義務教育=勉強しろ は間違い!
最近話題になっている教育についてのエッセイがありますね。それについて反論?のようなものをされてる方がいらっしゃり、それがどうも引っ掛かったので、自分の考えを書かせていただきました。稚拙な文章ではありますが、これを期に、皆さんにも教育とは何なのか考えていただけたら幸いです。
難しい問題なので、色々なご意見があると思います。なんとなくこう思った等でも良いので、感想を書いていただけると嬉しいです。
まず、教育を受けさせる義務がある=勉強しろと言わなければいけない、の構図は成り立ちません。
そもそも一般的な教育についての認識が変なのだと思います。教育とは勉強させることではありません。知能の成長によって心身の成長を促し、才能を伸ばしてあげることを教育と言います。
つまり、机にかじりついてXの二乗についての計算を強要することだけが教育とは言えないのです。それよりも、理科の自由研究のようなことをして、なぜ海が青く見えるのか等、面白くて子供が興味を示すことを探してあげることの方が、心身の成長を促す目的、また、子供に何の才能があるのかを見極める上でも大事なのです。
別に子供がXの二乗に興味を示したならば、数学をさせれば良いのですが、そもそも義務教育に問題を解いて勉強しろという意味はないのです。
多くの人が勝手にそう思っているだけで。
実際問題、人それぞれの違うはずの才能を規格化された学校の勉強で測ることは不可能と言えます。
ではなぜ義務教育で規格化された教材を使うのでしょうか?簡単です。入試のためです。学者になるならXの二乗の勉強も役に立つでしょうが、それ以外では、はっきり言って無駄です。
経済学なども、数学的ではありますが、数学が出来るから経済が分かるかと言われればそうではありません。
どちらにせよ、そもそも現代の義務教育が正しく義務教育として機能していません。
だから必然的に、学校教師=教育のプロフェッショナルであるという構図も成り立ちません。
えぇ、成り立たないんですよ。
小中学校の先生はいつかの未来の入試試験で使う知識の基礎は教えてくれますが、飛行機がなぜ飛ぶのか、wifiがどんな仕組みなのか、カブトムシを上手く育てる方法なんてのも全く教えてくれません。
教育者は生徒が興味のあることについて、興味がないのです。だから誰が何を好きで、将来何になりたいかについてについてもどうでも良いのです。
いいや、そんなことない。〜先生は生徒のことをよく考えてくれてる!と思った方。では、その先生は恐竜博士になりたい!と言った生徒に夏休みの化石掘りプログラムを勧めますか?博物館に行くことは?
いいえ、先生はこう言うのです。「じゃあ将来恐竜博士になるために勉強しようね」と。
そうではないのです。子供にとって、全てのものの第一歩は興味を抱くものについて探求することなのです。親や教育者はそのために、子供がより深く興味を持つために恐竜図鑑を買ってあげたり、恐竜に関するテレビを見せてあげれば良いのです。
義務教育とはいつか受けるであろうセンター試験で高得点を取るための基盤を作ることではないのです。
そもそも、行くべき道を見つけた子供は、勉強しろなんて言わなくても勝手に進んでいきます。むしろ、親の方が心配してしまうのではないかというくらい一直線に。
その子にはどんな才能があって、何が好きで、将来何がしたいのか、そして、それを見つけた子には、その手助けをしてあげる。それが、大人が果たすべき「子供に教育を受けさせる義務」ではないのでしょうか?
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あくまで、意見交換の場として考えていただけると幸いです。