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時の栞と幾重のページ  作者: ナナシマイ


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25/25

p.??-25 きっと素敵な一年になるのでしょう

「わたくしが開けてしまってよろしいのですか?」

「ああ。瓶の気位が高いから、魔女が開けると喜ぶ」

 それなら遠慮なく、と葡萄酒の瓶口からコルク栓を抜こうとしたところで、魔女は瓶にちょっかいをかけられた。魔術師はだろうなと笑いながらコテージに敷いた魔術を展開する。

 気づけばふたりは、まだ雲の残る、しかし見事な星空の下にいた。

 ひとつひとつの光は小さい。が、幾千と集まればささやかに祝祭の会場を照らす。魔女の用意した樹氷の小物たちがそれを受けてほんわりと灯る。

 蠟燭や暖炉の火も合わさった食卓の光と影とが、天に昇り映される。

 それはたしかに天井であり、同時に空なのであった。

 実は最初にコテージを見たとき、魔女は自分が用意した装飾がちゃんと機能するか心配だったのだが、彼はこの贈り物を秘密にする代わりに、準備を無駄にしない仕掛けを考えてくれていたらしい。


       *


 時はゆるりと祝いの気配を運ぶ。

 ふたりはその雰囲気に誘われるようにエプロンを外し、席についた。テーブルいっぱいに広げたご馳走からは、やわらかな幸せが立ちのぼる。

 星の輝きを頂いた祝祭聖樹は清純に透き通り、飾られたノイバラたちが涼やかに祝いの歌を紡いでいる。

 軽くグラスを合わせ、祝祭の夜は始まった。

「身体魚を食べたか? 珍しい食感だろ」

「はい、とても美味しいですし、噛んでいるうちにドレッシングの要素を吸収していくのが面白いですね」

「お前の用意した水晶クヌギの酒は当たりだな。木の実シリーズははずれも多いはずだが、さすがに頂点の魔女には引かせないか……」

「今さらですけれど、こんなにお肉料理が多くてよかったのでしょうか。魔術師さんはいろいろな食材を組み合わせるのがお好みではありませんでした?」

「共同作業のしやすいメニューで選んだからな」

「ふふ。せっかくキッチンがあるのです、今度はお魚料理にも挑戦してみましょうか」

 ともに準備をした時間の答え合わせのような話題から、互いの真意を探る曖昧な話題まで。

 泡沫のごとく、言葉が交わされる。


 空を透かした天井が、刻々と星明かりの角度を変えていく。

 ふたりは、彩り豊かな照りが宝石を詰め合わせたような、果物いっぱいのタルトにもナイフを入れた。

 珍しい紅茶とともに優雅な食後のデザートを楽しむつもりが、鳥たちが夫婦で分けあうはずの果物を手に入れた経緯について説明させられる場面もあったが、おおよそ穏やかな晩餐の時間を過ごせたといえるだろう。

「お前は簡単に他人を懐に入れるからな」

「あら。そんなことはありませんよ」

 害のない相手ならば、わざわざ敵対する必要もないというだけだ。しかし魔術師は、どこか不満げに首を振る。

「どうせ前に贈った栞も、毎日の出来事を挟んでいるだろ」

「……なぜか気づかれています」

 魔術師はひっそりと口の端だけで笑んだ。

 最初の祝祭での贈り物は、思い出にしたい時間に栞を挟むことのできる画期的な魔術具だった。

 魔女はそれを常に持ち歩き、遠い未来へ残したい時間をすべて記録している。

「でも、そうですね。魔術師さんとは毎日メッセージをやり取りしているのですから、当然わかりますよね」

「は……?」

 魔術師は一瞬、呆気にとられたような表情をした。それから、「とにかく」と緩んだ空気を断つように目を閉じる。

 次に開かれたときにはもう、磨いた黒檀のような瞳は祝祭の灯りを受け夜めいており、魔女は、そんな魔術師から今年の贈り物を受け取ったのである。


 包みを開けると、そこには重厚なつくりの本――の表紙があった。

 黒みの強い革張りで、表側には一番星を思わせる一粒のダイヤモンドと、それを眺めるように枝を伸ばす針葉樹の箔押しがされている。

 とっておきの物語を期待させる表紙だが、肝心の中身はない。

「このとてつもなく素敵な装丁にあわせて、好きな物語を入れたらよいのでしょうか」

「それでもいいが――」

 栞はあるか、と手を出され、カーディガンのポケットから取り出す。魔術師はなんだか呆れた顔をしつつ、栞から最初の祝祭にまつわる時間を取り出して表紙にかざした。

「なんということでしょう……!」

 魔女は座ったままはしゃいだ。

 ただ時の記憶として存在していた思い出が、本のページに記されていくのだ。

 使いかたを見せ終わった魔術師が「ちなみに、この魔術を動かせるのは夜だけだ」と言いながら、写したばかりの物語をもとの白紙へ戻そうとするので、そのままにしてもらう。まだ中身の少ない本を、魔女はきゅっと抱いた。

