欲深い悪役令嬢が処刑された後
処刑場面があります。
ご注意をお願いいたします。
春爛漫の華やぎの。
満開の花々の間を風が吹き抜ける。
そよりと花弁がひとひら。
たゆたう花弁がふたひら。
光を溶かし込んだ風に散らされた花弁の香りを追うように、ゆっくりと二人の人間が歩いていた。
一人は王太子の元婚約者であり、今は身分を剥奪された元侯爵令嬢のレイリヤ・カレドニアス。
一人は、盗賊のキアン・ロイク。
二人は今日、処刑される罪人であった。
二人を処刑する執行人は、ラミ・マーニャ。
ラミは小柄な少年で、まだ16歳だった。それでも昨年に父親を亡くして以来、王国で祖父の代から死刑執行人をつとめるマーニャ家の後継として幾度もの処刑をおこなっていた。
「呪ってやる! 呪ってやる! どうして私が処刑されるの!? 殿下を誘惑したあの女が悪いのよ、だから懲らしめてやっただけなのに! 下位貴族の娘を階段から突き落としたくらいで、どうして私がギロチンに!! あの女はピンピンしているじゃないっ!!!」
髪を振り乱して叫ぶレイリヤ。
下位といっても爵位が侯爵家よりも下である伯爵家であり、しかも二代前に王女が降嫁した権勢のある伯爵家の令嬢を害したのだ。また、過去にも下級貴族に対して稚拙な嫌がらせ的な行為を多々重ねており、侯爵家の威勢を削ぎたい王家の意向もあってレイリヤの処刑が決定していた。要するに侯爵家は水面下での権力闘争に敗残し、その犠牲にレイリヤはなったのである。
このことは劇となり、王太子と伯爵令嬢の真実の恋と加害者であるレイリヤは悪役令嬢と呼ばれて有名となったのだった。侯爵家から切り捨てられたレイリヤは罪と罰の天秤の釣り合いは問題外として、婚約者である王太子の浮気を覆って美しく飾りたてるために利用されたのであった。
キアンは隠した財宝の有場所を白状させるための拷問を受けて、足は両方あるが片手は無く顔面も半分焼かれていた。それでも沈黙したままのキアンに役人たちも諦め処刑となったので、わめくレイリヤとは反対にキアンは無言で口を引き結んでいた。
処刑場には、高貴な身分だった若い令嬢と強盗団を率いて数多くの商人や貴族を襲った盗賊の頭を見ようと群衆が押し寄せていた。嘲笑、興奮。民衆にとっては娯楽に等しい。即席の貴族観覧席も設置されて、王太子と恋人の伯爵令嬢が騎士たちに囲まれて一段高い席に座っている。愉悦に浸るように。王太子と伯爵令嬢は、侍る取り巻きたちと楽しげに談笑をしていた。
「呪ってやる! 私は悪くないわっ!!」
黒髪の騎士に引きずられてレイリヤが処刑台をのぼる。
ラミがニヤリと口角をあげた。
「呪い? 呪いなどインチキだ。無力な者が唱える嘘のまやかしだよ。実際のところは分からない怪しいものだ」
「いいえ! 呪いはあるわ! 私は必ず呪って殿下とあの女を苦しめてやるのよ!!」
レイリヤがラミを睨む。全てを失い誰からも顧みられなくなったレイリヤには、あやふやな呪いしかもう縋れるものがないのだ。
「そう? でもやっぱり信じられないな」
人魚が歌うような声だった。少年期の限られた者だけが所有する声域の濁りなく澄みきった無垢な声は魅惑的であるが故に、レイリヤを絡めとり怒りを激発させた。
「呪いは存在するわ! 私が証明してみせる、そして茨のような心痛で苦しめてやるのよ!!」
レイリヤの目が釣り上がり燃えるみたいに爛々と輝く。
「ううーん、だったらその証明とやらを今してみてよ? たとえばギロチンで首が落ちても哄笑するとか、そうすれば皆あなたの呪いを信用すると思うよ」
嘲るような口調のラミにレイリヤがさらに激昂する。
処刑場の人々はラミとレイリヤの会話に耳を傾けていた。ゴクリ、と息を呑み事態の成り行きを見守って声を発しない。
「ええ! 見てなさい! 首が落ちても笑ってやるわっ!!」
レイリヤは、王太子を真っ正面からギリリッと殺気を孕んだ視線で串刺しにして言葉の刃を放った。
「地獄に堕ちろっ!!」
王太子は眉間に皺を寄せ、厭わしそうに命令を下す。
「おしゃべりが多すぎる、さっさと処刑しろ」
