p.??-13 お洒落に目覚めます
追憶の丘には、今年も瀟洒な敷物が用意された。
手入れをしっかりしているのか、宵から夜半へと流れるような織りは少しのへたりも見せない。夜の魔術師の持ち物であるそこへうきうきと腰を下ろしながら、森の魔女は問いかける。
「そういえば、魔術師さんは去年も一昨年も、祝祭聖樹を飾っていませんでしたよね。そういう主義なのですか?」
「家にはある」
「そうなのですね! では、いちばん上にはなにを飾るのでしょう?」
「最後の――明星の聖人以外に選択肢ないだろ……ああ、お前の知り合いだったか」
重ねたクッションの上にごろんと寝そべり、魔術師は若干遠い目をする。
しかしそんな彼の顔を見おろした魔女はぼんやりと呟いた。
「素敵……」
「……は?」
「……っえ、と。明星の聖人さんのお話でしたね」
今夜は星降りだ。
祝祭直前のそれは歴史上、とくに深い意味を持つ。
そんな特別な星の輝きに備えて、魔術師は眼鏡を掛けることにしているらしく、磨いた黒檀のような瞳の鋭さや表情全体の怜悧な印象が、ぐっと強まる。
魔女はそれを密かに気に入っていた。
夜空の下で光を反射する銀のフレームは、星の軌道を曲げたようで。本当にこの人間は、星が好きなのだなと思う。
「知り合いというほどの関わりはありませんでしたけれど、一度だけ、こんなふうにいっしょに星を眺めたことがあるのです」
「ほう」
「あの頃はまだ、星は、降るものではなかったのですよ」
「……星たちの抗議の名残り、だったか」
魔女はそっと頷いた。
人間たちのあいだであの長い夜は過去のものとなり、それどころか伝説のような扱いを受けていることは知っている。それでもこうして隣にある者が歴史を紐解くような表情をしてみせるのは、不思議な心地がした。
「おい」
「はっ……あまりに魔術師さんの眼鏡が素敵すぎて永遠に眺めてしまいそうでした」
なんどめかの放心に魔女が慌てて言い訳をすると、魔術師は、仰向けのままゆったりと足を組んだ。
「――ほう、星より男を見る気になったか?」
「え……?」
一瞬、なにを言われたのか理解できず、遅れてじわりと頬が熱を持つ。
月明かりもある今夜は、逆光でこちらの顔色など見えないはず。そう思うのに、魔術師は愉しそうに口の端を緩めたのだった。
伸ばされた手。近くへ寄れと、ふらり揺らされる。
魔女はおずおずと顔を近づけていく。きっと眼鏡を貸してくれるのだろう。去年もそうだった。
褒めたのは魔術師込みでの話なのだが、彼の勘違いを正すのも恥ずかしいような気がして、どうぞお掛けくださいと目をつむる。
なぜか盛大にため息がこぼされ、しかし両のこめかみには冷たい金属の感触。最後にそっと頬をかすめて指が離れていくのを確認してから、魔女は瞼を持ち上げた。
「あら……?」
視界に映る魔術師は、眼鏡を掛けたまま。
(なら、これは……?)
「欲しかったんだろ」
「まあ。わたくしにくださるのですか?」
魔女が驚きに目を大きく開けば、魔術師は視線だけで肯定を返してきた。
ふいに、不安になる。
「……もしや、今年の勝負は早い者勝ちなのでしょうか」
「そのルールでいくなら勝負は決まりだな」
「な……いけません!」
あわてて発言を取り消すと、喉の奥で、く、と笑う気配。
なんだか腰のあたりがむず痒い。魔女は照れ隠しに眼鏡を外し、じっくり観察することにした。
木の幹の色だろうか。暗がりではあるが、フレームがほんのり色づいているのがわかった。魔術師のものより艶が控えめで、また女性ものらしく、全体にやわらかな曲線の装飾があしらわれている。
「鏡を見なくても、似合うとわかります」
「当然だろ」
優美な意匠は、夜の魔術師からの贈り物に共通するもの。
この洒落た男はこうして、収集の楽しみというなんとも抗いがたい攻撃をしかけてくるのだ。
しかし今回ばかりは、折れるのもやぶさかではない。ふたたび眼鏡を掛けて、魔女はふわりと微笑んだ。
「……嬉しいです。わたくし、お洒落に目覚めますね」
「ったく。夜の国の店ならいくつか紹介してやる」
「まあ! いいのですか? 魔術師さんおすすめのお店なら、素敵な品がたくさん揃っているに違いありません!」
勝負は、これからなのだ。




