異界の扉を開ける者
私はその日、三歳になる息子の手を引いてのんびり歩いていた。
うららかな春の日差しを浴び、いつも遊ばせている公園へ向かって。
いかにも春らしい白っぽい光の中、たどたどしさの残る口調でしきりに息子はおしゃべりをしている。その声に頷きながら、私は公園手前の角を曲がり……思わずたたらを踏んだ。
私たちの前、十メートルほど先。
どこにでもある住宅街の、さして広くもない道の真中。
唐突に、扉がある。
古い物語にでも出てきそうな、木目も美しい温かみのある木の扉だ。
向かって左側に、真鍮製らしい淡い金色のノブがある。
いかにも手になじみそうなまろやかなフォルムで、さあ開けて下さいとほほ笑んでいるかのように、白っぽい春の日差しを照り返している。
一気に血の気が引いた。
(……『異界の扉』だ)
うめくように胸で呟く。
その瞬間、一部分だけが妙に生々しい悪夢にも似た、記憶とも何とも言えない、映像の残滓が雪崩をうって、私の脳へと流れ込んできた。
ふっ、と一瞬、気が遠くなる。
私は『異界の扉を開ける者』だ。
そういう呼び名で合っているのか、はたまた違う呼び名が私には与り知らぬ『何処かの誰か』――神とか上位者とか運命とかが付けているのかもしれないが、それは知らない。
ただ、その『何処かの誰か』は神とか何とか呼ばれる超然とした存在というよりも、底意地の悪いゲームマスター、とでも呼ぶべき存在のように私は感じている。
その神だかゲームマスターだかから与えられた、私――『私』と認識している存在――の役割が、『異界の扉を開ける者』という概念で、そう外れていない自信はある。
たった今思い出したのだが、どうも私はここへ来るまでに、ありとあらゆる世界で生きてきたらしい。
男だったり女だったり、場合によっては男女の概念のない生き物だったこともある。
ひとつだけ確かに言えるのは、その『世界』で暮らす生き物たちの中で最も高い知性を持つ、そしてある一定の社会を築いている生き物――今いる『地球』でなら『人類』に当たる生き物――に、生まれるということだ。
繰り返される転生(と呼ぶのが一番しっくりくるだろう)の中で私は、位の高い為政者の一族だったこともあるし、最底辺の貧民街にうずくまる、食うや食わずの浮浪児だったこともある。
しかし大抵はその社会の中で、ごく平凡な存在だったような感触がある。
そう、ちょうど今の私のように。
数ある転生の中で、おそらく最も古いであろう記憶は。
南海に浮かぶごく小さな島の、貧しい村で暮らす幼い少女だった時のものだ。
夢のように美しい、青い青い海と真っ白な砂浜。
美しいが、ただ美しいだけのその土地で生まれ育った私は、しかしそこが美しいということすら知らないまま、ただぼんやり暮らしていた。
子供なのだからそんなものだろう。
その日。
私は何故か早朝に目覚め、何の気もなく外へ出た。
すがすがしい朝の風に吹かれぶらぶらと、鼻歌を歌いながら私は浜辺へと向かう。
そして……『扉』を見つけた。
『扉』と認識していたのではない。
そもそもそんな概念は、当時の幼い私にはなかった。
私が住む村は、家々の出入り口にこの世界で言うむしろのようなものが垂らされてはいたが、しっかり内と外を区切る、いわゆる『扉』は存在しなかったのだから。
でも私はそれが、『こちら』と『そちら』を隔てる役割があり、開け放てば『そちら』と『こちら』が混ざり合うのだと、一瞥で理解した。
混ざり合わせるために己れの前へ、この奇妙なものが現れたのだとも。
『異界の扉を開ける者』として定められた者の、本能なのかもしれない。
その本能が命じるまま、私は『扉』へと手を伸ばす。
まろやかなノブをつかんで回し、深い考えもなく私は『扉』を開けた。
その刹那、不快な、影のかたまりとでもいうしかないモノが一気に扉からあふれ出た。
息を詰め、私は思わず後ろ――影の行方――を振り返る。
美しい美しい海と砂浜は、いつもと同じようにのどかに朝の光の中にあった。
あったが……言うに言えない微妙さで、海が砂が、昏く澱んでいた。
澱んでいたように、私には見えた。
何も考えず『扉』を開けた、激しい悔いに硬直する。
その瞬間。
どこからともなく飛んできた鋭い刃に胸を貫かれ、私は絶命した。
その先の記憶はない。
だから、あの美しくものどかな村がその後どうなったのか、わからない。
印象に残っているのは。
私が『扉』を開けた刹那、一気に風景の、空気というか色というかが変わったこと。
開けた『扉』からこちらへ流れ込むナニモノカ……、長く長く封じられていた、ひどく忌まわしいモノ。
あるいは逆に、実は密かに『世界』から待ち望まれている、来たるべくして来たモノ。
『扉』のこちら側の風景を一瞬にして変える、ある種のきっかけをもたらす得体のしれない『ナニモノカ』。
『扉』からあふれ出る影はそういうものなのだと、幾度か転生した後で私は、ゆるゆると理解した。
そう理解した後の、とある人生。
私は兄弟たちと王位を争い、血で血を洗う骨肉の争いの果て、負けた。
瀕死の重傷を負った私は、夜陰に紛れ、よたよたと死に場所を探していた。
息絶えるその直前、私の眼前に『異界の扉』が現れた。
最後の息を細く吐き、くつくつ嗤いながら私は、体当たりするように『扉』を開けた。
扉の向こう側から昏いモノがあふれ出る。
私の呪いとシンクロするかのように、ソレは一気に世界へ拡がった。
……私と私の仲間を殺した憎い仇は、なるほど王になるだろう。
だが、私が『扉』から放ったナニモノカによって変わる世界に、否応なく翻弄され、最終的には滅亡する。
何故ならアレは良くも悪くも、劇的に『現状』を変えるから。
『現状』の象徴たる王など、今の私以上に惨めな、悪夢のような血祭りにあげられるのだ!