「神様、どうか我らにご慈悲を」
ラミが胸に手をあてた。胸の奥の痛みをのみこむ。
レイリヤの細い首が木枠に押し込まれた。手足が固定される。
フーッフーッと息が荒く、眼光が赫灼として鋭く光った。
「笑うわ……! 私は笑う、笑う、笑う、笑う、笑う、笑う、笑う、笑う、笑う、笑う、笑う、笑う、笑う、笑う、笑う、笑う、笑う、笑う、笑う、わ」
空気が切り裂かれる。
ザシュ。
白い首の、やわらかな残酷さ。
ゴトン。
レイリヤの頭部が落ちた。
目がカッと見開き。
ゆるりゆるりと血の滴る真紅の唇が花開く。
「……ひ、ゅ……」
開いた口からは笑い声にならなかった息が漏れる。
それでも。
人々に与えた衝撃は絶大であった。
「「「「「ギャアアアアァッッ!!!!」」」」」
処刑場から我先に駆け出す人々。平民であろうと貴族であろうと他人を押しのけて真っ青な顔をして逃げる。
「の、呪われるっ!」
「逃げろ! 逃げろ!」
「本物の呪いだっ!」
「呪いの巻き添えになってたまるかっ!」
「……ヒッ、ヒイィィ!」
腰を抜かした王太子を騎士が担ぐ。
「殿下! 危急の際ゆえにご無礼をっ!!」
伯爵令嬢も抱きあげられて、集団となった騎士たちが逃げるために恐慌状態の濁流となった人々を薙ぎ倒し、時に抜刀して人々を切り倒しながら全力で疾走する。
処刑場に残ったのは少数であった。
警備の騎士たちや震える役人たち。
逃げる人々に押され踏まれて怪我をした者たち。
死刑執行人のラミ。
盗賊のキアン。
「ハーハハハッ! おもしれー!」
キアンが歯を剥き出しにして大笑いをする。
「にいちゃん。死ぬ前に愉快な気持ちにしてくれた礼をしてやるよ」
ヒソリ、と蚕がひっそりと糸を吐くようにキアンがラミの耳元で言葉を紡ぐ。
混乱している人々は気付かない。
キアンを縛った縄を持つ黒髪の騎士だけが注意を向けたが、何も言わなかった。
「にいちゃん、アンタいい奴だな。気分爽快だぜ」
それがキアンの最期の言葉だった。
その夜。
ラミが失踪した。
町外れのラミの家は荒らされて、床には大量の血が広がっていた。死刑執行人は疎まれると同時に恨まれる仕事である。死体は発見されなかったが、ラミは死亡と書類上で処理された。死刑執行人として見下されているラミの捜査はおざなりで、数日と続かずに終わったのだった。
というよりも捜査の者たちは怖気付いたのだ。
失踪はレイリヤをラミがギロチンにかけたせいではないか、と。
ラミはレイリヤに呪われて死体すら残らなかったのでは、と。
自分たちも呪われてはたまらない、と縮みあがって竦んだ結果、ラミの捜査は通り一遍で終了したのであった。
翌日。
隣国へ続く街道を歩く男女がいた。
春の土は柔らかさがあり、靴の下には土を踏みしめる感触が伝わっていた。
街道脇の野花が風に揺れる。
花の香り、草の匂い。
花の明かりに野原が粧い、蝶々や蜂を呼んでいる。
そよぐ風に心地よさげに目を細める女性は、男性名をラミ。女性名をセフィラといった。
マーニャ家は、死刑執行人ゆえに蔑まれる家柄であった。
セフィラが誕生した時、父親は心配した。
マーニャ家という鎖がセフィラに過酷な運命を与えることを。ましてや女の子である。どのような酷い目にあうことか容易く想像できた。
養女に出すことも考えたが、養育費を付けても扶養先で大切にされる保障はない。現に父親の妹は養家で虐待されて死亡していた。
悩んだ父親は、二つの身分を入手した。
ラミ・マーニャと秘密のセフィラ・リド。
16歳の成人後はセフィラ・リドとしてラミがマーニャ家と関係無く生きていけるように、と考えていた父親はラミが15歳の時に亡くなってしまった。
本当は15歳の時に逃げ出したかったが、マーニャ家は憎まれている。死刑執行人は軽蔑されているが役職上の保護もあった。
だからラミは、誰もラミを追うことがないように1年をかけて念入りに準備をして機会をうかがっていた。そしてレイリヤの呪いを絶好の好機と捉えて、死亡を偽装して家を捨てセフィラとなったのだった。
