もとが気にならないほどに、人いきれがしている。
息を吸った鼻はツンとせず、さまざまに混ぜられた不思議な香りにくすぐられた。
「寒椿の赤酢はいかがかえ? 飲めば飲むほど頭が回りゃ舌も回る! 弁も立ちや立ちや。難解な魔術音階もなんのその。ほうれそこのあんちゃん、ちびっとこいつを飲んでみな」
「え、僕ですか? ……うわ、酸っぱ……――あれ。なんか舌の奥が熱くなってきました」
試飲した青年は、困惑した表情で喉もとをさする。それから、んっと咳ばらいをひとつ。
次に唇から紡がれたのは、流麗な魔術の言語だった。
魔女にはうまく聞き取れないが、歌にも似たその言葉はたしかに舌の絡まりそうな発音で、小刻みに歯擦音が震え、また喉の奥を鳴らすような低音が常に響く。
ぽんっ、ぱあんっと、火が咲いた。青年の詠唱に導かれ、波が熾る。
花火の魔術だ。
昔どこかの国の行事で、聖歌隊が披露しているのを見たことがある。それをすらすら一人で唱えてみせる青年に、魔女は感嘆の息をこぼした。
(寒椿の赤酢……わたくしも、素敵に歌えるようになるかしら)
さっそく魔女は、にこにこ笑顔の店主から寒椿の瓶を一本購入する。観劇も嗜むという魔術師に披露したら、驚いてくれるだろうか。




