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 混乱した勢いで用もないのに超特急で家に帰ると、荷物を玄関に放って着替えた。そのまますぐ出掛ける。


「伊織、慌ててどこ行くの」


 母親まで慌てて声をかけてくる。


「ちょっと走ってくる」


 俺が走るのはいつものことだ。


「そう。気を付けて」

「ん」


 玄関を飛び出した。適当に体を伸ばして、川沿いまで走る。止まっていると余計なことばかり考えそうだった。

 野球以外のことについて考えるのはあまり得意じゃない。思考に雑音が混じる。気を抜くとそれしか考えられなくなる。

 晶の顔が思い出せない。思い出したくない。でも思い出せないとモヤモヤする。

 つま先の地面を蹴る力が強くなる。しばらく走ると、遊歩道に出た。日が沈んでもう少し涼しくなると、ウォーキングする人や犬の散歩をする人が増える。

 西日が目に痛い。うつむいて走る。俺は黙々と腕を振って足を前に出し続ける。

 なぜ晶を助けたのか。朝の戸惑って怯えた顔が頭から離れなかった。晶にとっては当たり前でも、普通の女子が持ち歩きそうにないもの。その理由。考えたら、晶を黙って連れて行かれるのが嫌だった。


(お前らに晶の何がわかる)


 いつもより早く息が上がる。完全にペース配分を間違えた。でも止まれない。


(晶の考えてることはわからないけど)


 体育の授業は常に手抜きでやり過ごす晶。くだらなそうな話にも愛想よく笑って返す晶。その後、物足りなそうに目を伏せるのを、何人が知ってるだろう。


(晶のしてきたことは)


 転びそうになって、初めてスピードをゆるめた。もう隣町まで来ていた。河原から町に戻る階段を上がって、少し歩くと例のバッティングセンターがある。


(晶の続けてきたたった一つのことはよく知ってる)


 考える前に決めていた。歩きながらストレッチをして呼吸と心拍数を落ち着かせる。邪魔にならないよう、遊歩道の端に座りこんで脚の筋を伸ばした。決めたら、動くだけだった。




 俺は例のバッティングセンターに来ていた。親子連れが一組いる以外は、俺のほかに客はいなかった。

 平日の夕方。もう少しで日が沈む。


(おっさん、いないかもしれないな)


 ポケットに手を突っ込むと、くしゃくしゃの紙幣が指に触れた。いつもなんとなく持っていて、使わなかった千円札だった。

 一ゲーム三百円。メダルを買った。

 硬球の、一番速球が打てるところに入る。なんとなく一球目は見逃す。晶はこれを、ほとんど全部向こう側のネットの上部に叩きつける。あいつやっぱりすげえわ、と、構えながら思う。打撃ならテリ―の方が上手い。でも俺だって、当てるだけならできる。


(つまんなくはないけど、張り合いねえな)


 とはいえ、体を動かすと少しはすっきりする。ケージから出ると、さっき打っていた子供が熱い眼差しを俺に向けていた。


「お兄さんすごいね! 速いの全部当てれるんだ!」

「お、おう……」


 当てるだけなら、などと水を差すのはやめた。見たところ小学校四、五年生か。お兄さんと言われてうろたえたけど、納得した。


「俺ね! ソフトやってんの!」

「お、スポ少か。ポジションは?」

「ショート!」


 確かに機敏そうだった。


「じゃあ、中学上がったら野球部だな」

「うん。で、高校生になったら甲子園行く!」


 鼻の奥がつんとした。


「おう、じゃあがんばれよ」


 素直にそう言っていた。


「打ち方教えて!」


 教えるならテリーや晶の方がいいだろう。打つのは好きだけど、教えられるほど上手くも強くもない。


「あ、じゃなかった! 教えてください!」


 俺より適役がいる、なんて野暮なことは言えない。たまに頭が回ってるから、ボールから目を切るなとか、もっと下半身を鍛えてタメを作れるようになれとか言っておいた。ついていた母親が「すみません」と言いたそうに苦笑して頭を下げる。俺も会釈しておいた。

 スポーツドリンクを買って、帰ろうとしたら受付のおじさんがいるのに気付いた。挨拶をした。


「やあ、君か。今日は晶ちゃん来てないよ」

「――みたいですね。そんなによく来るんですか?」

「うん。週に三、四回は来るよね。時間はまちまちだけど」

「で、どれくらいいるんです?」

「そうだねえ。三ゲームはやっていくかな。長いと休憩挟んで一、二時間いることもあるかな。好きなんだろうねえ」


 頭の中で掛け算をする。一か月で二、三万円はかかっている。とても高校生の小遣いじゃ足りない。

 だからバイトか。晶のすることは理解できないようでいてシンプルだった。

 おじさんに礼を言って帰った。




 あれから晶はよそよそしい。目も合わせなくなった。俺は晶にとって脅威らしい。勝負したらどうとかいう話じゃなくて、今の晶のあり方を脅かすらしい。

 このままだと再戦できる見込みもないし、対戦した過去までなかったことにされそうだ。そう考えるとむしゃくしゃした。

 テリーは何を考えているのか、野球部員と親しげに話すことが増えた。深刻そうな部員の話を親身に聞いている風だった。なぜか感謝されているようだ。このまま晶の中で俺との勝負が消えたら、多分接点はなくなる。それは嫌だと思った。


