p.??-15 もちろん満月の夜は戦いです
『昨晩は久々の夜更かしさんで、今朝はわたくし、少しぼんやりしてしまいました。魔術師さんは夜がお得意でしょうから、きっといつもと変わらないのでしょうけれど。
もちろん満月の夜は戦いですのでわたくしももう元気いっぱいですよ。今年はカード作りにも必要ですし、頑張って月光を集めたいと思います!』
夜の魔術師も、満月の今晩は忙しくしているだろう。
とくに返事はいらないという旨を添えてメッセージを送り、魔女は手早く身支度を整えた。
「今夜は、本当に戦いだわ」
荷物満載の箒に跨り、魔女は森を眼下に宵の空をゆく。
まず向かったのは飛沫の古物商だ。
時の本流から外れた飛沫に捕らわれている古物を扱い、世界にひとつどころか、世界に存在しないはずの掘り出し物すらも揃う。
魔女が贔屓にしている森支店は満月の夜にしか営業しないので、祝祭の準備で月の要素をたくさん使いたい今夜の魔女は大忙しなのであった。
古樹の枝にある洞をひとつずつ覗き、ようやく見つけた月光の差し込む店。
腕を組んでじっと座る精霊の店主に向かい、魔女は指を折っていく。
「原初の星降りを経験していて、けれども月光を好んでいて……それから、火にも氷にも負けない、脚付きの酒杯は置いていますか? 森の加工にも易しいと嬉しいのですけれど……」
「……条件が多すぎるのではなかろうか。だが、あるぞ」
「さすがです!」
魔女は自分の髪を二房と、樹液や、森の風の結晶、魔法の層を超えて伸びた木の根などを古物商に渡した。代わりに受け取るのは鈍く光る古風な杯。
装飾は控えめで素朴な印象だが、時の波を長く漂った物特有の気配がしている。
笑顔で魔女が頷くと、気難しい店主も口もとを緩めた。
「また、入り用があればおいでなさい」
続いて向かうのはファッセロッタ近郊にある山の湖。
遮光布で包んでおいた黒石を沈め、満月の光をとぷりと吸わせる。いつもならその美しさを一瞬でも楽しむところだが、今日はその余裕すらない。
満月が昇ってから沈むまで、ここには負けられない戦いがあるのだ。
(明日はたっぷり朝寝坊しようっと)
そんなことを考えながら、初雪のときよりも速く、箒を飛ばす。
集めるのは月の光ばかりではない。
狼の遠吠え。月光でのみ揮発する琥珀の香。明暗比の大きい木々の月影もたくさん掬っておくべきだろう。
掬うといえば、森の魔女が採用している月光の採取方法は少々手荒だ。
視線そのものが月光である竜のうち、木漏れ月光の竜は森の系譜でもあるために森の魔女に逆らいがたい。
幼い月光の竜を木に縛りつけた魔女。
その手にはきらりと先端の光る注射針。
「少しちくっとしますよ」
「いやぁっ! はなちてっ!」
「まったくもう、初めての満月なのですから、風邪予防をちゃんとしないといけません!」
視線を強く保つことによる目の乾燥から始まる風邪なので、本当は目薬でも予防効果はあるのだ。しかしそこは魔女。権力を最大限に利用して、彼らを存分に泣かせるのである。
購入したばかりの杯いっぱいに月光の涙を溜め、魔女はほくほく顔で帰途につく。
――家に着いてから黒石のことを思い出し、慌てて回収したのはここだけの秘密だ。




