その初恋はどうなったんですか?
次の日曜日、またしてもオレは土手に座っていた。
すでに二時間が経過して、ここに美和が来ることはもう無いのだろうと考えていた。
「本間さん、こんにちは」
人懐っこい笑顔と共に、美和が現れた。今日の美和は、制服では無く、ショートパンツにTシャツ姿で私の隣に座った。
「ああ、こんにちは」
またしても心臓が悲鳴をあげた。
「本間さんは先週も土手に来たんですか? 私はちょっと、用事が有って来られなかったから……。気になっていたんです」
美和は残念だった事を表現する様に、悲しげな表情をして見せた。たぶん……、オレの勘違いで無ければ……。
「うん、ほとんどの週末には、この土手に来ているからね。先週もここに座っていたよ」
さすがに美和を待っていたとは言えなかった。
それからしばらくの間、とりとめのない会話をした。
「さて、そろそろ帰ります。お昼御飯の時間に遅れるとママが怒るから……」
そう言いながら美和は立ち上がった。
オレは勝手に、『本当ならもっとこうして本間さんと話して居たいのだけれども、お昼御飯の時間に遅れるとママに怒られちゃうから、仕方なく帰ります』などと翻訳した。妄想が過ぎるとは思いながら……。
「あっそうだ。本間さんのメアド、教えてくれませんか? 良かったら、土手友だけじゃ無くて、メル友にもなって下さい」
オレに断る理由が有るわけが無い。すぐに携帯を出してアドレスを教えた。妄想は妄想では無くて、真実だったのか? そんな期待が胸中を支配した。
「後でメールしますね」
美和はそう言って、土手道を去って行く。今日も未練がましく後ろ姿を見つめていた。
その時、オレの携帯が鳴った。美和からのメールだった。
〈今日も楽しかったです。本間さんとメル友になれて嬉しいです〉
オレの目は、美和からのメールを読んでから、また美和の後ろ姿に戻った。しかし、そこに有ったのは後ろ姿では無く、笑顔で両手を振っている美和の姿だった。
オレも立ち上がって手を振った。当然、周囲の目などを気にする余裕など持ち合わせていなかった。
オレは美和の姿が見えなくなってから、メールの返信をした。
それから、平日はメル友、休日は土手友としての付き合いが始まった。
いつしか土手の帰りに喫茶店でコーヒーを飲みながら、いろいろな話をする様になっていた。
「本間さんは結婚していないんですか?」
「うん、結婚とは縁が薄いみたいでね」
「それって、モテるけど、結婚はしないって言っている様に聞こえますよ。自慢話みたいですよね?」
美和はそう言って笑った。
「あ、いや、僕はモテたりしないよ。昔から……」
オレは小さな嘘をついた。
『むかし』と言う言葉と美和の笑顔とによって、意識は高校生の時に再会した初恋相手の記憶へと跳んでいた。
再会した時、彼女の人懐っこい笑顔がオレの恋心に再び火を点けた。
高校生にもなって初恋云々と言っているくらい、オレの恋心はオクテだった。そのオクテの恋心は、これまでに無い暴挙に出た。
いきなり彼女に告白をし、交際を申し出たのだ。
「やあ、久しぶり。僕の事、憶えている?」
「憶えているよ。一番廊下側の真ん中辺に座っていた……、本間くん……でしょ?」
オレはクラスで一番と言っても間違いでは無いくらい目立たない生徒だった、だから彼女がオレのことを覚えていただけでも奇跡の様なものだ。
「良く覚えていたね? 僕なんか、地味だったから憶えていないと思ったよ」
「授業中にあれだけ見られて居たら、たいがい覚えるよ。私は窓際だったのに、本間君は廊下側だったんだよ。教室の端と端に居たのにね。」
「えっ! バレていたの? 気付かれない様に見ていたつもりだったのに……」
ヤバイ、きっと変な奴だと思われているだろう。
「気付いていたよ。私、三学期に転校なんかしたじゃない。だから、みんな受験の事ばっかりで、転校生になんか全く興味なさそうだったよね。普通の時期に転校してきたら、転校生に興味を持ってくれるでしょう。それなのに全然興味を持ってもらえなくて……。だから少し寂しかったんだ。でも、二~三日して気付いたんだよね。私に興味を持ってくれている人が居るって……。ちょっと嬉しかったんだよ」
「そ、そうなんだ。良かった。変な奴が居るって思われていたらどうしようかと思った。あの頃は声を掛ける勇気が無くって、見ているのがやっとだったから……」
「じゃあ、ずいぶん成長したんだね。だって今、声を掛けてくれたじゃない」