「ルイフォン、本当にいっしょに行くの? 平民の私と違ってルイフォンの家は男爵家なのに」
「もちろんだよ、セフィラ。どうせ家は後妻の息子である異母弟が継ぐ。僕を疎む家族なんていらないよ。それに僕を気に入った金持ちの夫人の愛人になれ、と家から連絡がきて無視したけどうるさくて」
平民であるが裕福なマーニャ家は一部の下級貴族と社交的な交際のある家柄だったので、黒髪の青年ルイフォンはセフィラの幼馴染みであった。昨日、処刑台にいた騎士でもある。
「騎士もきちんと辞めてきたし、給料は貯めてあるから旅費には困らないし」
「それよりセフィラ、昨日は見事な煽りだったね。たぶんレイリヤ嬢は怨霊にはならない、いや、なれなかっただろう」
「うん。レイリヤ嬢は王太子を呪うことよりも、呪いの証明のために笑うことを死の瞬間まで一心に雑念なく集中していたもの。で、達成した。成功して心置きなく成仏したと思うわ。ちょっと詐欺みたいだけど、死んでまで浮気男に囚われるなんて可哀想すぎるもの。でも、幽霊って見たことないけどね」
「そうだね。キアンって盗賊もそれを理解して大笑いしていた、彼から何を聞いたんだい?」
「……財宝の隠し場所」
「キアンもレイリヤ嬢みたいに未練なく成仏したかったんだね。拷問されても吐かなかった財宝はキアンにとっては未練の象徴みたいなものだっただろうから」
「……財宝、どうしよう……」
「好きにしたらいいよ。セフィラには父親の遺産が、僕には母親の遺産があるしさ」
セフィラの父親は、死刑執行人であり拷問官であり高名な医師であった。職務として、人間の致命傷や後遺症の残り方、人間をどこまで傷つけると命がどうなるか人の壊し方も治し方も熟知していた父親は、痛み止めの薬に特化した優秀な医師だった。
「でもさぁ、王太子殿下、ビビッているんじゃないかな? レイリヤ嬢の執念のこもった血塗れの笑顔だろ、セフィラの血だらけの家だろ、まぁ、セフィラの家は獣の血だけど。おまけで王宮の庭園の隅と人通りの寂しい廊下にも血を撒いてきたけど、いつ発見されるかな。あと、侯爵家の裏門も」
血の連続だよね、とルイフォンが指を折って数える。
「浮気男だもん。これからは暗闇の物音ひとつにも怯えてブルブル不安がって暮らしたらいいんだわ」
「伯爵令嬢もだな。人生ってアンラッキーなことが多いし、これは呪いかも、あれも呪いかも、と戦慄するんだろうな」
弱い立場の者から搾取する権力者をセフィラもルイフォンも嫌悪していた。服従と重税、生かさず殺さずの和らぐことのない苦しみ。誰だって踏みつけられれば痛いのだ。強い者に心があるように、弱い者にも心はあるのである。
誰もが足掻のだ、 強く、弱く。
何も持っておらず奪われるだけであっても。
生きるために。
望みのために。
自分の意志を貫く。とてもとても欲深く貫くのだ。
レイリヤの呪いは虚構である。
しかし、目撃者が多すぎた。数は力となる。大多数の者が視認できない何かを信じている世界なのだ。レイリヤの呪いは、真昼の星のように見えなくても存在するものとして天災すらも王家の責任となり、もしかしたら王国の崩壊への楔を打ち込んでしまったのかも知れない。小さな小さな最初の尖端を、ひょっとしたら―――。
「レイリヤ嬢、穏やかに眠れるといいけど……」
セフィラが呟く。
「罪人は野晒し雨晒しが普通だけど、騒動のドサクサに紛れてレイリヤ嬢をこっそり埋葬できただけでも上出来だよ。キアンもさ。精いっぱい僕たちはできることをしたよ」
「うん……、ルイフォンありがとう」
「え? 何だよ?」
「だって、いつも助けてくれるから……」
「当たり前だろ、セフィラだって僕が困った時には助けてくれるじゃん。隣国に行ったら冒険者になって、僕の相棒になってくれるんだろ?」
「うん! ルイフォンは剣、私は弓、頑張ろうね!」
陽光に照らされた一本道を進むセフィラとルイフォンの背中を、咲くも散るも美しい春の花々を揺らした風が撫でるように優しく押してくれたのだった。
【王太子と伯爵令嬢・その後】
カツン。