ははははは、ざまあみろ!
とある人生。
私はその世界でも一、二の豊かな一族の末の子に生まれ、馬鹿らしいまでに享楽的に生きていた。
両親の最後の子であった私はひたすら可愛がられ、甘やかされて育った。
その人生で私は、ずるずる親のすねをかじり続け、最終的には遺産をもらって遊び暮らすという、お気楽な生き方をしていた。
自分にも他人にも責任を負わず、馬鹿な放蕩息子のまま私は歳を取った。
周りには当然、そんな私に眉を顰める者も多かったが、私の放蕩くらいで一族の財産はびくともしなかった。
優秀な兄姉たちからはとっくに見限られ、完全に見放されていたが、ちゃんと私にも遺産は分配された。
ずる賢い詐欺師にそっくり財産を騙し取られでもしない限り、死ぬまで馬鹿をやっていてもお釣りがくる程度には、私の懐はあたたかかった。
まったく、泣けてくるほど結構な、薔薇色の人生ではないか!
それはなじみの娼館からの帰り道。
いやに清々しい早朝の空気が、酒と色事に澱んだ脳を澄ませたらしい。
これまでの、長年にわたる倦むほどの享楽。
繰り返してきたあれこれが、ふと虚しくなった。
その刹那だ、『異界の扉』が私の前に現れたのは。
(……いつ死んでもいい。いつ死んでも同じだ)
『扉』を見た瞬間、私は思った。
唐突な、しかし切実にして真摯な希死念慮。
そのまま『扉』のノブをつかみ、私は開け放った。
……どうやら気付かぬうちに私は、何処かの誰かから深い恨みを買っていたらしい。
扉を開け放った瞬間、その誰かさんに雇われた殺し屋が、私の頭蓋を鋭く射ぬいた。
異界に通じる『扉』を開けると、私は死ぬ。
その人生において死ぬ時期である場合もあったが、大抵は扉を開けた瞬間、事故に遭ったり殺されたりするのだ。
おそらくゲームマスターの意向だろう。
私の役割は『異界の扉を開ける』こと。
要するに、それが済んだら用無しということだ。
だからさっさと殺される。
そして、死ぬとゲームマスターの手でまた、どこかの別の世界へと転生させられる。
本格的にそのからくりに気付いたのは、いったい幾度目の人生だったろう?
深い深い虚しさに、鼻で嗤うしかなかった。
己れが『異界の扉を開ける者』だと気付くのは、生まれ育った世界で何も知らず暮らしていて、ある日唐突に『扉』を眼前にした瞬間である。
これもおそらく私を管理している上位者――ゲームマスターの意向だろう。
だが、一度目にするとその人生に限り、己れが『異界の扉を開ける者』だと自覚したまま生きられる。
……ただそれだけだが。
別に状況が変わるわけでもない。
私に託されているのは単純に、目の前の『扉』を開けるか開けないか。
そう、『開けない』という選択も、実は可能なのだ。
とある人生。
私は幾度か『扉』を前にしたが、決して開けなかった。
その人生を生きる私は、市井に暮らす平凡な民であった。
珍しいほど太平の世が続く、恵まれた時代でもあった。
私個人の人生も、生まれてこの方概ね平穏であり、ささやかな幸せを噛みしめて生きていた。
もちろんそれなりの苦労や不満はあったが、世界をガラリと変える必要性など、まったく感じなかった。
昨日の続きに今日が来て、今日の続きに明日が来る。
その単調なまでの繰り返しを、私は、無意識ながら強く望んでいた。
だから最初に『扉』を見付け、己れの役割を覚った瞬間。
ただただ恐ろしかった。
気付くと私は踵を返し、『扉』の前から逃げていた。
逃げてみて初めて私は、『扉』を開けないという選択も可能なのだと知った。
だからその人生では『扉』を前にする度に踵を返し、足早にその場から離れる選択を取り続けた。
逃げたからといってリスクらしいリスクはなさそうなのも、数回逃げてみてわかった。
やがて私は年老い、ついに天寿をまっとうする時が来た。
横たわり、うつらうつらしている隋に、もしかするとこれで自分は、ゲームマスターの底意地の悪い魔手から逃れられたのではないかと期待していた。
無意味な転生もこれで終わるかもしれない、とも。
最期の時が来た。
今までよく生きた、という多幸感に満たされ、私は深々と息を吐いた。
その刹那。
なぜか脳裏に、緻密で巨大なドミノ倒しの映像が俯瞰で見えた。
『ドミノ倒し』という今生きている世界の概念で表現しているが、まあそのような遊びというか芸が、当時の私が暮らした世界にも存在した。