「そうだね。でも、成長したって言うより。せっかく神様がチャンスをくれたのに、ここを逃したら一生後悔すると思って……。高校の先生が言っていたんだ。チャンスの神様は前髪しか無くって、通り過ぎてからじゃ後ろ髪を掴めないんだって。だから出会った瞬間に前髪を掴まなくてはならないって。その言葉を思い出したから、勇気を振り絞って声を掛けてみたんだ。それと……もし、良かったら、僕と付き合ってもらえませんか?」
オレは勇気の振り絞りついでに言ってしまった。ここを逃したら永遠に言えなかっただろう。
「はい。よろしくお願いします」
当然断られると思ったが、彼女は笑顔で交際を了承してくれた。その時の笑顔は今でも心に焼き付いている。一生忘れることは無いだろう。
それから二十歳までの四年間、恋人として交際が続いたのだ。青春の四年間、走馬灯のように思い出がよみがえって来る。その頃がオレの四十三年の人生で一番幸せな時だったかもしれない。
「……まさん、本間さん、どうしたんですか?」
突然目の前に美和の心配そうな顔が現れた。どうやらオレは記憶の中に入り込んでいたらしい。
「あ、いや、何でもない、大丈夫だよ」
苦労して笑顔を作った。
「本間さん、急に黙っちゃって、話し掛けても何の反応もしなくなっちゃうから……」
「ごめん、ごめん。ちょっと昔の事を思い出してしまった。美和ちゃんの笑顔を見ていると、何故か昔を思い出してしまうんだ」
美和は笑顔を取り戻していた。
「どんな事を思い出していたんですか? 昔の彼女さんの事とか……ですか?」
オレも笑顔で美和を見ていた。
「良くわかったね。昔の初恋を思い出していた」
「どんな人だったのですか? 本間さんの彼女だったら、素敵な人だったんでしょうね?」
「うん、笑顔が美和ちゃんとそっくりな人だった。とても人懐っこくて優しい笑顔をしていたんだ」
美和は突然、怒った表情を作った。
「女の子を前にして、他の女の人の話を嬉しそうに話すなんて、失礼ですよ!」
「ごめん、そんなつもりじゃ無いんだ」
「そんなつもりってどんなつもりですか?」
そこまで言って、美和は笑い出した。
「本間さん、カワイイ! 焦っちゃって……。まあ、私の笑顔を誉めていると言うことで許してあげますよ」
美和はいたずらっぽい笑顔で、困った中年男の苦笑いを眺めている。
「それで、その初恋はどうなったんですか?」
美和の瞳はキラキラ輝いていた。やはり女子高生は恋愛話が大好きな様だ。こんなオジサンの恋愛話なんか聞いても仕方ないと思うのだけれど、そんな話にでも女子高生は興味を持つものなのだろう。
「付き合いは、四年くらい続いたけれどね。特に何か理由が有ったと言う記憶が無いから、なんとなくだと思うけれどね。次第に疎遠になってしまった。一時はかなりうまく行っていたと思うんだけれどね」
美和はガッカリした様だ。やはり、女子高生はハッピーエンドが好きなのだろう。しかし、現実にはハッピーエンドなんて、滅多にお目にかかれるものではない。大概はバッドエンドの埋め合わせの様なグッドエンドで済ませるものだろう。
「その彼女さんは今、どうして居るんですか? 本間さんは知っているんでしょう?」
「いいや、知らない。年齢的には結婚をして子供が居て、っていうところだろうね。とにかく、幸せに暮らしていてくれれば……、それが一番だね」
美和は満面の笑顔でオレを見ている。女子高生に見詰められて恥ずかしがっている中年男と言うのも情けないけれど、オレはまるで男子高校生の様に下を向いてしまった。
「本間さん、かっこいいです! 昔の彼女が『幸せに暮らしていれれば』なんて言えちゃうんですね」
普通、こんな言い方をしたらバカにしていると思われるのだろうけれど、美和の無邪気な笑顔はバカにする気は微塵も無いことを物語っていた。
「本間さん、かなりモテたんじゃないんですか? その後にもいっぱい恋をしたんでしょう?」
美和はまだオジサンの恋愛話を聞きたいらしい。しかし、オレにとって、あれが最初で最後の恋だった。
「いや、それ以降、恋愛はしていないんだ。だから、この歳で未だ独身なんだよ」
美和はしばらく宙を見つめていた。その後、何か思い当たった様に笑顔を見せた。
「本間さんはもしかして……、その彼女さんの事が忘れられなくて、他の女性と恋愛が出来ないんじゃ有りませんか? 何だか良いなぁ。私にも、そのくらい想ってくれる人が現れてくれないかなぁ」
美和はすっかり夢見る少女の顔になっていた。
「僕の場合は、単にモテないだけだよ。美和ちゃんは可愛いからモテモテでしょう? 付き合ってもいないのに美和ちゃんの事が忘れられなくなっちゃう、そんな男子生徒だっていっぱいいるんじゃ無いのかな?」
「えー、私は全然モテないですよぉ」
美和はそう言って素敵な笑顔をオレに向けた。




