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うちに来ませんか?

 翌朝目覚めると、ミワちゃんはまだ隣で寝息をたてていた。

 昨夜の酔いは酷かった。酔っぱらうと記憶が無くなると言う人がよく居るが、私は記憶を失った事が無い。

 酔いの為に制御がきかなくなり、言ってはいけない様な事を言ってしまったり、やってはいけない事をやってしまったりはするのだが、翌日シッカリと憶えているのだ。そんな事がある度に、記憶を失う事が出来る人を羨ましく思った。


 昨夜の出来事もシッカリと憶えている。あのままバス停で寝てしまったら、今頃はどうなっていただろう? あの寒さなら、本当に人生の終焉しゅうえんを迎えていたかも知れない。

 自殺をしようと思っている男が言うのもなんだが、この娘は命の恩人なのだろう。そんな事を考えながら、ミワちゃんの寝顔を見つめていた。

 その時、いきなり大きな目に見つめ返された。

「今、寝顔を見ていたでしょう。女の子は寝顔を見られたく無いんですからね!」

 ちょっとふくれた表情のわりに、目は笑っている。

「寝顔も可愛かったよ」

 私の様なオジサンには似合わない台詞を言ってみた。

「なんですかそれ、映画か何かのセリフですか?」

 ミワちゃんは笑いながらそう言って抱きついて来た。

 何年も忘れていた、柔らかな感情が甦って来た。ミワちゃんの身体を抱きしめると、唇が重なった。しかし、残念ながらそこまでだった。


 私は二十四歳の時に結婚をして以来、妻以外の女性とその様な関係になったことが無かった。

 世間一般の既婚男性の浮気率が実際どのくらいなのかわからない。テレビなどのメディア情報を鵜呑みにするならば、私の様に浮気をした事の無い者は少数派という事になるのだろう。私が浮気に対して特別な反対意見を持っているわけではないし、浮気願望が無いと言ったらそれは完全な嘘になる。

 しかし、私の人生には、そうなるチャンスと言うか、そんな状況は存在しなかったのだ。

 浮気経験者が多数派になるほど、その様な状況が周辺に転がっているとは思えなかった。だから内心では、浮気経験者だと言う男のほとんどは、見栄を張っているだけだろうと思っていたのだ。

 しかし、今の状況を考えると、メディアの情報もあながち間違ってはいないのかも知れないと思った。


 妻とはもう長い事、セックスレスの状態が続いていた。妻はセックスに対してあまり積極的では無かった。若い頃には判らなかったが、妻にとってのセックスは、単なる繁殖行為だったのかも知れない。

 二人目の子供が出来て、生活が忙しくなった為だと思っていたが、その頃から回数が著しく減少したように思う。

 妻の中では、もう子供は二人も居るのだからこれ以上繁殖行為をする必要が無くなったのではないだろうか?


 あまりにも久しぶりな行為だったが、この様な事態に陥って原因を考えた。理性が働いた為なのか? それとも昨夜の酒が残っている為なのか? 又は、根本的に私の身体機能に問題が有るのか?

 考えたところで原因が判明するわけでは無い。しかし、現実に私の身体の一部分だけが、私の意思に従う事を拒否していたのだ。

 それでもミワちゃんは、私を責めるそぶりを見せなかった。そうかと言っていたわったりなぐさめたりする事もしなかった。まるでそれが普通の事で、気にする事では無いといった態度だった。

