自殺するなんて、絶対に嫌ですからね
「ミワだって、嘘つきですよ」
ミワは私の目をじっと見つめていた。何かを決意した目だった。
「この前、パパのお墓参りに行った時に話したけれど、ママは『パパの事を忘れなさい』なんて言わなかったの。ママの再婚相手のタダシさんも『自分も一緒にお墓参りに行っても良いかな?』なんて言っていたのよ。ふたり共、とても優しくしてくれたの」
私は気付いていた。墓参りに行った時には、両親のことをお父さん・お母さんと呼んでいたが、今はパパママと呼んでいる。意識的になのか無意識なのか解からないが、嘘と真実で使い分けているのだろう。
しかし、ここまでの話では、ミワが家を出た理由がわからない。
「ミワとタダシさんは、ちょっとしたきっかけで知り合ったの。そしてミワは……、タダシさんに恋をしました。タダシさんとママが、中学校の同級生だった事を知ったのはその後でした。タダシさんはママと同級生だったから、ミワとは父娘ほどの歳の差が有ったのです。けれど、ミワにとっては初恋でした。でも……、タダシさんはママと結婚してしまったのです。ママと結婚しても、タダシさんはミワにとってはパパでは無くて、初恋の人だったの。だからタダシさんの事をパパと呼べなくて……。ミワが『タダシさん』って呼ぶたびに、タダシさんが少しだけ悲しそうな顔をするの。ミワだけしか気付いていなかったみたいだけれども……。そんなタダシさんを見ているのが辛くって、それで家を出たの」
今まで恋愛対象だった男が突然父親に成ったら、いったいどんな気持ちになるのだろうか?
かなり特殊な状況では有るけれども、好きな同級生の女子が父親と結婚した場合には、その様な状況に成る可能性が有るわけだ。また、職場で気に入った部下の女子社員や、気に入って通い詰めていた店の子が、息子と結婚した場合も似たような事になるのだろう。
可能性としては考えられる。そんな時に、はたしてその娘への気持ちを捨てられるのだろうか?
私には無理な気がする。いつまでも彼女への想いを抱えたまま、そのくせ行動に移す事も出来ずに悶々と日々を過ごすだろう。
ミワはどうなのだろうか? 何か言ってあげたかったが、言えば言う程ミワを苦しめてしまいそうで、何も言えなかった。私は無言でミワを抱きしめた。
数分後、ミワは笑顔を取り戻していた。
「ハジメさん。ミワはハジメさんには、嘘をつかない事にしました。でも、ハジメさんには強要しませんから安心して下さい」
「私もミワに対して、嘘や秘密を持たない事にするよ。ミワには私の全てを知っていてほしいと思っている」
私は笑顔を作り、ミワを見つめた。しかし、私の心に笑顔は無かった。
ミワは『嘘をつかない』と宣言したが、そんな事が出来るのだろうか? その男への恋心が消えた訳ではないだろう。私に好意を持っているのは確かなのだろうが、その根底にあるものを想像するのが怖かった。
ミワの心には、その男への恋心が未だに存在し、そこへ向かう事の出来ない現状の代償として、私に向いている様に思えるからだ。きっと私はその男の代わりなのだろう。
そう思いながらも、『それでも良い。それでもミワと一緒に居たい』と思う気持ちが勝った。
「まず、私の名前だね。遠藤修一と言うんだ」
ミワが嬉しそうに笑った。
「シュウイチさんですね。私は本間美和と言います。これからもよろしくお願いします」
ミワがペコリと頭を下げた。その姿がとても可愛かった。しかし、私の頭の中には以前勤めていた会社の後輩の姿が浮かんだ。
「本間? 柏木じゃ無かったの?」
「えっ? ああ、表札を見たんですね? 柏木は亡くなったパパの苗字なんです。ママが本間忠さんと結婚したから、ミワも本間になったんです」
私は嫌な予感に支配されていた。本間忠、確か後輩の本間も忠だったはずだ。
もしもミワの母親の再婚相手が、あの本間忠だったら……。ミワはあの本間忠の娘になる訳だ。そしてミワの初恋の相手があの本間忠ということになる。
あの『普通』以外の特徴が無いと思っていた本間忠が、突然普通で無くなった。
「ハジメさん、じゃ無かった。シュウイチさん、どうかしたの? 顔色が悪いですよ」
ミワが私の異変に気付いた様だ。心配そうに私の顔を覗き込んでいる。
私は確認をしなくてはならなかった。その結果によって、今後の運命が大幅に変わるかも知れない。
