p.??-20 お父さんになっていたとは知りませんでした
「お届け物です」
ファッセロッタの住宅街、とある家の玄関前。
森の魔女はおっかなびっくり真鍮製のドアノッカーを叩き、ややして少しだけ開いたドアから頭を覗かせた魔術人形に目を丸くさせた。
ここまで案内してくれた木嵐ヤマネコが「じゃッおいらはこれで」と魔術的にこじ開けた門からあっというまに走り去っていくのを見送ってから、ふたたびドアの隙間に目を向ける。
「こんにちは。魔術人形さん」
「ご主人サマ、いない。誰も入れちゃ、だメ」
「まあ。しっかりお約束を守っているのですね。偉い子です」
以前の祝祭では夜の魔術師の手伝いで給仕をしてくれていた、見覚えのある人形だ。その頭を撫でてやると、魔術人形は喜ぶでもなく、無感情な瞳で魔女の頭をじいっと見あげた。
「あなたも撫でてくれるのですか?」
「ちがウ。髪、きれい」
「ふふ、ありがとうございます。魔術師さんはいらっしゃらないようなので、お届け物はポストに入れておきますね」
「ん、わかっタ!」
魔女が踵を返そうとしたところで、玄関の奥から、「おい」と夜のにじむような声が聞こえてくる。
「魔術師さん! おかえりなさい」
破顔した魔女を見て、魔術師は眉間に力を入れた。
「……なにをしにきた」
「明日は冬至でしょう。仮面を作ったのですけれど、街に用事があったついでに来てしまいました」
目のいい森の仲間に配達を頼むつもりが、気を利かせてくれたひとりが「直接会いなよ」と連れてきてくれたのだ。少しでも会えたらと思ったのは事実だが、とはいえ忙しいとわかっている彼を引き留めてまで長居するつもりはない。
もうこの場で渡してしまおうと包みを開けた魔女を、しかし魔術師はため息をつきつつ制止する。
「入れ」
玄関ドアが閉まると、ふ、と魔術師の香りが家全体に漂っていることに気づく。
本当に彼の家に来てしまったのだという実感に緊張がともなった瞬間、聞こえてきたのは舌打ち。
(さすがに迷惑だったかしら)
急な訪問だったのだ。やはり早く帰ろうと、なぜか立ち止まっている魔術師の顔を覗き込もうとして、魔女は、彼の視線の先にあるものに気づいた。
「……わ」
それを見た女性の反応としてはいささか淡白が過ぎるが、森の魔女は、たったそれだけを零した。
「お父さんになっていたとは知りませんでした」
「んなわけあるか」
魔女の来訪に気づき、魔術師が急いで渡ってきたであろう夜の道。閉じかけたその縁に引っかかっているのは、赤子――だったなにか。
縮こまったそれは生まれたばかりのようで、しかし魂だけの状態で。
無垢さは失われ、注ぎ込まれた悪意にひどく濁っている。
「はい。お仕事中……なのでしたね」
どのような仕事か。
その問いかけの意は、極力なくしたつもりだった。
しかし、わずかに掠めた興味の気持ちが魔術師にも伝わったのだろう。身体ごとこちらを振り返った夜の魔術師は、その瞳は、昏く光っていた。
「それを――」ゆっくりと近づいてきた魔術師は、とん、とドアに片肘をついた。「お前に言うとでも?」
威圧するでも、完全に閉じ込めるでもなく。
ただ見下ろされるかたちになった魔女は、しかしそこから動くことができずにいた。
「っ、いえ……」
なかなか色めいた体勢であるが、意外にも魔女はこのとき、冷静さを失ってはいなかった。
片側が空いているので抜け出せる。
そのうえ背後はドア。外へ逃げることも可能だ。
(でも……)
魔女を覆うように立つ魔術師は、ドアにそれなりに体重をかけているように見える。となれば、魔女が外開きのドアを開いた瞬間に起こる惨事など、わかりきっているではないか。
どうしたものかと考える魔女。しかし、張り詰めていた空気はすぐに緩んだ。
「……おい、この髪はどうした」
「え?」
思考から戻ってくると、なぜか魔術師に顔周りの髪を梳かれているではないか。
邪魔になったならピンで留めろと、指先でくるりと魔女の髪をねじる魔術師。それから、どこからか取り出した髪留めで固定する。されるがままになっていた魔女は、少し雑に切りすぎたかと反省せざるを得なかった。
「この前、お買い物をしたので……」
「対価に魔女の髪か。羨ましいことだな」
今度は長い部分をひと房掬いあげながらこちらに視線を向ける彼は、もう、いつもの甘さを孕んだ鋭さを見せていて。
人間が髪の毛を食べるわけではないとわかっているからこそ、逃げたいような、逃げたくないような、ばたばたと慌ただしい心地になる。