その世界での『ドミノ倒し』は、駒の各側面にそれぞれ違う色が塗られていて、倒れると、並べられていた時とは違う色合い・違う絵柄に変化するのを俯瞰で楽しむ、遊びというか芸であった。
根気と集中力、芸術的なセンス、緻密な計算を必要とする。
都で高等教育を受けている学童の間でよく行われる遊びであったが、それを生業とする芸人も存在した。
ドミノ倒し芸人は祭りや催しものなどに呼ばれ、開幕のイベントとして芸を披露するのが通例だった。
私も決して嫌いではなかったが……人生の最期に見たいほど、好きだったわけではない。
正直、戸惑った。
膨大な数の整然と並べられた駒が、誰かの手によりそっと倒される。
次々と倒れる駒は、並べていた時とは違う色目を見せる。
例えば赤の面を見せていた駒が緑に、黒の面を見せていた駒が青に変化する、というように。
赤が象徴する『火の海』が緑の『草原』に、黒の『泥土』が鮮やかな青……『蒼海』へ変化するのは、この世界でのドミノ倒しで好まれた、定番のテーマだ。
次々、次々と駒は倒れ、絵柄は塗り替えられる。
暗くて地味だった絵が、明るく晴れやかな絵へと変化してゆく。
ただ、ところどころに差し挟まれている『鍵』となる駒により、進む方向が変わったり本来の進路なら倒れるべきエリアが倒れなかったりもする。
才を誇る製作者は、よくこういう凝った仕掛けを施す。
凝りすぎた仕掛けは鼻につくものだが、これはそんな気分さえ吹きとばす、今まで見たことないほど見事な出来だった。
これを組み上げた製作者はすごいな、と、私は素直に感心する。
やがて最後の最後まで立っていた駒が倒れ、絵は完成。
最後の駒は本来の進路なら、もっと早くに倒れていた筈の駒。
製作者の意図により、最後まで残されていた……。
(な……に? なん、だ、と?)
ほくそ笑むゲームマスターの低い声を聞いた気がした瞬間。
私の意識は途切れた。
それから何度、私は転生を繰り返しただろうか?
自分が駒である自覚を持って以来、『扉』を開けるにせよ開けないにせよ、所詮ゲームマスターの仕掛けなのだと思うと、生きるのも虚しかった。
はいはい、ここで開けるのですねわかりましたよ、と胸で呟きながら、『扉』を見つけた途端、無感動に開ける人生を幾つも繰り返し……、今に至る。
「……おかーしゃん。どったの?」
幼い声に、私は我に返る。
息子が、不思議そうに私の顔を覗き込んでいた。
彼の、どこまでも澄んだ瞳を見た瞬間、『この子を守らなければ』という強い感情が胸の奥からほとばしる。
「あー……、ご、ごめんごめん。おかーさん、急に今、しなくちゃいけないお買い物を思い出したの」
言いながら私は、『扉』に背を向けるようにしてしゃがみ、息子と目の高さを合わせた。
「だから公園の前に、スーパーへ行こう?」
息子は顔を曇らせた。
「えー? しゅべりだい。しゅべりだいは?」
「お買い物の後で、公園行ってすべり台で遊ぼ? そうだ、スーパーでお菓子買おうかな? チョコがいいのかな? それとも……」
現金にも『お菓子』という単語に、息子は反応した。目をキラキラさせ、
「あんまんまん!あんまんまんのびしゅけっと!」
と叫ぶ。
「ようし、じゃあ買いに行こう!」
笑みを作り、私は息子の手を引く。
やわらかくてあたたかい小さな手に、胸が熱くなる。
(私がここで『扉』を開けないのは……)
おそらくゲームマスターの意向。
幼い息子を守りたいという意思を持つ今の私が、このタイミングで世界を変えることも己れが死ぬことも、決して望まないだろうと。
たとえ私が取るすべての行動が、ゲームマスターの掌の上であったとしても。
今ここで『生きて、感じて、選ぶ』のは私だ。
そう導かれているにせよ、『生きて、感じて、選ぶ』のは私自身。
駒は駒なりに『生きて、感じて、選ぶ』のだ、たとえそれが、あらかじめ決められている道であったにせよ。
息子を守るため、今回『扉』を開けなかった私だが。
次は息子を守るため、自らの命と引き換えて『扉』を開けるかもしれない。
この子を守るためならば、世界が火の海になるのも辞さない。
嬉しそうに『あんまんまんのびしゅけっと』の話をしている息子に頷きながら、私はゆっくりと『扉』から離れてゆく。
春の日差しはのどかで暖かく、ただただ明るかった。