 私の心は、その態度に救われた。そしてミワちゃんの優しさに感動すら感じていた。


「青山さんはこの辺りの人じゃ無かったのですね?」

 ミワちゃんが身体を密着させたまま質問してきた。ミワちゃんの身体から伝わってくる温もりが心地よかった。

「ああ、この辺りの人じゃ無い」

「変な答え方ですね。じゃあどこから来たのですか?」

「東京から」

「何をしに? お仕事ですか?」

 まさか自殺をしに来たとは言えないし、ここは自殺の目的地でも無い。適当に誤魔化そうと、思いつきで答えた。

「いや、旅行に来たんだよ」

「まだ二月ですよ。普通の人は二月の木更津に旅行なんかしませんよ」

「きっと普通の人じゃ無いんだろうね」

「ふーん、まあ良いか。いつまで木更津に居られるんですか? ホテルとかもまだ決めて無いんでしょう?」

「うん、ホテルも予定も……、何も決めて無いんだ。木更津に来たのもたまたまだしね」

「どういうことですか?」

 ミワちゃんの目が、不思議な生物を見るような目になっている。少しは事情説明をしなければならないのだろう。


「実はね、雪国に行こうと思ったんだ。上越新幹線に乗ってね。しかし、到着した雪国の駅は雪に埋もれていたんだ」

「なんですかそれ? 雪国なのだから雪に埋もれていますよね」

「その通り、雪国だから雪に埋もれていた。雪の積もった中を少し歩いたら、靴の中に雪解け水が溜まってきちゃってね。足が冷たくて我慢できなかった。東京で履く様な靴で雪道を歩いてはいけないね。おまけにコートも雪の中を歩く様な仕様じゃないし、手袋さえ持っていなかった。全身が冷えて寒くなってきたんだ。その時に思い出したんだよね。私は寒いのが嫌いだっていう事を……」

「変な人ですね。なんで寒いのが嫌いなのに雪国に行こうとしたのですか? 寒いのが嫌いなら暖かい所に行けば良いですよね?」

「確かにその通りだね。でもその時は雪国に行こうって思っちゃったんだ。それで、寒さに追い返されて上りの新幹線に乗ってしまった」

「振り出しに戻っちゃったわけですね」

「そう、東京駅まで戻ってしまった。せっかく出掛けたのに、今さら家に帰る気にはなれなくてね。なんとなく電車を乗り継いでいたら木更津駅に着いていた。そして、なんとなく駅から出て、なんとなく街を歩いていたら、CPと書かれたスナックの看板を見つけたわけだ」

「それで、なんとなくこんなことになっちゃっている訳ですね。でも、これって運命的な出会いじゃないかしら。CPでもたまたま私が席についたし、たまたまタクシーで通り掛かって、たまたまタクシーの運転手さんが勘違いしてラブホに来ちゃったし。私達、絶対に運命の出会いってやつですよ!」

 ミワちゃんの目がキラキラ光って、まるで夢見る少女の目になっている。オジサンの私には、そのキラキラした目が眩しかった。

 あまりにも眩しかった為に、つい自虐的な発言が口をついて出た。

「これで私が若くてハンサムな王子さまならね」

「青山さんってけっこう素敵ですよ。たぶん青山さん自身が思っているよりも、十倍くらいは素敵です。私が保障しますよ」

 さすがにスナックで働いている娘なんだなと思った。人を褒めるのが上手い。そう思いながらもニヤケてしまう自分が情けない。

「ありがとう。そう言われるとやっぱり嬉しいね」

「私、本気ですよ。お世辞なんかじゃ有りませんからね!」

 ミワちゃんは頬を膨らませて怒った表情を作る。その後、表情を微笑みへと変えた。ミワちゃんの挙動の全てが、オジサン化していた私の心に、新鮮なときめきをもたらしていた。


「それでこれからどうするんですか? しばらくは木更津に居るんでしょう?」

「まだ何も決めて無いんだけど、一週間位は居るかな? とりあえずどこかのホテルを探さなくちゃいけないな。このままラブホテルに滞在する訳にはいかないからね」

「ホテルも良いけど……。うちに来ませんか? 私、独り暮らしなんですが、ひとりはちょっと寂しいし……。ふたりは運命的な出会いをしたんだし……。ダメですか?」


 ミワちゃんが妙な提案をした。昨夜初めて会ったオジサンに提案する様な内容では無い。

 通常、この手の提案は警戒しなくてはいけない。ミワちゃんの様な若い娘が、出会ったばかりのオジサンを自宅に招くなんて……。絶対に何かを企んでいるはずだ! 家に行くと怖いお兄さんが現れたりするパターンでは無いのか? 通常ならばそう思うものだろう。


 しかし、その時の私の精神状態は普通では無かったのだ。自暴自棄な思いが頭の中を支配していた。その時はその時だ! どうせ自殺旅行の最中だ!

「本当に良いの?」

「もちろんです! じゃあ決まりですね」

「うん、よろしく」

「こちらこそ、よろしくお願いします。そうと決まれば、そろそろここを出て御飯を食べに行きませんか? 私、お腹空いちゃいました」

 そう言ってミワちゃんはとても可愛い笑顔を見せた。





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