「わたくしと魔術師さんだけの、とっておきの物語を作れるのですね」

 そこで息をつめた人間に微笑み、次は自分の番だと、包みを二つ取り出す。


「こちらは来年用のメッセージカードです」

「さすがの濃度だな」

「星の乱れにも負けないようにしましたからね。ほら、贈り物も見てみてください」

「オルゴールか。この要素は――……は? ダイヤモンドダストだと……?」

 肯定を返せば、魔術師は少し警戒したようすで。

 ねじを回し、蓋を開き、流れた音色を聞いた瞬間、慌ててその蓋は閉じられた。

 手のなかのオルゴールとそれを用意した魔女とのあいだを行き来する瞳に浮かぶのは、驚愕。

「ダイヤモンドダストのオルゴールのことを、ご存じなのですね」

「……魔法を間違えたわけではなさそうだな」

 魔女は、火力の落ちた暖炉を視線だけで起こしながら、静かな笑みを浮かべた。

 それは、寂寥のともなう自嘲のような。

「わたくしは、あなたの望まないことをしてしまうかもしれません。反対に、あなたの望むことに思い至らないかもしれません――……ですから、魔術師さんは、これを使いたいときに使えばよいのです!」

 心を操るダイヤモンドダストの音色は、森の魔女を動かす旋律を辿るようになっている。

(こ、心を……なんて、恥ずかしくて言えないもの)

 おもむろに立ち上がった魔術師は、向かいに座る魔女の頬へ手を伸ばした。

 しかしその手は触れる寸前でとどまり、ぐっと拳が握られる。

「お前な……ったく」

 たとえ心を渡そうとも、その先へはいかれない。

 それが、魔女と人間の距離だ。

 今日集まってから初めて生まれた沈黙に、祝祭聖樹に飾ったノイバラの声だけが寂と響く。

 どのくらいそうしていただろうか。

「このオルゴールを――」魔術師には珍しく、一言一言を刻むような口調だった。「俺は、一生鳴らさないだろうよ。だが、俺以外の誰にも、ここへは触れさせない」

 そのネジに、蓋に。

 記すような魔術師の指先は、たしかに魔女の心を示していた。


 そうして、勝負のゆくえを決めるときはやってきた。

(どうしましょう……)

 ここまで負け続きの魔女だったが、今年は自信があったのだ。使わないとは言われてしまったが、贈り物を見た魔術師の反応も悪くなかったように思う。

 けれども。

 自分が魔術師を負かしたとき、彼が再びの勝負を挑んでくれるのか、わからない。

(こうして悩んでいるのだから、負けてしまうほうがいいのかしら。でも、それでは勝負とは言えない気もするわ)

 逡巡する魔女を見て、魔術師は不敵な笑みを浮かべる。

「一年だ」

「え?」

「たった一年。魔女にとっては一瞬だろ」

 向けられた言葉の真意を測りかねていると、口もとにタルトの残りが運ばれてくる。

 魔女は無意識にそれを受け入れた。

「……来年は、お前を完全に負かす準備をしている」

 甘くて、甘くて。

 夜の魔術師のささやきは、それでもなぜか、祈るようだった。

「それまで、愉快な人間の物語でも眺めていればいい。勝ちに浸るのも今のうちだな」

 なにかを約束するような宣言を、さりげなく告げられた勝敗を、魔女は、デザートといっしょに飲み込んだ。

「勝ちの味に浸ってしまったら、わたくし、手放せなくなるかもしれませんよ?」

 魔女の笑みに返された表情も。は、と淡くこぼされた声も。


 そうだ、またページを重ねていこうと、思う。

 引かれた線など気にならないくらいに、たくさんの時波(うんめい)を。

「あっというまになんて、させません。きっと素敵な一年になるのでしょうから」

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