2人の秘密
あの脳裏に焼き付いた光景――「彼」が「彼女」だった瞬間――のことは誰にも言えなかったし、言う気にもならなかった。「彼」の秘密を握っているのは僕だけだという下劣な独占に対する興奮を喪失したくなかったからだ。「誰にも話さない」これによって「彼」が「彼女」という事実は2人のみの共通認識となるのだ。「彼」にまとわりつく嫌な虫との間に壁を作ったかのような感覚に酔いしれていた。
――それでもやはり理由を知りたかった。どうしてあの様な格好をしていたのだろう。答えが知りたい。僕は「彼」に直談判してその謎を解きたかった。けれどもその一歩を踏み出すためには想像を絶するエネルギーが要されるようだ。本当に知りたいことだからこそ、そこには勇気が要るのだろう。この窮屈な思い――欲求不満?――からどうにかして飛躍を遂げて逃避しなければ想いは成就しない。そんなことは火を見るより明らかなのに!ああ!「彼女」にまた会いたい!どうして僕はここまで苦しめられねばならないのだ!一度見ただけで、どうしてここまで執着しなければならなくなるのだ!どうしてこんなに心が君に縛られてしまったのだ!
先程までの躊躇はどこかへいった。この滾る欲求に衝き動かされた動物は勢いに任せてスマホのメッセージアプリを開いた。冷静になると、そこには彼に向けたメッセージ――「この前、喫茶店でお前のこと見ちゃったんだけど」――が送信済みとなっていた。打ったのは自分自身なのに、妙に血の気が引いていく感覚に襲われた。既読の二文字がそこに衝撃を畳み掛けてきた。
なかなか返信が来ないことは僕にとって悲劇的なことだった。待っている間の僕は監獄に居る様だった。いつここから出られるかわからない事に怯える囚人だ。それからどれだけ待ったことだろう。スマホの振動が僕にメッセージの到着を知らせた。ああ来てしまったか!送ったのは僕なのにそんなあまりにも身勝手な事を考えた。僕は恐る恐る画面を覗いた。そこには「彼」からのメッセージ――「見られてたんだね」――。続いてまたスマホが振動した。その振動と共に新たな文字列――「まあ、趣味だよ。周りと変わった、ね。」――。はっきり言うと、僕は妙に安心していた。これまた身勝手な話ではあるが、これが他の友人に唆された罰ゲームなどだったらどうしよう、僕と「彼」しか知らないという耽美な物語を喪失してしまうのではないのだろうかという危惧が除去されたからだ。僕は最初の一歩を踏み出せた。ええい、ままよと明日の大学で詳しく聞いてみるとしよう。