(待て。逆だろ)


 晶との接点がなくなったら、再戦の可能性が消える。それは嫌だ。そっちが正しいはずだ。

でも俺は、逆の順番で考えた。

 教室内に視線を巡らせ、晶の姿を探す。目が合った。彼女は少し困ったような顔をして首を傾げる。すっと伸びた背筋の上に、小さい顔が乗っている。髪を編み込んでアップにしているせいで、白い首が丸出しだ。俺と目が合ったまま、薄い唇を何か言いたそうに動かした。

 頭が熱い。心臓を握って無理やり拍動させられるようだ。頬の皮膚がぴりぴりする。奥歯を噛んで俺は頭を抱えた。


(惚れてんじゃねえか)


 頭が痛いような気がした。


「ヘイ、イオリン! 頭の頭痛が痛そうなフリしてどうしたの!」


 テリーが一緒に帰ろうと寄ってくる。話は終わったらしい。


「フリじゃねえ。人を馬から落馬して落ちたみたいに言うなよ」

「ちょっとー。明日には元気になっててよ。勝負するんだから」

「えっ」

「まあ歩きながら話そうじゃないか。ゴーホームイオリン。ウィズミー」

「お前それ好きだな」


 鞄をつかんで立ち上がった。




 帰り道、上機嫌なテリーに問い質した。


「で、何だよ勝負って。まさか晶が素直に応じたわけじゃねえだろ」

「んー、まあそうなんだけどね」


 テリーは意地悪そうな笑顔になった。絶対ろくでもないことを考えている。


「要は晶ちゃんを打席に立たせればいいんですよ」

「簡単に言うなあ」

天岩戸あまのいわと作戦ですよ」

「何それ」


 西日がまぶしい。俺がにらむような目になっているのは、そのせいだけじゃない。


「太陽神アマテラスちゃんは弟のスサノオ君に部屋でうんこ投げられました。あまりのショックにアマテラスちゃんは天岩戸にひきこもってしまいました。太陽が出てこないのでみんな困りました。そこで一計ですよ。踊り子のアメノウズメさんを呼んで、天岩戸の前で宴会をしました。アメノウズメさんは狂ったように激しく踊るので、脱げました」

「いや、脱げましたって」

「今でいうところのストリッパーやね」

「やね、って」

「で、アマテラスちゃんはなんでみんな楽しそうなのか気になるのよ。太陽神の自分がひきこもってるのにー、って」


 ハタ迷惑な話だ。それもこれも姉の部屋でうんこ投げたスサノオが悪い。他にもあぜ道壊したり用水路埋めたりひどいことしてるけど。でもやっぱりうんこが一番ひどい気がする。


「めんどくせー女だな」


 とはいえ、やっぱり姉も姉な気がする。太陽がなかったら世界規模で困る。


「大体神様ってファンキーだからね」

「それで?」

「なんでみんな喜んでるのか聞いたの。そしたら、あなたより立派な神様が現れたので、みんな喜んでるんです、って。で、気になってちょっと顔出したら、そこに鏡が差しだされるの」

「それはあなたです、ってか」

「まあそんなとこ。で、自分の眩しさでひるんだところを、力持ちの神様が引っ張り出して、天岩戸を閉じちゃったの。めでたしめでたし」

「あー、なんとなくお前の言いたいことわかってきちゃったなぁ」


 嫌な予感しかしない。


「伊織には野球部のみなさんと対戦してもらう。もちろん俺が受けるんだから、本気でリードもする。守備にはついてもらえるから、打たせて取ってもオッケーよ」

「オッケーよ、って言われてもなぁ」

「ちなみに『ぶつけろ』のサインもあります」


 と、拳を作って左胸を叩いた。


「お前割と畜生だな」

「意地悪じゃなきゃ務まらないからね!」


 実は春に一度、声をかけられていた。俺はその誘いを断っている。気後れした。


「お前の言うことは大体わかったよ」

「――つまり、協力者のみなさんは天岩戸伝説で言うところのストリッパーだね」

「失礼な喩えはやめろ」

「晶ちゃんが出てきたくなるような投球内容じゃないとね」

「ほんとにそれでいけるのか?」

「いけるね。あれはそういう性格」


 いつ挑発にのると確信したんだ。


「わかった。やる」


 どうせ俺に策はない。


「しかしよく協力してくれる気になったな。野球部のみなさん」

「俺って人望あるから」


 あえて何も言うまい。


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