8話
〈ソフィアちゃん、お疲れ様〉
どこからともなく声が響く。目の前にその人がいるわけでもない。その人が生きているというわけでもない。もしかしたら彼女の欲求が生み出した幻覚だったのかもしれない。
「ベルさん...........ベルさんの..........」
〈ええ、見てたわよ。凄いよソフィアちゃんは〉そう言うと彼女はソフィアの頭を自分の胸で抱きしめる。
「ぐ...........恥ずかしいよベルさん」ソフィアは顔を真っ赤にしそう呟いた。
しかし身体は一切抵抗していない。
そんな事を知ってか知らずか彼女はさらに強く抱きしめる。
そしてそれを甘く享受するように力を抜き身体を預けるソフィア。
静かな優しい時間が流れていく。二人以外誰もいない真っ白な空間で二人の親子はずっと抱きしめあい続ける。
そして永遠とも思える暖かい時間の中、 ベルは沈黙を破る。
「でもどうやってあの覇撃のオリガを倒したの?少しは見てたんだけどよくわからなくて」純粋な好奇心からの質問、彼女の言葉はそんな感じだった。
それを聞いたソフィアは彼女の胸に埋めた顔を上げ彼女を上目遣いに見上げる。
「あのオリガって人、戦闘経験が豊富そうだったから、だから逆にこっちの予想通りに動いてくれたの」ソフィアはとんでも無いことを言っているにもかかわらずあっけんからんと言う。
「一番最初の〈32番目の魔法〉は布石。この魔法って着弾時間を自由に変更できるから、かなり時間を置いて発動するようにしてあったの。
それであいつが展開していた紫色の結界、あれって観察する限り物理攻撃と多方向からの攻撃に弱いみたいだったんだ。だから 〈36番目の魔法〉の地中の瓦礫を押し上げての攻撃は躱していたし相殺してた。後自動展開みたいだったから多方向から受ければそれだけ力が分散して弱くなるし。
それだから、最初に〈32番目の魔法〉を打ってそれと逆方向からの着弾時間が同じになるように〈32番目の魔法〉を打ったの」
彼女はここまで一気に話してしまう。まるで小さな子供が自分の武勇伝を興奮して自慢気に語るように。
「そう、凄いわソフィアちゃん」そしてそれを聞き褒めるように優しく頭を撫でる。
「でもあれは?大きな瓦礫を4っつも投げられた時」
「あれは簡単、 〈33番目の魔法〉は超質量の物体を作ってそこに物を集める魔法だから全部集めて直撃を防いだの。まあ吹き飛んだ破片は直撃したんだけどね」
そう言いながら苦笑するソフィア。そんな健気で一途な姿を見てベルは思えわず、
「うう、ソフィアちゃ~ん」涙を流しながら今まで経験した事が無いほどの剛力で彼女を抱きしめる。
「うわ!ちょ.ベルさ...........ん、息が...........」
「ありがとうありがとうありがとう、本当にありがとうソフィアちゃん」
ソフィアの制止など一切気にも止めずにめちゃくちゃに頭を撫で回し始めるベル。
やがてソフィアも諦めたのか大人しくされるがままに撫で回されていく。
そしてベルは彼女を抱きしめたまま呟く。
「これから...........」
「え?」
「これからどうするの?」
彼女は深刻そうな口調で言う。
「これから?」
「うん」
彼女は頷くと少し抱きしめる力を弱める。
「オリガは倒して、もう終わりでしょ?まだ死んでないんだろうけどソフィアちゃんなら殺せる」
そういう彼女の声はいつもと変わらない心優しいものだった。
「そうした後どうするの?島で修道女として生きていってくれる?」
まるでそうある事を願うような口調。
ここでソフィアはある事に気づく。
(そうだ、もう島は...........)
真っ赤に燃え盛り黒煙に消えていったあの不思議な故郷。もう帰る場所も、そして彼女の遺体も、どこにも存在していない。
「ベルさん...........島はもう」なんて言えばいい。故郷は、思い出は、あの場所はもう無くなっている。それを伝えたいのに言葉が出ない。
奇妙な沈黙が続いていく。自分から何かを言い出しにくくなる嫌な空気が立ち込める。
「わかった、もうわかったからいいよ」そう言ったのはベルだった。優しく動じていないような力強い口調
だがソフィアの髪には暖かい雫が流れ落ちてくる。
ーーどうして私は
ソフィアはそんなベルを抱く手に力を込める。
ーーベルさんを泣かしているんだろう
ベルが啜り泣く音がまるでモスキート音のように耳に鋭く突き刺さる。
ーーベルさんを泣かす奴は、故郷を壊した、あいつとあいつと、そして親玉の教皇とか言う奴
彼女はそうやって思考する。一つ取ればまたすぐに生えてくる雑草のように、どこまでも根深くしぶとい感情が彼女のそう言った思考を補助していく。
だがそれが実らす果実は禁断の林檎の果実のように、或いは冥界に実るザクロのように、人を惑わし、罪へと誘う。
それは端的に言うならば、彼女の、ソフィアの目標でしかないのだろう。だが目標は達成すればする程次を欲しがる。より高い、高度な、難儀な、そして達成感の強いものへと。
それが、大切な者への弔いと言う名の復讐であれば、そのスパイスがあれば果実はより一層旨味を増していく。
「ベルさん」彼女は力強い決意に満ちた声で言う。
「私、あのオリガとか言う奴に、ううん全部の魔法使いに復讐する。もちろん教皇にも、私達の宝物を壊した事を心の底から後悔させてやる」
「ソフィアちゃん...........」
「大丈夫。これは私自身が勝手にすることだから、ベルさんはゆっくり見ててね」
そう言った瞬間、ソフィアの身体が輝き出す。
そして彼女の視界は徐々に白く薄くなっていき、意識がやがて現実の世界へと戻っていく。
ソフィアは気づかなかった。オリガとの戦闘を見ていたのならば、島の状況がわからないことなどないという事を。