「ミワ、その本間忠さんの写真を持っている? 持っていたら見せて欲しいんだけれど……」
「有りますけど……。シュウイチさん、どうかしたんですか? 焼きもちですかぁ? 大丈夫ですよ。今はシュウイチさんが一番好きですから」
そう言いながら、携帯の画像を私に見せた。そこには、後輩の本間忠が笑顔で写っていた。
私の心は大きく揺れた。ついさっきまでは、私の中に居たミワの初恋の相手は架空の存在だった。顔も知らないオジサンだったのに……、それがいきなり本間忠の顔に置き換えられたのだ。
私はミワの中に存在する本間忠を知ってしまったのだ。私は本間忠の代りなのだと。
「ミワ、私はこの本間忠を知っている。以前勤めていた会社の後輩だ」
「えっ! シュウイチさんとタダシさんが知り合い?」
「そう、私は後輩の娘とこんな関係に成っているわけだ。あいつ、結婚する時に言っていたんだ。高校生の可愛い娘が居るって……。それがミワだったなんて……」
私の精神はこの事実に耐えられるのだろうか? そう思ったが、それ以上にミワの事が心配だった。
こんな関係の私と初恋の相手である義理の父親が知り合いだったなんて、ショックを受けているだろうと思った。
私は恐る恐るミワの顔を見た。
「そうですか。シュウイチさんはタダシさんの先輩なんだ。じゃあ、シュウイチさんが良い人だって事をタダシさんは知っているんですよね。良かった!」
私にはミワの論理が理解出来なかった。なぜ、良かったに繋がるんだろう?
ミワは私の疑問が解っているかのように、説明を始めた。
「だって、このまま永久に行方不明ってわけにもいかないじゃないですかぁ。いずれママとタダシさんにシュウイチさんを紹介する時が来ても、シュウイチさんの事を知っていてくれたら説明が楽ですよね。ラッキーって感じですよ」
私はミワの楽観的な言葉に違和感を持った。ミワの中ではこの事態がきちんと処理されているのだろうか?
「成る程、そういうことか。でも、本間にとっては、先輩だと思っていた奴が、可愛い娘に手を出したっていう事だよ。もし、立場が逆だったら……」
「大丈夫ですよ。大した問題じゃ有りませんよ」
何の説明にもなっていない。しかし、ミワの笑顔を見ていると、大した問題では無い気がしてくるから不思議だ。でも、ミワのこの平静さは何なのだろう。
さっきの話では、本間はミワの初恋の相手で、母親と結婚してからも父親と思う事が出来ないと言っていた。今でも本間への想いを抱えているはずだ。だからこそ家出までしたのだろう。
そんな相手が、現在付き合っている男の知り合いだったのに、こんなにも平然としていられるものなのだろうか? 私にはミワの心情が理解できなかった。
しかし、私にはもっと別な問題が有るでは無いか! 本間の事はペンディングとしても、ミワとの付き合いを続けるには、避けては通れない問題だ。
「ミワ、大事な事を忘れていないか? 私には妻が居るんだ。私は自殺する為に行方をくらました。このまま自殺をするならばそれはそれで良いのだろうが、自殺をしないので有れば、それなりの責任を果たさなければならないと思うんだ」
ミワの表情が真顔に戻っている。自分の問題よりも、私と妻の問題の方が大きいと思っているのだろう?
「シュウイチさんは自殺なんかしないで下さい! ミワは、シュウイチさんが自殺するなんて、絶対に嫌ですからね」
「うん、この一週間で私の考えは変わった。この先はまたどうなるか解らないけれど、それはずっと先の事だ。今は自殺する気は無くなっている。ミワのおかげだよ」
確かにこの一週間で、あんなに近くにあった『死』が、どんどん遠退いている。
「そうだ! 奥さんに会いに行きましょうよ。ミワはシュウイチさんが奥さんの所に戻るなら、それでも良いです。シュウイチさんが自殺をやめて、それで幸せに生きていてくれるのなら、それでも良いです」
「ミワ……」
「大丈夫ですよ。ミワはもう泣きません。シュウイチさんが奥さんの所に戻ったら、ミワもママとタダシさんの所に戻ります。今度こそタダシさんのことを、『パパ』と呼べそうな気がします」
ミワの表情には笑顔が戻っていた。
「だって、初恋を忘れちゃうような恋をしましたから。今度はシュウイチさんへの想いで生きて行きます」