誰かの靴音が後方から耳に届き、ビクッと身を震わせて背中を丸めた。ドッ、ドッ、ドッ。所有者の制御を外れて心臓の鼓動がけたたましく騒ぎ激しくなる。
おそるおそる振り返った王太子の目に、痩せこけた伯爵令嬢の姿が映る。神経を擦り減らし憔悴した顔は幽霊のように生気を失っていた。王太子自身も眼窩がくぼみ肌は亡者のごとく青白い。
王太子と伯爵令嬢はレイリヤの呪いを真であると信じこみ、また、王太子と伯爵令嬢の転落を謀る者たちによって悪質な悪意ある行為が呪いに似せて行われていた。
「殿下……! もう耐えられません、恐ろしくて夜も満足に眠れないのです。我慢の限界です。わたくしは修道院に入ります……!」
すがりつく伯爵令嬢の言葉に、王太子も重く頷く。
「あぁ、わたしも同じことを考えていた。こうなってしまっては神の慈悲に頼るしかない。父上にも許可をいただいた」
許可というよりも国王からの廃嫡による王籍剥奪であった。
呪いが真実であろうと偽りであろうと伝染してはたまらない、と王家と貴族たちから見捨てられたのだ。
修道院にて安らかな生活であったかは不明だが、短い生涯であったとは記録書に書かれて残っている。それが、厄災を運ぶ者となった王太子を疎ましく思った王家の手によるものか、は定かではない。
【レイリヤとキアン・その後】
「なぁ、生まれかわりが決まったって? 俺もだよ。成仏してセーフだったよな、怨霊になんかなっていたら来世なんてなかったぜ」
「慣れ慣れしいのよ、私は侯爵令嬢よ」
「ハハハ、ツンツンしちゃって。ホント可愛いよな、レイリヤは」
「ツンツンと可愛いって何よ!? けなしているの? 褒めているの?」
「レイリヤは最高に可愛いって言っているんだよ。なぁなぁ、来世ではレイリヤをデロデロに甘やかしたい。俺たち夫婦にならないか?」
「ふ、ふ、ふ、ふ、ふ、夫婦!?」
「虫になるか鳥になるか獣になるか、人間になれるか、わからないけどよ。俺、惚れた女は心底大事にするぜ」
「わ、私、気が強いわよ!」
「そこがシビレるんじゃないか、しかも一途で単純だし、もろ俺の好みだぜ」
「だから! けなしているの!? 褒めているの!? それに来世は美人じゃないかも……」
「ツラに惚れたわけじゃねぇよ。レイリヤの中身に惚れたんだぜ」
「……………………私を探し出せるの?」
「任せろ! 狙った獲物を外したことはねぇからよ!」
「っ! 約束だから!」
「おう、絶対の約束だ!!」
「いやだわ、オス(狼)になっているわ」
「俺、メス(栗鼠)だぜ。サイズ的に無理だし、プラトニックにしようぜ」
「ええ、ムラムラなんてしないもの。賛成するわ」
「でも夫婦だからな! チューしようぜ!」
チュ!
草食と肉食に生まれた二人だったが、比翼の鳥のごとく仲睦まじい夫婦として生涯寄り添ったのだった。
【ルイフォン・その後】
最近ルイフォンは胸が痛い。
セフィラを可愛いと思うと胸が痛くなるのだ。
幼馴染みで男友達のような間柄だったはずなのに、セフィラがキラキラと星のように輝いて見えるのだ。
しかも、セフィラが男と世間話をするだけで相手をぶっ飛ばしたくなるので重症の認識もある。
男装の時は後ろで結んでいた肩までの長さの髪は毛先がクルンとして可愛いし。
茶色の瞳と小さな鼻も顔にちょこんとついて可愛いし。
唇はぷるんと淡いピンク色で可愛いし。
意識するようになると全てが可愛すぎて身悶えしそうだった。
「かんべんしてくれ、上から下まで知っているセフィラに今さら恋を自覚してトキメクなんて! どうすれば……! いやいや、どうすればじゃねぇ。他の男に獲られる前に告白しないと! だがだが、告白してダメだった場合は幼馴染みの関係まで壊れてしまうかも……」
頭をかかえて唸るルイフォン。
「そうだ! 万が一の追手の目くらましのために偽装夫婦になろうって提案しよう! 最初は白い結婚でも命懸けで口説いていずれは……、グフフッ!」
欲望に忠実で腹黒いルイフォンであった。
ジャンルに迷いましたが、とりあえずルイフォンが粘着力たっぷりの恋をしているので恋愛ジャンルとしました。
読んでいただきありがとうございました。